『+J』という名の謎解き、挑戦状、或いは文字のない手紙(下書き
服は服にして、服のみに非ず。
それは、待ちに待った13日の金曜日の昼休みに始まった。
何かイベントがあるときに限って、ちょっとした邪魔はつきものだ。
やや遅れて入らざるを得なかった休憩と同時に、私物用のロッカーへ猛ダッシュした。
やや焦り気味に鍵を開けて、バッグからスマホを取り出した。
スマートフォン画面のユニクロアプリのPUSHメッセージが『+J』の発売開始を知らせてくれている。
もう昼の11:45……さすがにもう完売でしょう……
半ば諦めながら、アプリのお気に入りを押した。
一瞬、我が目を疑った。
在庫がある。
購入可能を示す赤いカートがついてる。
慌ててカートボタンを押した。
気に入った商品には、発売前から『お気に入り登録」をしておけば、発売直後その商品のページに直ぐいける。商品の詳細や、各店舗の在庫状況を知ることも可能。色やサイズも指定できるので、買い物カートに入れてそのまま通販でお買い物もできる優れものな機能なのだ。
+Jの発売前日のアップデートが完了してから、迅速にさくさく動作するカート。
もう一度商品ページで詳細を確認し……
あれ?気のせい?
裏と表をぱたぱた返すようにアプリと商品ページの在庫表示を確認した。
……!
『無い』が『在る』
『有る』が『無い』
シェークスピアの『マクベス』の冒頭の三人の魔女が頭をよぎっていった。
魔女とは人聞きが悪い。ここはせめて禅問答くらいにしておこう。
人気が予想される+Jの商品を買い占めてメルカリ等で高額転売を目論む転売ヤーの暗躍が囁かれていたけれど、対策としてこんな仕掛けをつくったのか!
これはただの買い物じゃない。
服だけど服だけじゃない。
+Jコレクション再始動を待ち望んだファンにとっての服達も、転売ヤー達にとっては高額転売出来るかもしれない商材のひとつに過ぎない。どうやって買い占めのプロである彼らを出し抜いて手に入れるか。
これは面白い!
やってくれるじゃないですか、ユニクロさん!
とりあえず、練りに練ったお気に入り商品だけでも購入に漕ぎ着けたい。
セットアップ可能なウールテーラードジャケットにダブルブレストコート……
取り急ぎどうしても外せない嵩張る商品だけをカートへ放り込み、決済を急いで、一息ついた。
(その後、夜中午前2時過ぎの在庫補充を待ってコットンタックシャツなどを買い足した上に、朝に実店舗の開店前に並んで整理券待ちをし、購入済のジャケットとセットアップ出来るウールスリムパンツを試着して買いました)
全世界に店舗を展開するユニクロと服飾デザインの『鉄の女』として名高いジル・サンダー女史のコラボ商品『+J』の9年振りの再始動。
そもそもジル・サンダー女史がデザインした服は、ブランドの『JIL SANDER』では買えません。
こちらはジル・サンダー女史本人はいないけど、別のデザイナーさんが……今は夫婦デザイナーデュオのルーシー&ルーク・メイヤー夫妻が手がけているそうです。
Esprit(エスプリ:仏語『精神』)として語られる存在のジル・サンダー女史。(女史はドイツ生まれとのことなので、Geist(ガイスト:独語『精神』)というべきかしら。
いや、知らんけど)
自らの名前を冠したブランドメゾンではジル・サンダー女史デザインの服は買えないのに、全世界に展開する衣料品の大手『ユニクロ』で買えてしまう。
面白いですね。これまた禅問答みたい。
2009年から始まったこのコレクションは、本当に発売が楽しみだった。
2011年に終了となった時には、本当にがっくり肩を落としたものだった。
かつての『+J』は何が素晴らしかったか?
女史がデザインする服達は、私にとっては『文字のない手紙』
己を鼓舞してくれる激励文のようなものだったから。
華やかなバブルが弾けた後のしんみり節約志向な時代に社会に出た私。
服飾やお洒落にあまり興味もなく育ってしまった。着倒れな母が心配して服を贈ってくれるのだけれど、女性らしく華やかに装って欲しいと願う母とは服の趣味が合わなかった。
そんな私が着る楽しみを知ったのが、このユニクロとジル・サンダー女史のコラボコレクション『+J』だったのです。
2009年発売時、ユニクロの試着室で『+J』のジャケット+スリムパンツのセットアップを試着して鏡を見た一瞬、驚愕しました。
この余裕有り余る大人の女は誰?!
女史がデザインするジャケット、ハンガーに掛かっている時はひっそりしてるんですけれど、身に纏った瞬間豹変するんです。
両肩の線と腰をつなぐ線がスクエアに結ばれ、決めのポジションに整えられていく。
肩はしゅっと後ろに引き、胸はぐぐぐっと前に。そして首は上へ腰もぴしっと伸びて、ふくらはぎは硬く締まり、靴を選ぶ手は高い踵のハイヒールを躊躇なく選び取っていく。
余裕があるという印象を与える身体の線をつくってくれる、私にとっては魔法のような服だったのです。
更に、姿勢が整うことで、自分の輪郭がはっきりする。
背筋が伸びることで、目線にチカラが宿り、出る声もはっきり明瞭になる。
自信があるってこういうことよ!っていう輪郭を自分の中からひっぱり出してくれるのです。こんな私が自分の中に眠っていたんだなぁ……と着た本人が感動します。
その上、まさかの周囲から褒められる嬉しさ。
『+J』のジャケットを着て、ユニクロには足を運ばなそうな友人達から「そのスーツ、どこの?」と聞かれ、「ユニクロの+J」と答えた時の驚愕した反応が忘れられないです。「布地はイマイチだけど、身体のラインが本当に綺麗!」ってよく言われました。
あれからいろんなジャケットやスーツを着たけれど、あんなに褒められたのは『+J』の服を着た時くらいだな……私あんまりお洒落じゃないのでね……
2009年当時のユニクロは、フリースジャケットやパーカーにチノパンなどベーシックな服を学生でも気軽に購入出来る価格で大量に販売していたのです。
皆買うから、『ユニかぶり(=ユニクロで買った同じ商品を着た人と鉢合わせすること』と揶揄される言葉があったくらい。すれ違う見知らぬ人と、心ならずもペアルックなんてこともよくありました。
そんなユニクロから、こんなメッセージ性の強い服が出たんです。
「自信があるっていう身体って、美しいこういうこと!」っていう女史の励ましがドーン!と背中を押してくれる『+J』の服は、私にとっては『文字のない手紙』
でも、当時の『+J』は、当たり外れが大きかった。
いかんせんシンプルなデザインになればなるほど、素材の質の差が如実に露わになってしまってた。哀しいくらいに。
そんなこんなで2011年には終わってしまったコレクションだったのですが、2020年のこのコロナ禍の下で再始動とは……
仕事柄、旅行どころか帰省も見送り、会食もお酒も避け(洒落ではない)、静かすぎるこの生活の中で『+J』の服を買えるなんて……纏った時のあの高揚感の再来が……
滑らかな質感のスーピマコットンにふわふわのスフレヤーンなど、新素材も増えました。
ジル・サンダー女史の服は、着ることで受け取れる手紙なんです。私には。
早く読みたいに決まってるじゃないですか。
再び始まったユニクロとジル・サンダー女史の『+J』
時代に合わせて変わったのはシルエットや材料・素材の質感だけではなかったです。
確かに前回のタイトシルエット全盛からゆったりしたビッグシルエットへ。
シルエットが変わっても、身体のスクエアのバランスを押さえた余裕のある美しさは変わらないまま。
見える飾り釦だけでなく、釦を覆い隠す比翼仕立の下まで貝釦に。
シルクはより厚みが増し滑らかに、アウターはダウンジャケットやウールやカシミア混紡になり、軽くスタイリッシュになっていました。
それよりも何よりも、大きく変わったのは伝えようとするメッセージの強さ。
色鮮やかになった服達が、どうして日本の企業であるユニクロをドイツ人である『鉄の女』ジル・サンダー女史が手を組むに至ったのか、その間で育まれた『+J』とは。
読み解ける手紙のスケールも、包み込むような普遍的な大きさに。
実際に着る人だけでなく、それを目にした人にも伝わるような強烈な鮮やかさで。
以前は服飾技術に対する実験的試みだったのが、このコロナ禍の状況下で服飾デザインが
出来ること・伝えることが出来る無限の可能性への挑戦。
私が受けとった『+J』の文字のない手紙はこんな感じ。
この空の下……
『+J』コレクションが展開する服達の色は、人種や生まれた国に関係なく人間として生まれた私たちが生きていく上で感じている地球上に存在する色。
柔らかな白は、ミルクの如く
漆黒の黒は、夜の闇の如く
深い紅は、身体に流れる血の色の如く
抜けるような青は、晴天の空の如く
灰色は、曇天の雨雲の如く
濃い紺は、夜の海の如く
湧き上がるような緑色は、拡がる草原の如く
鮮やかな薔薇色は、誰かの頬の色の如く…
文化によっては、色の組み合わせが特別な意味を持つことがあります。
一番有名なのは、青×赤の組み合わせ。
これはキリスト教では慈愛の象徴『聖母マリア』を表します。
日本にもあるんです。意味を持つ色の組み合わせ。
今回の『+J』に登場したストールの三色の組み合わせも、日本においては意味を持ってるんですよ。
例えば、『ウールストール』の名前で発売された4種類のストールの色の組み合わせのうちのひとつ。
濃い紺に藤紫と松緑のこの組み合わせ、日本の平安時代の『かさね(重・襲)の色目』のうちの『菖蒲単重(あやめのひとえがさね)』に似ていませんか?
菖蒲=あやめはしょうぶとも読みます。菖蒲=しょうぶは勝負に通ずとのことで、縁起物とされてきました。
勝負=Fight! Challenge!とも読めますね。
ちなみに菖蒲の西洋名はアイリス。花言葉は「希望」です。
(他に同シリーズ内に『撫子単重(なでしこのひとえかさね)』の組み合わせのストールもありました)
……まあ、私の気のせいかもしれませんけどね。
ユニクロはいろんな有名服飾デザイナー達、ジル・サンダー女史の他にクリストフ・ルメール氏やJW・アンダーソン氏などとコラボのコレクションを生み出してきている訳ですが、そこには一貫したメッセージを伝えようとする意志を感じます。
それは……文字にすると急に嘘くさくなってしまいそうな、あの言葉が意味するもの。
それは……
いつくしんだり
育んだり
与えたり
与えられたり
奪ったり
奪われたり
始まったり
終わったり
燃え上がったり
冷え込んだり
大事にしたり
粗末に扱ったり
芽生えたり
枯れてしまったり
世界の中心で叫んだり叫ばれたり……
あの言葉を名付けられた事象が意味するもの。
そんなことに思いを馳せてみたりするのです。
服は、服にして、服のみに非ず。
それはそうと、月が綺麗ですね。
昨日も今日も、そして明日もそうでありますように。