チッピングは悪?ロッククライミング界のロック愛
カンボジアのクライミングシーンをいかにアウトドアに広げるか?その方法について最近は考えています。で、ようやく「これかな」と思うヒントをいくつか見つけました。
1、開拓。まずはルートからクライミングエリアを作っていく最初の儀式ですね。
2、チッピング。チッピングがクライミング文化に与える影響を考える機会を作る。
3、アクセスファンドによる岩場の保全と環境保護。
今回は、その中の話で、2つ目のチッピングについて。アメリカのニューヨークにオフィスを置く『アーバンクライミング』から紹介します。“respect as a natural climb?…hells no!! I mean c’mon yo, its rock climbing here”「自然のクライミングとしてリスペクトしろだって?(チッピングルートを)んなわけ無いだろう‼︎ マジかよ、勘弁してくれよな。これはロッククライミングなんだよ。」と、こんな風にジョーさんは語るのです。
チッピングが相当よろしくない行為であると言うことは常識のようになりつつあります。が、かつてラスベガスなどにはたくさんのチッピングルートがあったことで有名です。そしてチッピング擁護派と反対派とが議論を戦わせたこともあると言います。確かに「チッピング=悪」の方程式では測りきれない部分もある。「掃除の程度によってはチッピングになり得る」と言う意見もあります。
あと私の実体験ですが、南ヨーロッパのどこかの国では(場所に関しては忖度なしに本当に忘れてしまいました。)ルーフにコルネがあるのですが、それがなんとコンクリートで作られている。もはやチッピング(削る)を飛び越えて立体造形の域に達している。屋外人工壁ですね。結局、色々議論がある中で、原点はジョーさんの言葉通りだと思います。
もう少し分解して考えてみると、思想にニーズがあるかどうかも要因として大きいかもしれません。
例えば、登山の場合、岩陵歩きのセクションなんかでは、岩にステップを削って歩きやすくしたり、金属製の杭が打ち込まれた手すりなんかもある。ジョーさんの言葉を借りれば、respect as a natural climb? そんなの尊敬しろってか?って、話になります。でもそれは思想にニーズがあるかどうかで状況が変わってきます。
登山では「様々なレベルの登山者が安全に山行を楽しめるように」自然に対して人間の方から手が加えられます。人工的に加工された道や梯子や階段を駆使して、安全に山頂を目指したい登山者、そして登山道整備に社会的恩恵を受ける人の数、それによって守られる自然環境の範囲、これらの数が登山界全体の殆どを占めています。ですから岩にステップを削る行為が嫌われることはありません。
しかし、クライミングは自然そのままの状態を、なるべく人工的な変化を加えずに楽しむ行為です。自然が作り出す岩の形状が私たちクライマーに与える感動的なムーブ。そういう体験に一度でも出会うと、チッピングに対するニーズは無くなります。
小川山の有名課題「エイハブ船長」を登ったことのある人は多いでしょう。あの中間部にある左手のカチホールドが、サイドガバだったらどうでしょう?これほど人気課題にはなっていなかったかもしれません。
つまり、クライミングの世界でのニーズは「自然そのままの状態を楽しむ」ということになるので、登山のようにボルダーに巨大なステップなんか掘られたら、みんな怒っちゃうわけです。同じ山でも、ニーズが違えば発展の方向も変わるということです。
思想の内面的なことは範囲が広く、議論を展開するには体力が要るので私は好みませんが、倫理性にも触れるテーマなので、哲学的な考察も絡み合ってくると、カオス化しやすいジャンルです。そういう意味では「ニーズに大して適正なルールとしてチッピングの禁止があるんだよ」が個人的には1番しっくりくる理由です。
ジョーさんも言っています。“I mean c’mon yo, its rock climbing here“ 「マジかよ、ヘイ!yo!こいつはロッククライミングなんだぜ」その通り、ロックは岩、岩は自然、その造形を変えることは、もうロックじゃない。ジョーさんはこうも言います。「削られたクライミング“chipped climb”こいつらは自然を台無しにして俺たちの未来を奪っちまうんだ」
そんな風にならないように。カンボジアに伝える際には、この記事を思い出してみようと思います。
よろしければサポートお願いします。いただいたサポートはクライミングセンター運営費に使わせていただきます。