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道楽登攀

今日は道楽登攀について書いてみます。

私は今から15年ほど前、道楽登攀というナメた名前の屋号でクライミング業界にヌルッと入り込みました。ガイドやインストラクターを小さな規模でやっていこうと思ったのです。

当時、私の周りには開拓クライマーしか居ませんでした。というより、そういったマインドを持った先輩クライマーに特に共鳴していました。結果、私のクライミングは開拓が主なスタイルになりました。

当時、私のパートナーはヨセミテスタイルのオールドスクールなクライマーでした。彼は日本語があまり得意でないアメリカ人で、私も英語が得意ではありませんでしたが、一緒にクライミングをしていると不思議と心で通じ合う感覚があります。

彼との出会いをきっかけにサンフランシスコに何度か行き来して、伝説のクライマー、ジムブリッドウェルと砂漠でビールを飲んだことは良い思い出です。

アメリカでヒッピーカルチャーが色濃く残る古き良きクライミングスタイルに触れ、私はクライミングにのめり込んでいきます。

1人でキャンプ4(ヨセミテ国立公園内にあるクライマーの溜まり場的なキャンプサイト)に居ると、自然と仲間が増えていきます。

焚き火を囲んで、世界のあちこちから来たクライマーがお互いのヤバい話を披露し合いながら盛り上がるのです。

「プロテクションを使い果たして、ナルゲンボトルでビレイステーションを作ったぜ!」とか「俺はビールにスリングを結んでプロテクションにしたぜ!」とか嘘だか本当だか分からない話なんですが、そういった「下らなさ」も含めて私はクライミングが大好きになりました。

それから、東南アジアをはじめ、さまざまな国のクライミングに触れ、日本に戻っては開拓をするという日々を過ごしました。

そして約10年前、佐久平ロッククライミングセンターを先代から引き継ぎます。
今まで金を貯めては海外のクライミングを楽しんでいた生活は少しづつ変化して、日本でクライミングエリアを開拓して、新たな仲間達とシェアしていくのが楽しくなりました。

それから何年かすると、コンペ(大会)に世の中の注目が集まり始めます。この頃から私はクライミングに対して少しづつ違和感を覚えはじめました。

今までクライミングジムに居た不良っぽいクライマーや、手足の裾がクラックでボロボロになったクライマーが消えていきます。その代わりに、私が今まであまり出会ったことのないタイプの人々が増えていきました。

良い悪いの話ではなく、居心地が次第に悪くなっていくような感じです。この時初めてクライミングがつまらなくなって辞めたいと思いました。そして、残念な事にこの状態はしばらく続きます。

いつ辞めようかな、、、と思いながらも年月は過ぎます。仕事である以上辞めるにもなかなか腰が重く、その間もだらだらクライミングをしてはいましたが、いまいちな感じです。この時期に三重県の「釣り師のルーフクラック」という難易度の高い課題を登りましたが、特に喜びもありませんでした。

これはいよいよ辞めどきかな、と感じていたまさにその時、サーフィンに出会いました。波に乗る感覚やサーファー達との出会いを通して、私の価値観は何故か、あのサンフランシスコのクライミングシーンに強烈に引き戻されました。ヒッピーカルチャーに通ずるものがあったんだと思います。

サーフィンにのめり込めばのめり込むほど「このままクライミングを辞めるんだろうな。まあそれはそれでいいかな。」と漠然と感じていました。

しかしその思いとは逆に、再びクライミングへのモチベーションが沸き始めました。開拓も今までは見えてこなかったラインが見えます。価値感が変わったことによってクライミングの別の面の楽しさに気付いたのです。これには自分でも驚きました。

つい先週、クライミングセンターに通う若い子たちとキャンプをしました。
山奥でDJブースを設置して音楽を聴きながら、焚き火を囲んで下らない話をして、ウィスキーを飲んでいる時、ふとあのキャンプ4の景色が目の前に広がりました。

道楽登攀の意味は、道楽=enjoy、登攀=climbing、です。
私自身が、世の中の流れの中で楽しむことをいつの間にか忘れていたようです。

考えてみれば、今まで私主催でコンペをしたことなど一度もありませんでした。今となってみれば、やらなくて良かったと思います。もしやっていたら、クライミングを完全に嫌いになって辞めていたような気がします。

私の思う楽しいクライミングは、キャンプ4のように仲間で集まっては飲み明かし、自分たちの好きなスタイルで好きなように登る行為です。ボルダラー、リードクライマー、なんて言葉はどうでも良い。誰かに、何かに、合わせる必要なんてありません。

20代の頃に自分で目指した「道楽登攀」のマインドをいつしか忘れ、再び20代の若い子たちに思い出させてもらいました。

あの夜、運命にも似た感謝を感じました。

いつまでも楽しく。自由なスタイルで。
道楽登攀を胸に。私の原点です。

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