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思わぬカタチで、夢が叶う

絶対叶わないと諦めてた、父親とお酒を飲むこと。
今年5月に、父が亡くなった。75歳。そして私、いま39歳。
18歳になった時、父がうつ病であることがわかり、どんどん悪化して、まともに会話をできない状態になっていった。それから21年、うつ病から認知症となり、ついぞまともにしゃべれないまま死んでしまった。

死んだ時、私は一生、父親とお酒を飲むことができないんだな。お酒を飲みながら父親と仕事や本の話をするということは、永遠に叶わない夢なんだなと思った。悲しかった。

父は大酒飲みで、うつ病である時も、認知症である時も、大量のお酒を飲み酩酊していた。いや、病気を発症する前から、単身赴任や残業でほぼ家には帰らないが、たまに家に居てもいつも酔っ払っていた。酔ってガラスのコップを投げられ、破片が足に刺さって泣きじゃくるという経験もした。

それでも、父とお酒を飲んで、仕事の話をしたかった。「わかるよー」って共感したり、「それはないよね!」と一緒に怒ったり、お互いにアドバイスをし合ったり、「今日飲み行こうよ」って気軽に誘ってお酒を飲むような、そんな気楽な親子になりたかった。私はお父さんに似ているから、お父さんと同じく大学院まで進学したし、学ぶこと・仕事が好きだから。私はお父さん担当だから。一緒にお酒を飲んで語らうのは、家族で私しかできないことだと思ったから。

大学1年生の時に父の病気のことを知った時、治ったら、就職活動の相談とか、仕事とか、将来お酒を飲みながら話すのかな?なんて当たり前のように思っていた。けれどそんな日は来なかった。20年以上も会話をしていない父が死んだ時、私は悲しめるのか?なんて思っていたけれど、悲しかった。今も、悲しい。

亡くなったのが5月の半ばだから、6月初めの父の日に、父と子がお酒を飲むというCMを見て辛かった。「あぁ、これは、私が一生経験できないことなんだ」と痛感させられた。
けれど最近、思わぬカタチで、夢が叶ってしまったのだ。

きっかけは、自分のために占いを受けたこと。流れで父の話になった時、「まだ成仏できてない。お酒がまだ飲み足りない。俺の人生なんだったんだってぼやいているよ」と言われた。成仏できていないこと、自分の人生を悔いていることが、ショックだった。
ということで、父の供養をすることにした。お酒が飲み足りないと本人が言っているから、お酒を備えて、お線香を炊いて護符を焼いて、父のことを思い出すというのを、21日間繰り返すらしい。お値段1万円。若干高いし、21日間というのも面倒くさい・・・とは思うものの、せっかくだからやることに。

写真を飾って、祖母に買ってもらったとっておきの江戸切子のお猪口に、日本酒を注ぐ。初日、護符を焼いている間にお祈りをしていたら、涙が出て驚いた。二日目、そういえばと思って、自分もグラスにお酒を注いで「乾杯!」と乾杯をしてお酒を飲んだ。三日目、「今日は何飲む?」なんて言いながらウィスキーにする。四日目、「あ、今日はライチの香りがする芋焼酎にしようよ!これ美味しいんだよ」なんて言っている。
これってもう、お父さんと飲んでいるようなものじゃん!
それに気づいて、驚いたし、嬉しかった。永遠に叶わないと思った夢が、いきなり、知らない間に、叶ってしまっている。
私はたしかに、父とお酒を飲み、話をしている。そう実感している。ということは、成仏していない父も、そう思ってくれているかも知れない。いや、そう思っていて、いまこの瞬間を喜んでくれているだろう。そう思ってもいいでしょう。

ということは、あとは私にできるのは、「俺の人生なんだったんだ」という父の話を聞き、自分の話をして、「わかるよー!」、「それは怒るよね!」とか笑ったり怒ったり悲しんだりしながら、お互いを労うことだなぁ。「やっぱり私たち、似てるねー。親子だねー」って泣き笑いしながら、夜な夜な飲むのがいいじゃないか。それって結構幸せだな。そんな風に感じている。


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