キョンみく「拾ってください」

 拾ってください――
 などと大きく書かれたダンボール箱が、文芸部室の扉、の横に置かれていた。
 俺は立ち止まり、半眼になってその箱を見つめた。
 ダンボールは、大きかった。俺の胸よりちょっと下くらいはあるだろうか。その気になれば小柄な人間ならば入れそうなくらいの大きさである。どこから持って来たのだろうか。書かれている文字は、下手だった。古泉が持って来たのかもしれない。あいつの持ち物だとしたら、『機関』で用意でもしたのだろうか。
 だとしたら――
「とんでもなくアホだな」
 思わず声に出してしまい、俺は大きく溜息をついて、肩をすくめた。
 ――カサ。
「ん?」
 目の前の箱の中から、かすかな妙な音が聞こえたような気がした。
「……」
 じっと箱を見つめる。汚い字が書いてある以外、何の変哲もない、でかい箱。そのまま少しの間見つめていたが、特に変わったことはなかった。
「気のせいか。しかし……」
 いったいなんでこんなものがここにあるだろうか。古泉の奴が用意したのであれば、なんでこんなものを用意したのだろう。拾ってください、という文字の意味はなんだろうか。古泉が自作自演イベントのために『機関』で用意して、ハルヒに拾わせた? それとも、俺が知らない間にハルヒがなんか思いついて古泉に用意させた?
「…………」
 目を細めて、天井を見やる。
どちらにせよ、わかっているのはこの箱がとんでもなく邪魔くさいということだ。こんな大きな箱が、でん、と鎮座していると嫌でも目立つ。このまま放置していたら、またなにか余計なトラブルが発生するかもしれない。さすがに、我関せず、というわけにもいかないだろう。なんかあったらだいたいの場合は俺が頭下げに行かなければならないのだ。
 放置する、捨てる、片付けさせる……軽い頭痛を覚えつつ、色々と選択肢を思い浮かべて――
「よし、そのままにしておこう」
 どうせ何を選んでもトラブルは起こるだろうし、めんどくさいことには変わりないだろうし。古泉かハルヒか他の奴か知らんが、そんな危険なことはないだろう、多分。一人で、うむ、とうなずいて、俺は箱を無視して、部室の扉の方に向かった。
 すると――突然、ダンボール箱のふたが開いた。
「ひ、拾ってくださーい」
 そんな声と共に、とんでもない美少女が箱の中から飛び出してきた。突然のことに俺はぎょっとし、思わずびくっと身を強張らせた。
 悲鳴を上げなかったのは幸運だったかもしれない。だがそれでも、びびってしまったのには変わりはない。それもよりもよって、彼女の目の前で。
「あ、朝比奈さん?」
 若干上擦った声で、飛び出してきた彼女――朝比奈みくるに問いかける。本人に対して、朝比奈さん? も何もないもんだが。
「く、くーん」
 か細い、今にも消え去りそうな声で、朝比奈さんが変な返事をした。よく見ると、いつものメイド服姿の朝比奈さんの頭に、ヘッドドレスとは別に白いもこもこしたものがついている。
「イヌミミ……?」
「ううう……」
 見つめていると、うめきながら恥ずかしそうにイヌミミメイドの彼女は両手で顔を覆った。そして、ゆっくりと、逃げるように箱の中に沈むように隠れていく。
 何をやってるんだこの人は――胸中でぼやいて、こめかみを人差し指でぽりぽりと掻く。 
「えーと……? 朝比奈さん?」
「今よ!」
 ガチャ! と勢いよく扉が開き、部室の中から、ばさっ、と何かが俺の頭上に向かって放り投げられた。
「どわっ!?」
 放り投げられたそれは、網だった。漁に使う投網――のようなもの。それが、俺に向かって放たれたのである。逃げることもできず、俺の頭上から網が覆いかぶさってくる。一瞬のうちに、俺の身体はまるで魚の如く絡め取られてしまった。
「なんでだっ!?」
 叫ぶと、俺に向かって網を放って来た馬鹿が、ぬっと文芸部室の中から姿を現した。
「どうよ、この依頼人絶対捕獲システムは」
 馬鹿が――我らが団長、涼宮ハルヒが、ふんぞり返って、ふふんと不敵に笑ってみせた。
「依頼人絶対捕獲システムぅ?」
 おうむ返しに聞き返す。するとハルヒは、そう、と深く頷いた。
「あたしはね、常々思っていたのよ。もしかしたら、あたし達がいつも楽しくやってるものだから、人が尋ねて来にくいんじゃないかって。扉の前で尻ごみしてるんじゃないかって。だからこうして――」
 いかにも優雅に、誇らしげに、といった様子で、ハルヒは、ついに朝比奈さんが完全に隠れてしまったダンボール箱を示した。
「みくるちゃんを餌……もとい、囮――じゃない、みくるちゃんの協力のもと、尻ごみしてるだろう依頼人に声をかけていこうと思ったわけ」
「うん。馬鹿だお前」
「で、どう? このシステム。いけてるでしょ」
「全然いけてない捕まえてどうするこの網はなんだどこから持って来たなんで俺に投げたいいからとっとと外せこの網」
「息継ぎ無しでよくまくしたてられるわねー」
「おい」
「はいはい。まあ、このシステムはなかなかの出来ね。これならすぐに実戦に投入できるわ」
「すんな、やめろ」
「むー」
 頬を膨らませて唸るハルヒを、半眼になって睨みながら俺は肩をすくめて、わざとらしく大きく溜息をついた。

 そして、夕方。ハルヒとずっとお話をしていたせいでとんでもなく疲れてしまった。システムを諦めさせる代わりに、何故か片づけや戸締りなどを命じられ、部室に最後まで残ることになってしまった。朝比奈さんの着替えを廊下で待ち、彼女が帰ってから、最後に点検などをして帰る。なんで俺が、と思ったが、反抗するのもまたややこしいことになるかと思い、受け入れるしかなかった。
 ぽつん、と一人、部室の真ん中に立って、
「……帰るか」
 とつぶやくと、俺はのろのろと自分のバッグを持って、部室から出た。廊下には未だに、ダンボール箱が置いてある。
「…………」
 見つめていると、それだけで眉間に皺が寄っていく。なんてまたあほらしいことを思いついたのだろう。協力する奴も協力する奴だ。ハルヒに言われるままに箱と網を用意したあのあほ超能力者のニヤケ面を思い出すと、むかむかしてきてたまらない。あの野郎、明日は賭け将棋ですってんてんにしてやる。
 その他胸中で罵るだけ罵ってから、はあ、と溜息をつく。とっとと片付けて帰ろう。
 と。
 ごそごそ。
 ダンボール箱の中から、何か音がする。
 思わずダンボール箱から距離を取る。
 すると――
「わ、わー」
 ダンボールの蓋が開き、中から、ゆっくりと美少女が、現れた。
「……何やってんですか、朝比奈さん」
 半眼になって尋ねると、朝比奈さんは、ええと、と口ごもった。流石に、もうメイド服もイヌミミもつけていない。当たり前だが。もうとっくに帰ったものと思っていたが、何故ダンボールの中になど入っていたのだろう。せっかく片づけようと思っていたのに。
 半眼のままじっと――若干、呆れた気持ちで――見つめていると、朝比奈さんは恥ずかしそうにうつむき、そのまま箱の中に沈むように戻っていってしまった。
「いやいやいや」
 戻らないでくださいよ――中を覗きこみ、声をかける。箱の中で朝比奈さんはしゃがみこんでいた。
「どうしたんですか、いったい」
「……いえ」
 朝比奈さんは立ち上がらない。しゃがんだまま、両手で顔を覆っている。
「確かに何やってるんだろうあたしって思ってしまって……」
「……」
 かける言葉が見つからず、朝比奈さんが立ち直るのを待つ。数分待って、朝比奈さんはようやく立ち直ったらしい。ダンボールを持ち上げて――箱の底は実は切られており、上から被る形で中に入るようになっているのだ――朝比奈さんははい出るようにして箱の中から出た。
「……驚かせようと思ったんですけど」
 駄目ですね、あたし、と朝比奈さんは苦笑して嘆息した。その落胆ぶりにいたたまれない気持ちになりながらも答える。
「いや、驚きはしましたよ……? でも、どうして? さっきあいつらといっしょに帰ったはずじゃ」
 尋ねると、朝比奈さんは、うん、と小さく頷いた。
「嘘ついて、戻ってきたんです」
「嘘?」
 おうむ返しに聞き返すと、朝比奈さんは微笑み、照れくさそうに言った。
「ええ。今日中に提出しないといけない書類を忘れてたって」
「はあ。なんでまたそんな嘘を?」
 また尋ねる。口に出してから、さっきから尋ねてばかりだなと自分でも思ったが。俺の問いに、朝比奈さんはすぐに答えなかった。ほんの少し視線を彷徨わせて、迷うような素振りを見せてから、やがて、くすり、と人懐っこいような感じで、彼女は微笑んだ。
「……一緒に帰りたかったんです。キョンくんと」
 そう言って、朝比奈さんはダンボールの方に視線を向けた。古泉の書いた下手くそな文字を指さしながら、再度、俺を見つめてくる。
「拾って、くれますか?」
「……」
 俺は何も言えなかった。おずおずと発した朝比奈さんの言葉は健全に健全を重ねて成長した男子高校生メンタルの俺に非常に強烈な大打撃を与えたからである。まさしく会心の一撃クリティカルヒット。これで何も感じない奴がいたらそれこそそいつは異常者だ人間じゃない。
と――そんなことを考えてしまうくらいには俺の心は舞い上がっていた。かあっと燃え上がるような照れくささがこみ上げて来て、俺は誤魔化すように頬をぽりぽりと掻いた。
が、俺が何も言わないのを、朝比奈さんは違う意味に解釈したらしかった。途端に少し顔を伏せ、悲しげな眼でこちらを見つめてくる。
「……迷惑でしたか?」
「そんなことないです!」
 つい、かぶせるように大声が出てしまった。気づいて、慌てて、口を押さえる。驚いた顔をした朝比奈さんに対して、すみません、と小声で謝ってから、改めて、言いなおす。
「迷惑なわけないです。その、大変に光栄です……」
 もう少し気のきいた返答が出来れば、と思ったが、生憎とそんなことしか俺には言えなかった。どっかのニヤケ面だったらもっと気取った美辞麗句を並べたてるんだろうが、俺はあいつのようにはなれない。
 だが、案外これでよかったのかもしれない。
 朝比奈さんの顔を見て、俺はそう思った。
 嬉しそうに微笑を浮かべつつも、頬を染め、伏し目がちに恥ずかしそうにもじもじとする朝比奈さんの姿を見て、俺は本当に、そう思った。
「……このダンボール片付けたら、帰りましょう」
 微笑むと、
「……はい、帰りましょう」
 朝比奈さんは、優しく、微笑み返してくれた。


はい、というわけで久々に作品を公開ですね。
以前にツイッターの方で書きかけだったものを、時間ができたのでいじりました。
拾ってください、という箱に入った朝比奈さん絵は昔描きましたね。

これな

俺も拾いたい。どこかにいらっしゃいませんかね?

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