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箱庭水族館

はじめに


「動物園(水族館)の動物は幸せか」
人間は、こうした答えの分からない問いを立てるのが得意だ。そしてその答えを想像した結果として、動物ショーの禁止や犬猫の販売禁止に踏み切るのだ。


この問題に関しては、人間が動物の感情を勝手に推測しているという指摘も通るが、実際に世界では多くの"愛玩動物"が殺処分されている現実を踏まえると一定の合理性がある。
…いや、この政策の論評がしたいわけではない。本題に入ろう。

白浜水族館


2021年9月某日、私は和歌山県にある京都大学白浜水族館にいた。
円形の水槽に、アジの群れが泳いでいる。水槽の中をひたすら周回している群れの中、1匹が私の目に留まった。眼球のあたり、何かのはずみに損傷してしまったのだろうか、目が普通の魚のそれではないのだ。しかし、群れの中を必死に付いて行っている。見た目は衝撃を受けてもおかしくないもので、私のカメラロールに写真は残っていない。"彼"は自然界なら、すぐに群れに付いていけなくなっているだろう。もしくは、外敵の襲来の際、"彼"は逃げ遅れ、大魚の腹を満たしたかもしれない。水槽の中では、仮に群れに付いていけなくなっても、数秒もすれば群れの先頭が後ろからやってくる。外敵もいなければ、餌も簡単に得られる。だからこそ"彼"は生き永らえ、私にその姿を見せることができるのだ。

マリンワールド海の中道


2022年2月某日、私は福岡県のマリンワールド海の中道を訪れた。
クラゲの水槽で、私は目を奪われた。といっても、光に照らされるクラゲが美しかったからではない。

完全に絡まっている。

そこにいたクラゲの中で4匹(匹と数えるのが正しいかも分からない)が、見ての通り絡まっている。4匹は(積極的に動かない者もいるが)全て生きており、活発な者が自分の行きたい方向に残り3匹を引っ張る、ある種の大喧嘩の様相だった。これも、自然界ではすぐに淘汰されてしまうだろう。そもそも4匹が自由に意思疎通できるわけでもないのに(仮に実は可能だとしても)、通常の4倍もの餌を見つけるのは難題であるし、天敵に見つかった際の移動も鈍い。しかしここは水族館。餌は何匹分でも現れるし、天敵から逃げる能力は失っても問題ない。こうして、光り輝くLEDに照らされ、幻想的な風景を私達に見せてくれる。

"彼ら"は幸せか

"彼ら"は、そこが水族館であるからこそ生きていける。そこが自然界であったならば、長く生きることは極めて難しいだろう。

ここで、冒頭の問題に立ち返ってみよう。
「動物園(水族館)の動物は幸せか」
この問題に対して、たとえばフランスでは「幸せでない」と結論付けたからこそ、冒頭のような法案が成立するのだろう。
しかし、"彼ら"についてはどうだろうか。自然界では長くは生きていけない存在を、人間の力によって生存させている。どこかの予備校講師っぽく言えば、「所詮、水族館という箱庭の中でしか生きていけない」のだ。
彼らは水族館で「生きられる」ことを幸せに思っているだろうか。それとも、苦しみながら「生きさせられる」ことを不幸に思っているだろうか。
本当の答えは分からない。

人間


憲法などの整った国の多くでは、(少なくとも理念として)生存権が保障されている。人間誰でも生存が保障される現代の福祉国家は、生きたいかどうかにかかわらず生きる以外の道を社会が提示してくれない、人間にとっての動物園・水族館なのかもしれない。"彼ら"と唯一異なる点があるとすれば、私達はその知能と自由に動かせる手を用いて、社会から提示されなかった選択肢を自ら取ることができることだろう。

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