キョンみく小説『助けてくれるのはいつだって』
助けてくれるのはいつだって
各々の注文の品が届くと、そいつは俺達の顔を順繰りに見つめ、そして、自分の目の前に置かれたカップに手を伸ばした。
夕方、いつもの駅前の喫茶店である。
「お疲れさまでした」
にこやかな顔で――でもどこか疲れをにじませた笑顔で。古泉は大仰な仕草で、湯気の立つカップを顔の前に掲げてみせた。
「おう」
うめくように答えて、俺は古泉の横と、俺の横を順に見やった。長門と、朝比奈さん。二人の顔を順に眺める。相変わらずの無表情である長門に対して、俺の隣に座る朝比奈さんの顔は、明らかに暗い。よほど疲れているのだろうか。
さもありなん――
「いやあまさかまた部長氏があんなことになるとは思いませんでしたね」
コーヒーをすすり、苦笑する古泉。古泉の言葉通り、俺達はまたコンピ研部長が行方不明になったという事件に巻き込まれたのである。前回と同じく、やはり原因はハルヒで――今度の文化祭で朝比奈さんをモデルにした恋愛ゲームを売りたいだなんだとわめき、コンピ研に無理やり協力をさせたことが、今回のそもそもの発端であった。有希に世話になってるでしょ、ということで有無も言わさずにハルヒのやつは押しきってしまったのだが、あの部長氏も妙に義理堅いというか、わりと真面目にハルヒの言いだしたむちゃくちゃなゲームをとりあえず形にしようとしてくれたらしい。その結果として、また妙なことになってしまって、俺達の出動、となったわけだ。
「ああ、またカマドウマかよと思ったが、まさかその次があるとはな」
思い出して――また巨大カマドウマと対面させられ、以前と同じく古泉が倒したと思ったら、そのまま別の場所に飛ばされて二回戦となったことを思い出して、俺は急にまた肩がずしりと重くなったような気がした。
「あれは気持ち悪かったです……」
朝比奈さんがうめく。思い出してしまったのだろう、腕で自分の身体を抱くようにして、震え始めた。
「しかも無限復活でしたしねえ……」
カップをテーブルの上に置いて、古泉はぼやくようにそうつぶやいた。どことなく遠い目をしているように見える。遠くを見つめるような目は、やはり疲労がたまっていることを物語っている。
「あれはやばかった」
うなずき、俺はそこでようやく自分の分のコーヒーに手を伸ばした。コーヒーシュガーを二つ入れ――疲れている時には糖分だろ?――スプーンでよくかき混ぜてから、口元に運ぶ。
「長門さんが居なかったら、と思うとぞっとしますよ」
長門を見、苦笑する古泉。その長門は、いつも通りの無言無表情で、ストローを咥えている。クリームソーダであるが、ストローを咥えている時間の割には減っていないように見える。ただ咥えているだけなのだろうか。そんなことを思うくらいに、変化が無い。
「……」
俺の視線に気づいてか、長門は、何? とばかりに視線をこちらに向けてきた。それに対して、なんでもない、と小さく手を振って応えてから、俺は再び朝比奈さんの方を見やった。
「長門さんが相手の能力を解析してくれなくては――」
古泉の、長門への感謝の言葉を聞きながら、俺は、朝比奈さんの顔に、疲労とは別の影が差しているのに気づいた。以前に見たことがあるような、そんな顔。いつだっただろう、いつ見たのだろう、朝比奈さんのこの顔は。
「朝比奈さん?」
思わず声をかける。すると、彼女は即座に反応してきた。差していた影を隠すような、少しわざとらしい微笑みで。
「はい?」
「……」
俺は言葉に窮した。明らかな作り笑いを浮かべているこの朝比奈さんに、何を言っていいのか、すぐに言葉が浮かばなかった。
「あ、いえ。なんでも」
自分から話しかけておきながら、俺は言葉を濁した。誤魔化すようにコーヒーカップに口をつけ、彼女から視線を逸らした。朝比奈さんは首を傾げたが、特に聞いてはこなかった。彼女はそのまま、自分の前のカップを手に取った。いつもなら紅茶やハーブティーを頼んでいる彼女だが今日は珍しくホットチョコレートを頼んでいた。たまにはいいかなって、と苦笑する彼女に、注文した時はまったく気にしなかったが、今になって急にひっかかるものを覚えた。
いつもと違う顔に、いつもと違う注文。
後者だけなら単なる気まぐれで片付くが、先ほどの表情と合わせるとなんとなく、意味のあることのように思えてしまう。長門相手にペラペラと一人でわけのわからないことで盛り上がり始めた古泉を半ば無視する形で、俺は朝比奈さんを観察することにした。朝比奈さんも、古泉と長門の会話に参加する気はないようだった。古泉達に目を向けることもなく、カップにそっと口づけして、そして、あつっ、と小さくうめいた。あつーい、と小さくつぶやいて舌先をのぞかせた。かわいい。思わず胸にときめきを覚えつつ、そのまま朝比奈さんのことを観察する。熱いのを冷まそうというのか、彼女はカップをテーブルに置き、スプーンでゆっくりとホットチョコレートをぐるぐるかき回し始めた。少しうつむき加減で、彼女はぼんやりとカップの中を見つめている。俺にはその横顔が、まるで今にも溜息をつきそうに見えた。
(考え事……いや、落ち込んでる?)
朝比奈さんのこういう顔を、俺は以前にも見たことがあった。もう、大分前のことではあるが、俺はあの時の朝比奈さんの顔をはっきりと覚えている。
ひょっとして――また、同じようなことを、悩んでいるのか。
確信は無い。ただの想像、妄想の類でしかない。ただ、以前と同じような顔だったから、ということだけでしかない。もっと全然違うことで悩んでいるのかもしれないし、単純に疲労困憊というだけかもしれない。俺だって疲れを感じているのだから、朝比奈さんはもっとだろう。
だから単純に考えすぎ、ということだって十分にありえるのだ。
それでも、こんなに心配になってしまうのは、以前の経験があるからであり、このかよわい少女が健気にも日々がんばっているという事実を俺だけが知っているからである。
以前は、未来からの任務という形で朝比奈さんの悩みを知り、朝比奈さんの心を知ることができた。今度はそういう状況に頼らず、俺は朝比奈さんの精神ケアをしたい、そう思った。
視線を動かす。クリームソーダをすすっている長門相手にやはりまだ熱弁をふるっている古泉の方へと。ハルヒの奴の、なんだったかな、ニキビ治療薬だかなんだか。古泉がハルヒにとってそういう薬であるなら、俺は朝比奈さんの薬になろう。ふいにそんなことを思った。うん、とうなずいてから、視線を朝比奈さんの方へと戻す。
何かある、と思ったからには動かないわけにはいかない。だが、今この場で、というのは難しい。古泉や長門が居ると、朝比奈さんも話しづらいだろう。それにもし俺の見立てが間違っていたらと思うと、やはりこの場で聞くわけにはいかないだろう。聞くなら二人だけになった方がいい。
(問題は、どうやって二人きりになるかってことなんだが……まあ、それはそれとして)
俺はテーブルに備えつけのメニューに手を伸ばした。古びた装丁の、少々時代を感じさせるメニューをぱらぱらと開いて、
「朝比奈さん、俺ケーキ食いたくなったんですけど、朝比奈さんもどうです? なんなら俺、奢りますけど」
ふと思いついただけの提案。朝比奈さんが疲れているのなら、というだけの思いつきである。朝比奈さんは、ケーキですか? とかわいらしく聞き返してから、ほんの少し考える素振りを見せた。
「……ケーキ、たまには、うーん……でも、疲れてるし……」
ぼそぼそとうめくようにつぶやく姿もまた、いつまでも眺めていたくなるような感じがして、実に愛らしかった。最後にうーん、とうなってから、朝比奈さんは、うん、とうなずいた。
「そうですね。たまにはいいですよね」
にっこりと笑う朝比奈さんに向けて微笑んでから、俺は開いたメニューをテーブルの上に広げた。
喫茶店を出て。
朝比奈さんとどうやって二人きりになろうかと考え、答えが出ないままであったが、ありがたいことにその状況は勝手に作られることになった。どうも話が盛り上がりすぎたようで――なんか最後の方は長ネギの茎に潜む霊的脅威がどうのなどという俺には理解できない話をしていた気がするが――話し足りないのか、会計を終えて外に出た後、古泉は長門を誘って二人してまた別の喫茶店に向かったのだった。二人の話にまるでついていけない俺と朝比奈さんは仕方なくそのまま帰路につくことになった。
自転車を押しながら、歩く。隣を歩く朝比奈さんの速度に合わせて、ゆっくりと。
「古泉の奴、今日はやけに饒舌でしたね」
「ですね。前は長門さんとミステリーの話で盛り上がってましたけど、今日はなんでしたっけ、ええと……」
「長ネギの茎に潜む霊的脅威……でしたっけ」
「え? そうでしたっけ。多面的なんとか理論とか言ってた気がしますけど」
「そんなんでしたっけ? あー、そんなのも言ってた……ような? ついていけなくてちゃんと聞いてなかったんですけど」
「あ、やっぱりキョンくんも? あたしもそうです。ついていけなくて……」
苦笑する朝比奈さんに対して、こちらも苦笑する。どうもあの二人はこちらのついていけない話で盛り上がっている時が増えたような気がする。俺とではできない話が出来て古泉も嬉しいのだろう、多分。話の内容はともかく、長門がしっかりと人とコミュニケーションをとっている姿が見られることは喜ばしいことでもある。
そのおかげで俺と朝比奈さんが仕方なく――そう、仕方なく、だ――二人で遊ぶことが増えてるのだが、まあ、それは今はいいか。
先日の朝比奈さんとの時間を思い出して思わず顔がゆるみかけた時、朝比奈さんは急に申し訳なさそうな顔になって、
「あの。それよりもケーキ、本当に良かったんですか? 奢ってもらっちゃって」
「いいんですよ、それくらい」
「でも……」
「いや、レジんとこでも言いましたけど、朝比奈さんにはいつも美味いお茶淹れてもらってますから、あれくらいなんてことありませんよ」
肩をすくめて、続ける。
「それに、男一人ケーキを食べるっていうのも、なんといいますか」
「? 変ですか?」
「いやあ、どうにも格好つかないでしょう?」
「そうですか? かわいいなって思いますけど」
男としては格好つけたいものなんですよ、特に、貴女の前では――胸中でひとりごちて、苦笑する。
「まあなんにせよ、付き合ってもらえてよかったです」
笑いながらそう言うと、朝比奈さんはくすりと笑った。
「ごちそうさまでした。……次は、あたしが奢りますからね」
「期待してます」
そんな話をしているうちに、あっという間に駅に着いてしまった。いつもならば、ここで別れる。名残惜しそうに手を振る朝比奈さんに対して、いつも心が惹きつけられるような心地になるのだ。
だが今日は違う。
立ち止まり、朝比奈さんの顔を見る。じっと、まっすぐに。何も言わず。
いつもならここで、さよなら、と言って別れるのが常であるのに、何も言わない俺に対して、朝比奈さんはきょとんとした表情を浮かべた。ほんの少し首を傾げ、彼女は俺を見つめ返した。
「……朝比奈さん、このあと時間ありますか? もう少し朝比奈さんと話したいことがあるんですけど」
「……!」
驚いたように、朝比奈さんは目を丸くした。そして、みるみるうちに頬を赤くした。
なんで赤くなってるんだろうとは思ったが、それは言わないでおく。
「いいですか?」
再度尋ねると、朝比奈さんは何も言わずにこくんとうなずいた。
先ほどまでと違い、うつむき、何故か妙に黙り込んでしまった朝比奈さんといっしょに歩く。ちらりと朝比奈さんの方を一瞥してから、俺は小さくうめいた。
(話をしませんかって言っただけなんだが、なんか朝比奈さん変だな……言い方がなんかまずかったかな)
なんか勘違いをさせたかもしれない。心の中で反省をしつつ、俺は朝比奈さんと一緒に近くの公園にやってきた。
喫茶店に入る段階ですでに夕方で、出た時には薄暗くなりはじめていたが、公園に着く頃にはさらにまた暗くなっていた。公園の中の街灯が光を灯し、もうすぐ夜になることを告げていた。当然、公園の中にはもう人の姿は無く、誰かに聞かれたら困る、という俺の心配も無用なものになりそうだった。
街灯の傍のベンチに自転車を置く。明かりに照らされながら、俺と朝比奈さんは、並んでベンチに腰かけた。ほんの少しだけ距離が空けられていることに苦笑しながら、俺は朝比奈さんに対して口を開いた。
「朝比奈さん」
名を呼ぶと、朝比奈さんはわかりやすくびくっと反応した。
「はい。あの、話って……?」
緊張した声色。やはり何か勘違いをしてそうだった。
(遠回しには行かない方が良いか)
遠回しに話を進めていこうかと思ったが、そうすると余計に朝比奈さんを緊張させてしまうかもしれない。そう判断して、俺は直球で朝比奈さんに尋ねることにした。
「喫茶店で、気になったんですけど、なんか、悩んでること、あるんじゃないですか?」
「!」
朝比奈さんは目を見開き、こちらを凝視したあと、そのまま視線を逸らした。逸らした視線は、地面へと。うつむいて、朝比奈さんは俺から完全に顔を背けた。
「……」
そのまま、しばらく待つ。
やがて、ぽつりと、朝比奈さんがつぶやくように答えた。
「どうして、そう思うんですか?」
実質答え合わせをしているような気がしたが、それでも朝比奈さんとしては隠しておきたかったのだろう。そんな意志が感じられた。
「顔です」
やはり直球で、答える。
「前と、同じ顔、してたので……」
続けて答えると、朝比奈さんはゆっくりと顔をこちらに向けた。
「……あたしのこと、わかっちゃうんですね、キョンくんは」
朝比奈さんは笑う。悲しげに、ぎこちなく。いつものふわりとしたかわいらしい笑みではなく、自嘲に似た笑い。
「…………のに」
朝比奈さんの口が小さく動いて、何か言ったのが聞こえた。その内容までは聞き取れなかったが、朝比奈さんは何事もなかったように、再びうつむき、続けた。
「キョンくんの言う通りです」
「……」
「また、何も出来なかったなあって、思ってしまって」
溜息にも似た声だった。重く重く、吐きだすような声。朝比奈さんの苦悩が、それだけで伝わってくるような気がした。
「あたしだけ、いつも何も出来なくて。今日だって古泉くんと長門さんが戦ってても、ずっと怖がってキョンくんにしがみついてただけで、何も出来なかった……」
光が照らす中で、朝比奈さんの表情が、影になって見えない。泣きそうな顔をしてる気がした。声は泣いていた。俺は何も言わず、朝比奈さんのつぶやくような小さな声を、聞き逃さないように、耳を傾けた。
「わかってるんです。わかってるんです。キョンくんが前にあたしが伝えたかったこと、わかってるんです。でも、それでもあたし……あたし……」
「……」
「あたし、みんなの役に立ちたい。みんなの力になれるって、助けられるって……今のあたしが、みんなの力になりたいんです」
「……」
朝比奈さんに対して、俺は以前とは違ってすぐに言葉を発することが出来なかった。何も出来ないことを悩む朝比奈さんに、以前、俺は言葉足らずながらも朝比奈さんが決して無力ではないことを伝えた。言葉で伝えられなかった部分の気持ちを朝比奈さんに伝えて、朝比奈さんもそれをわかってくれた。その時はそれで朝比奈さんはわかってくれた。元気を出してくれた。自分が知らなくていいところで、自分が皆のためになることをしていた。そのことに気づいてくれた。
だが今は、あの時とは少し違う。何も知らないまま、何も出来ないことを悩んでいたのとは違う。今の朝比奈さんは、長門や古泉と比べてしまって、あまりに無力な自分に対して、嘆いている。
あいつらと比べること自体が間違っている気がするが、それでも朝比奈さんは、SOS団の一人として、俺達の仲間として、もっと何かをしたい、と思っているのだろう。自分が皆の役に立っていると、実感したいのだ。自分だって力になりたいと思うのに、何も出来ないことに、嘆かずにはいられないのだ。
気持ちは、わからないでもない。俺だって、今日みたいな時は見ていることしか出来ない。超能力者&宇宙人VS巨大昆虫というB級映画みたいな状況で、一般人の俺に何が出来るってんだ。しがみついてくる朝比奈さんを必死にかばいながら、自分たちの身を守ることで精一杯だったのだから。
「……朝比奈さんは、長門や古泉みたいに戦えるようになりたいんですか?」
尋ねる。だが、朝比奈さんは、すぐには答えなかった。彼女の答えを待つ。
「……わかりません」
絞り出すような声は、彼女の迷いを表していた。
「そういうこと……考えたこともなかったです。でも、戦いたい、というわけじゃ、ない、と思います」
「じゃあ、どうなりたいんです?」
「……」
朝比奈さんが、涙で濡れた目をこちらに向けてきた。どうして、と言いたげな目。俺はそれで、自分の言葉が存外強く朝比奈さんには感じられたと理解した。
「すみません、責めるとかそういうつもりじゃなくて……」
慌てて言い繕うと、朝比奈さんはまたうつむいてしまった。だが、こちらの意図は通じたらしい。ぽつりとつぶやくように再び言葉を紡ぎ始めた。
「……具体的にこうなりたいって、思ったわけじゃないんです。ただ、無力で、足手まといな自分が嫌で。あの二人みたいになれたらって」
「……俺も、時折そう思いますよ」
正直に告げると、朝比奈さんは少し驚いたように顔を上げてこちらを見た。
「朝比奈さんの言いたいこと、俺もわかります。俺も、あいつらがうらやましいと思うと気がありますから」
「……」
「なんでもできる宇宙人パワーに、場所限定とはいえ、超能力があって、おまけに謎の組織の暗躍まで、となったら、普通は憧れてしまいますよ」
苦笑してみせるが、朝比奈さんは何も言わなかった。かまわずに、俺は続けた。
「でも、どうしようもないことはあるんです。俺は宇宙人じゃないし、超能力者でもない。未来から来たわけでもない。ただの一般人。ただの人間です」
「……でも、キョンくんは今までに何度も事件を解決してるじゃないですか」
朝比奈さんの言葉は冷たく、自嘲しているように聞こえた。あたしとは違う――言外に告げていた。
「俺一人でやったことじゃないです。長門、古泉、そしてもちろん、朝比奈さんも。皆の力があったからこそです。俺一人じゃ、何もできない」
俺はかぶりを振った。しかし自嘲ではない。確認だった。朝比奈さんに俺の意志を伝えるためには、俺自身、確認していかなければならない。
「その中で、俺は自分にできることをやってきただけです。ただの一般人でしかない俺が、ただできることをしてきた結果が、今なんですから」
「できること……」
「ええそうです。自分にできることをするだけです。誰にだって、できることとできないことがあるんですから。なんでもできる長門だって、なにもできないということはできないんです。そうなりたいから、あいつは世界を変えるなんてことをしでかしてしまった。古泉だって、閉鎖空間でなければ超能力は使えない。長門みたいなことはできないし、朝比奈さんみたいに時間移動をすることだってできない」
「……」
「誰だって、そうなんです。知ってますか? 古泉の奴、自分だけ時間移動してないもんだから、何かにつけてうじうじ言ってるんですよ。うらやましいうらやましいって、うるさいんですよ、あいつ。あれで結構」
思わず笑みをこぼしながら、俺は、さらに続けた。
「俺は朝比奈さんががんばってるのを知ってます。いつも笑顔で、俺達に美味いお茶を淹れてくれて。それは、朝比奈さんにしかできないことなんです。長門にも古泉にも、朝比奈さんの代わりなんてできやしない。貴女が貴女にしかできないことをしてくれるから、俺も、自分のできることをやれるんです」
文芸部室でメイド服を着ている朝比奈さん。お茶を淹れてくれる朝比奈さん。俺に笑いかけてくれる朝比奈さん。いくつもの朝比奈さんの姿を、思い出を思い浮かべる。
「戦えないと役に立たないなんて、俺は思いません。俺にとって朝比奈さんは――」
こみ上げてきた恥ずかしさに、俺は顔が赤面してくるのを感じた。
「俺にとって朝比奈さんは――いつだって俺を癒してくれて、いつまでも傍に居て欲しくて、俺だけの、その……俺の、俺を、元気にしてくれる人です!」
言いきって、俺は思わず朝比奈さんから視線を逸らさざるを得なかった。顔が熱い。常々思っていることを口に出すことの、なんと恥ずかしいことか。後頭部に手をやりながら、ちら、と朝比奈さんの方に視線を戻すと、朝比奈さんは目元だけでなく、顔全体を真っ赤にさせていた。
「俺はそう思ってます。いつも。それじゃあ、駄目ですか。俺は――朝比奈さんを、いつも必要に思っています」
返事は、なかった。
朝比奈さんは、何も言わずに、俺との間に開いていた距離を詰めた。ぴったりとくっついて、そして、俺の肩に、体重を預けてきた。
「朝比奈さん」
「……ありがとう、ございます。キョンくんにそう言ってもらえるのがあたし、一番、うれしい……」
いつのまにか、陽は完全に落ちていた。街灯に照らされる中で、俺と朝比奈さんは静かにお互いのぬくもりを感じていた。夜の静けさと冷たさに包まれていく中、明かりの下で、俺は確かに朝比奈さんを必要としていたし、朝比奈さんは確かに俺を必要としていた。
今できることをしよう。ただそれだけを考えて。
その時が来るまで、俺と朝比奈さんは、いつまでも寄り添っていた。