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人でなしの拉致記録【熊野寮祭エクストリーム帰寮2023】

※この記事はエクストリーム帰寮アドベントカレンダー2023の17日目の記事です。

エクストリーム帰寮という企画がある。

ルールはかんたん.
車でどこかに拉致されて歩いて帰ってくるだけ.
財布なし  地図なし
防寒対策はしっかりしよう.

エクストリーム帰寮運営の公式Twitter(@shiranbasho)から引用

※現実には非常用に現金を持っているのだが、基本的には使わないことを想定している。

私は2020年2021年にこの企画に参加し、2022年はドライバー、つまり参加者をどこかへ連れていく側に転向した。2022年の方は特に記事化はしなかったが、案外ドライバーとして記事を書いている人は少ないのではないかと思ったので今年は記事化することにした。
参加者の記事に比べれば大した苦労も山場もないが、彼らとはまた違った視点でエクストリーム帰寮を見ていただこう。

まず今年の特色は、開催が12月になったこと、そして2週に分かれたことだ。開催が12月になったのは曜日の関係でNF(11月祭)が例年より遅い日程で開催されたため、その翌週から開催される熊野寮祭も遅くなったという話に過ぎないが、2週に分かれたことでドライバーのハードモードは幾分か軽減されると同時に、2週目の参加者は例年よりさらに遅い日の参加となり、冬の寒さがより堪えることで企画の過酷さが増すともいえる。
以下は、2週ともドライバーとして参加し、夜道を歩く気概に満ちた人々を見知らぬどこかへ連れて行った私の記録だ。


1週目(12/1~2)

1週目の私はEX帰寮を舐めているやつを地獄に叩き落とすことばかり考えており、短距離の参加者を沢山捕まえるつもりでいた。しかし、熊野寮で22時の開始時刻に人を集めたが、そもそも短距離の参加者があまり多くなく、思ったよりガチ勢の多い様子だった。それで私は人を捕まえ損ね、1周目※は5人乗りの(=参加者は4人乗れる)車に2人しか乗せずの出発となった。

※開催日程を区別する「n週目」と、同一日の周回回数を区別する「n周目」が記事内に混在しています。誤読のないようにお気を付けください。

1周目

参加者の距離指定はそれぞれ15km(1人参加、他大、女性)と42.195km(1人参加、京大1回生)。

15kmの方を落としに京都市街を西へ。この人は体力は十分あるが方向感覚がダメそうな感じで、1人参加なのもあって15kmに留めておいたご様子。合流した後、一瞬この2人をチームにして42.195kmに行くという案も出たのだが、エクストリーム帰寮に男女2人で参加するなんて絶対に許せないので普通に方向音痴1人参加の方が面白いのでドライバーの必死の説得で没にした。
今思えば、これが仮に元から恋人同士なら、地獄に叩き落とすのに絶好だった。いや、もしそうなら、既に行きの車内の時点で私が地獄に叩き落とされているが…。
街を抜け山に入る。本当は心霊スポットとの噂もある清滝トンネルに落としたかったのだが、あいにく熊野寮から12kmしかなかったので断念。
行くことに決めたのは嵯峨野観光鉄道のトロッコ保津峡駅

この地点の選定理由としては、EX帰寮を舐めているやつを地獄に突き落とすという信念に基づき、山の中に落とすのは確定事項として、車内での会話から土地勘や山中を歩く上での注意点などに関して理解が浅そうだと感じたというところから、道中に短いトンネルもあるなど恐怖感もありつつ、実は2回曲がるだけで熊野寮まで帰れるというほぼ一本道なので、方向音痴でも大丈夫そうという考えからだ。

しかし、「実は2回曲がるだけ」なんて、当人は知ったことではない。山に入るや否や、車窓に映る人工林を見て「ここ歩くってこと⁉」と怖がる様子を見せると、トンネルを抜ける頃には無理無理無理!!!と大騒ぎ。それを見て私は大喜び。

先が見えている昼ならまだしも、夜にこれは普通に怖い
せっかくなのでホームまで行きました

到着。野生動物への対処法などは十分に話をしておいて、いざ…と思ったところでGoogleマップがなぜかうまくいかず、落とした地点の記録ができない。わたしが片手で試行錯誤している最中、皆で駅ホームまで行って記念撮影をしたりと楽しんだ。結局1時間くらいはここで止まっていたはずだ。「道に迷ったら連絡していいですか??ちゃんと返してくれますよね??」と言って、テールライトが照らす道へと向かっていく。
後から思えば、JRの保津峡駅のロータリーで降ろし、府道に戻るところで「左右どっちに行くべきか」を一度くらいは考えさせた方が面白いし達成感もあったかもしれないと思った。
参加者を楽しませる鬼畜さと、安全性を考慮する優しさは、バランスが難しい…。

0時すぎ、やっと別れ、もう一人を乗せて先を目指す。とりあえず山道をさらに上に進んでいく。山中の道路で工事が行われていたが、それがまさかの私が警備員をしていた時にお世話になっていた伐採班の人達だった。山の中の電線はこのような人達によって守られている。
1時頃、棚田で有名な水尾を通過。まだ25km程度で、お望みの42.195kmには程遠い。水尾で少し休憩をした後は、隣の人間は睡眠に入っていた。これから長い長い徒歩が待っているのだから、少しでも体力を回復させておくべきだ。
国道の通行止めを迂回したこともあり、かなり時間がかかって京都市右京区の京北町へ。京都市から京北町へのメインルートである国道162号はわたしが2020年に歩いた道であり、愛着がある。京北町の中心部・周山地区で熊野寮までちょうど30km。ここから12km、良い地点が思いつかなかった私は国道162号を12km北上するという脳死ムーブに出た。京都市(旧京北町域)と南丹市(旧美山町域)を隔てる深見峠の手前で42kmに到達したため、ここで降ろすことに。国道沿いではあるが、現在地の把握も容易ではないし、最寄りの青看板はそこそこ遠い。
なお、気温は氷点下。12月の山なので当然といえば当然だが、ここを歩くのは相当過酷そうだ。

星が綺麗だったが、寒すぎて星を味わう余裕はなかった

トンネルの手前に車を停めるスペースがあることは調べていたが、最初気付かず通り過ぎてしまったために引き返す。そして、車が京都市方向を向いて停車したところで、寝ている人間を起こす。記念撮影だけして終わりなのだが、私はさっき降ろした女子大生が気がかりで(決して車が動いた方向がヒントになるからではない)、ちょっと連絡してみた。開口一番「私帰れます!!」と言っていた。心優しいドライバーのおかげである。
その間に彼はどこかへ消えていた。車の方向だけを見て、反対に進んでいってしまったのだろう。まだトンネルの奥に地図があるところで降ろしてあげたことで、彼は3km程度の無駄な歩行で済んだようだ。そんな地図あるの知らなかった!心優しいドライバーのおかげである。

2周目に行く気は満々だったのだが、そこから山を下ったあたりで今日の参加者が全員出発した旨の連絡を受けた。今日は終了。

丸太町通を東に走っていたらなんか知ってる人がいた。

少し話した後別れ、そのまま車を借りた地点(大阪市城東区)まで回送し、京阪の始発に乗車して1週目は終了。参加者がそこまで多くなかったこともあり、不本意ながら2人だけの輸送に留まってしまった。これでは赤字です!

間の1週間

せっかくなので、1週目から2週目までの間にあったエピソードにも触れておきたい。大階段グリコで会った方(その方も女性1人参加だった)が、まさか女子1人参加を山奥に落とす人間などいないだろうと高を括っていたらしく、私の例のツイートを見て、ドライバーに「山奥はやめてください!」と懇願したという。
また、度重なる悪行を見た友人に「性格が出る」「人でなし」などと言われてしまった。私は人を山奥に落としつつも当人への配慮を欠かしたことはないので不本意だったが、この不本意ながら得た「人でなしドライバー」のイメージは、翌週まで続く熊野寮祭で名刺として使うのに割と役立った。というか、ドライバーは人でなしなくらいがちょうど良いと思う。


2週目(12/8~9)

大阪から熊野寮までの回送の途中でイオンモール高の原に寄ることにした。大阪から奈良へと越える峠からは美しい夜景を拝んだ(運転中なので当然写真はない)。

古都の地位を争う軍事境界線

この先数百キロの運転が待っているので、迂回もほどほどに熊野寮へ。寮では先週も見たドライバーの顔が多くあった。

1周目

1周目乗せたのは20km希望の2人組と25km希望の1人。出発前に雑談をしていたところで「なんか山奥に女子1人で降ろされたとかあったらしいですね」とか言われた。それを運んだのは私だ!キミ達は運がいい。
(そして何故か運ばれた当人にも会った。たまにいる「いつ行ってもいるタイプ」だ)
嫌な方の「Twitterで見ました」をやられてしまったが、出発。昨年それぞれ北と南に飛ばされたと聞いたので、少し自身の土地勘に不安を覚えながらも、西へ。私は亀岡から南に行った大阪府境辺りで20kmだろうと思っていた。五条通に出て国道9号を快走し、亀岡と大阪府茨木を結ぶ府道6号に移り、山を上っていく(ただし、一度道を間違え近隣のニュータウンに突っ込んだため、ここまでに相当時間を無駄にしている)。しかし、亀岡の南、大阪府に入ったところで見ると、27km。20kmの人を降ろすにはちょっとオーバーだ。しかもここでは最短徒歩ルートが歩道なし・交通多量の老ノ坂峠になってしまい、できれば安全面から避けたい。そこで府道6号を東に向かい、大原野に降ろすことに。結果的に目的地に反対から回り込むことになったので面白いかもしれない…と思っていたが、公園の入口に地図らしき看板があった上、25kmの参加者を降ろすためにUターンしたので芸術点に大きく傷を付けてしまった。すみません…

意外と簡単に帰れる気がする

25kmの方は、来た道を5km戻り、高槻市に入ったあたりで降ろす。1本入ったところに降ろしたが、帰る経路も同じでただ5km後ろを追うだけの構図。これまた芸術点が低い。
西側は私の土地勘が乏しかった上、指定距離も短く安全面の制約もあり、面白みのない拉致になってしまったかもしれない。ライトな参加者ならこれで良いかもしれないが、複数回目の参加者も混ざっていただけに痛い。

去年南に降ろされた人だったので今回は避けたが、久御山町飛地がちょうど25kmくらいで面白かったのではないか…とも思う。地理オタク的にも一度訪問したいところである。

2周目

1時頃に寮に帰着し、2周目に入る。運ぶのは本来4時出発予定だったサークルの後輩4人組。本当は3周目のはずだったが、予定よりドライバーに余裕があったらしく2周目に繰り上がってきた。
彼らの希望距離は57.257km。
(なぜこんな中途半端な数字を選んだのか疑問に思った人は、この数字を2倍してみよう。それでも分からない人は諦めよう、触れてはいけない世界だ)

彼らは当初から私の運転を希望しており、「これは俺とさくらもちさんとの勝負なんすよ」「さくらもちさんがニチャア…って思うところに降ろしてほしい」「12時間で帰ってきてやる」などと言ってきていた。そんなに言うなら期待に応えようと、私は申し込みの段階で距離を聞いておき、Google Mapを駆使して事前に落とす場所を探していた。

私が見つけた答えは京都府南山城村、童仙房

実は最短経路は車でも55.9km、徒歩なら50km程度

距離の正確さより私のニチャア…を優先してほしいとのことだったので、多少短いことは知りつつもここを選択。それに、最短経路で行けるなんて微塵も思っていなかったので、最短距離が多少短いくらい問題ないとの判断だった。
選定理由としては、国道に出るまでに曲がり角が複数存在し、いわゆる運命の選択を迫られる回数が多いこと、そして京都府であるにも関わらず、最短経路は大部分が滋賀県内であることだ。降りたところが京都府であると分かったのち、滋賀県境を示す看板を見て、自信を持って歩み続けるのは難しいだろうと思った。せめての伏線として、行きは瀬田・信楽を経由して送り届けた。
(しかし実際、彼らはわたしの想像より大幅に能力が高かった…)

星が綺麗!ただし写真では伝わらない!

林道を抜けて、山を越えて、狭い交差点を曲がって、やっとたどり着いた。
彼らは元気に降りて行ったが、4人もオタクがいると方向性がなかなか定まらないようで、どっちに進むかで相当揉めたようだった。彼らの帰寮の詳細に関しては、当人が書いた以下の記事を参照してほしい。降ろした場所に関しては、彼らの期待に応えられたと思う。

ちなみにこの記事内で、

こっちって書いてあるところに落とせば、行くでしょw(なんもないのにね!)」とでも思っていたのだろうか。だとしたら性格が悪い。

上述の記事より
※ネタバレ回避のため意図を持って切り取っています

などと書かれているが、全くの事実無根である。童仙房はストリートビューが入っていない。それくらいの秘境である。

彼らの歩いていくのを見届けて、私も寮に戻る。急いで帰っていたら事故りかけたので後半は安全運転で。4時頃に寮に到着。
3周目に行く体力も気力も十分だったが、出発予定時刻は全体的に繰り上がっており、もう参加者がいないらしい。寮内で多少駄弁ったのちに、先週に引き続き大阪市城東区へ返却へ。もう何度走ったか覚えていないこの道、正直飽きてきた…。
6時すぎに返却を完了し、電車で帰る。今度は始発列車ではない。もう朝ラッシュに突入しており、土曜日とはいえ列車はそこそこ混んでいた。

帰りの野江駅にて。

全てが終わったと思った時、私は急に感傷的になってきた。
日が昇り、新しい一日、普段と変わらない一日が始まる。山を、谷を、街を、100人を超える参加者が熊野寮を目指して歩いている。思えば6時を過ぎて、既に今日の4分の1が終わっているともいえる。

ドライバーの最大の魅力は多くの参加者に関われることだと思う。私はこれが最後のエクストリーム帰寮になるが、4年間関わり続けることができて良かったと思う。

終わりに

2週分の話をうまいことまとめます。聞かせるポエムは一度でいい(一度もいらないかもしれない)。頑張ってなるべく簡潔に書きます。
1週目、私は家に帰った後、寝て起きてから再び熊野寮に向かったらたまたま保津峡から15km歩いた例の方がいて、一緒に四条大運動会を見に行く(→大階段グリコに参加する)ことになった。私は川沿いを歩きながら、あと数ヶ月で終わる京都での生活に思いを馳せていた。入学前から思っていたが、京都大学は他の大学にはない風土が存在すると思う。それこそエクストリーム帰寮は、他の大学で開催したところでこれほどの支持を得られないのではないか。他大生や社会人などがそういう特色に魅力を感じ、寮祭のようなイベントに参加しに来るという状況はすごく良い状態だと思った。私が拉致した例の他大生は、きっと来年の熊野寮祭にも来ていることだろう。そうして何かを得て社会に出ていく人間が少しでも多くなればいいと思ったし、それに大きく貢献する求心性を持ったエクストリーム帰寮は本当に素晴らしい企画だと感じた(ただし、私は「京大文化は見世物ではない」という思いも並行して持っているので、人を惹きつけることが目的化しないでほしいとも思う…難しいところだ)。
ともかく、俄然翌週のやる気が出てきた。
2週目。1周目は変わらず出会いと別れ。25kmで降ろした人は修士2回生で、今年が最後だからと、重い腰を上げて参加したらしい。人生最初で最後の帰寮で芸術点の低いところに落としてしまったのは少し申し訳ないが、それもまた「同席した参加者」という偶然の産物である。2周目の後輩達は道の選択にあたっては恐ろしいほどの嗅覚を持っていた。彼らはまだ先が長い。彼らの最初の帰寮をこうして担当することができて楽しかった。強いて言えば、2年間3回とも5〜6時には車の返却まで完了してしまい、ハードな運転をできなかったことくらいだ(安全のためにそんなことはすべきでないし、別に過労運転はやりたければいつでも可能だ)。

最後に、ここまで心残りなく4年間のエクストリーム帰寮との関わりを終えられたのは、ひとえに運営に携わってくださった方々をはじめ、参加してくれた方々、Twitterで盛り上げてくださった方々など、様々な方のおかげです。本当にありがとうございました!

来年からはTwitterで参加します。
一説には「暖かい部屋からTwitterで人々の苦しむ様子を見るのが一番楽しい」と言われているので、実はちょっと楽しみだったりします。


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