あたしが作ってあげるわよ編
「涼宮さんの作った御飯が食べたいです」
なんてことを、真面目な顔をして言うものだから。あたしは正直なところ、若干、呆れてしまった。
いつも色々してくれてることの感謝ということで、このあたしがお願いを聞いてあげるっていうのに、そんな簡単なことでいいだなんて。半眼になって、あたしはうめいた。
「あのねえ、そんなんじゃ労いにならないじゃないの」
彼は――古泉くんは、少し困ったような顔をした。
まあ、そもそも? 日頃の頑張りに報いてあげるわ――なんていきなり言ったあたしも悪いのかもしれないけれど、それにしたって、御飯を要求するのはどうかと思う。そりゃあ、変なことを言ってこないことについては、流石はあたしの見込んだSOS団の一員ね、と感心するところではあるのだけれど。それにしたって、御飯を要求するというのはどうかと思うわけよ。
「もうちょっと他の何かないの?」
「何か、ですか?」
「そ、このあたしがなんかしてあげるって言うんだから、もっとすんごいの頼みなさいよ。このあたしが喜んでしてあげたくなるようなの」
「はあ……」
困った、と言いたげな古泉くんの返事。指で頬をぽりぽりと掻く古泉くんの顔は、言葉と同様に困惑の色を隠せていなかった。
まさかそんなことを言われるとは、ってところかしらね。
勝手な想像だけど、古泉くんはそんなことを思っていそうだった。いつもニコニコしている古泉くん。あいつに言わせると、胡散臭くて何考えてるかわからない、ということらしいけど、あたしは胡散臭いだなんて思わない。何を考えてるかわからないなんて、とんでもない。こんなにとってもわかりやすい――いつもいつだって楽しんでるに決まってるじゃないの、ねえ?――顔をしているのに。今だってそう、非常にわかりやすい。
「ほらほら、言ってみなさいよ。なんかあるでしょ。何か」
「はあ……」
再びの生返事。少し迷うような素振りを見せた後、古泉くんはやはり困ったような微笑を浮かべながら、言った。
「しかし、僕としては涼宮さんの手料理を独占できるというのが、何よりも光栄で、特別なことになるのですが」
「…………」
そう言われてしまうと、流石のあたしも、返す言葉がすぐには出てこなかった。欲が無いというか、団員の鑑というか。呆れた、というわけではないけれど、それでもなんだか出鼻をくじかれたような、そんな感じがした。
「本当にそんなんでいいの?」
半眼になって、一応、確認する。じっと見つめながら。
「はい」
素直に、古泉くんは頷いた。微笑みながら。
「……」
にこにこと、古泉くんは笑う。あたしは、少し迷っていた。そんなんでいいのかしら本当に。
だが、古泉くんがそう望むであれば、その希望をかなえてやるべきなのだろう。奉公には報いなければならない。そういう褒美を彼が望んでいるのであれば、それに応えなければ。
「わかったわ。古泉くんがそれでいいなら」
肩をすくめてからそう告げると、古泉くんは、本当に嬉しそうに、ありがとうございます、と笑った。
週末、呼び出されて、あたしは古泉くんの家までやってきた。
有希のところと同じくらい高級なマンション。有希やみくるちゃんと同じく一人暮らし。どういう偶然か、みんな一人暮らし。高校生で一人暮らしとか珍しいと思うのだけれども、まあ居ないわけではないだろうし、家庭は色々なので、細かくは聞かない。団員の私生活の、握らなくてもいい部分は気にしないのがあたしのモットーだ。よほど乱れた生活をしていない限りは。幸いにもうちの団員達はだらしないのが居ないので――一人を除いて――そこは安心だ。
インターホンを鳴らして、古泉くんを呼びだす。お待ちしてました、と言う古泉くんの声が若干緊張の色を帯びていて、古泉くんにしては珍しいじゃないの、と思わず笑ってしまった。実際、出迎えてくれた古泉くんは、やはりどこか緊張を顔つきや態度からにじませていた。別にいつも学校で会ってるのに、どうしてそこまで緊張してるのかしら。
疑問に思いながらキッチンに案内されて、早速作ろうとしたものの。
流石に、勝手のわからないキッチンでは、いつものように作るのには苦労するかな――などと思っていたのだが、なんというか、それ以前の問題であった。古泉くんのところのキッチンはとても綺麗だった。ほとんど使っていないかのように。
実際、ほとんど使っていないのだろう。バイトが忙しいからと言い訳していたけれど、それにしたって、多少は使わないとせっかくのキッチンが痛んでしまう。せっかく有希のところと同じくらい凄いマンションなのに、もったいない。まあ、男子高校生だとこんなものなのかもしれない。見た目のイメージからすると、器用に料理などもしてそうなものだが。
(意外とズボラなところもあるし、古泉くんも男の子ってことかしらねー)
半分呆れつつ、キッチンの中を見回す。何があるかをチェックして、それから冷蔵庫の中を覗いてみる。
「……ええと」
思ったより、と言うか、思った以上に、物が無い。
「……」
野菜室、冷凍庫――覗いてみるが、大したものはなく。
「古泉くん、あたし、何か買っていこうか? って、言ったわよね?」
「はい」
「でも古泉くん、申し訳ないからうちにあるのを使ってください、って言ったわよね?」
「……はい」
言いながら睨みつけていると、古泉くんはさっと明後日の方向を向いた。
「ぜんっぜん、ないじゃないの」
「無いですねえ……」
どこか他人事のような台詞。流石にむかっとしたので、思いきり睨みつける。
腹が立つ。これでよくもまあ料理をしてくれなどと言ったものだ。
というか、普段はいったいどういう食生活をしているのだろう。
外食ばかりなのかしら。昼は学食で食べているけれど。
「…………」
いったいどういう生活をしているのやら。そんなことを考えたら、怒りもどこかへ行ってしまった。怒りではなくむしろ心配になってしまう感じで、あたしはとりあえず、天井を仰いだ。
古泉くんを連れて、近所のスーパーに来た。流石に何も作れないので、食材を買いに来たのだ。近所だと言うのに、古泉くんはほとんど来たことはないらしい。本当に、いったいどういう食生活をしているというのだろう。普段のイメージからかけはなれた思いがけないだらしなさに、買い物カゴに適当に野菜を――今日使うかはともかく――放り込みながら、うめく。
「まったくもう」
「……すみません」
横を歩く古泉くんのか細い声が聞こえてくる。言い過ぎたかな、と少し思った。そういえば今日は彼に対して、怒ってしかいないような気がする。
胸中でうめいてから、あたしは、こほんと咳払いをした。そして改めて、尋ねる。
「何か食べたいのある? なんでも作るわよ」
「えっ、あ……涼宮さんがお作りになるものなら、僕はなんでも」
出た。なんでもいい。そういうのが作る方にとっては一番困るのに。
「ま――」
まったくもう――思わず口から出かけてしまった言葉を呑みこんで、あたしはもう一度こほんと咳払いをした。怒らない怒らない。古泉くんのためなんだから。
「んー、そういうの困るのよね。だから、具体的に言ってくれない?」
努めてにこやかに、あたしはそう言った。
「え? しかし……」
「具体的に、言って、ね?」
あくまでにこやかに、ゆっくりと、そう告げる。
何故か気圧されたような顔で、古泉くんはうめくように答えた。
「はい……」
そのまま少し考える素振りを見せてから、やがて古泉くんは、おずおずといった感じで口を開いた。
「それでしたらその、肉料理を」
「肉料理?」
「ええ。がっつりと肉を、食べたいです」
最後の方はなんとも弱弱しい声色であったが。まあ、さっきよりはマシな返答だろう。方向性が定まるだけでもメニューは考えやすい。
「オッケー。なら最高の肉料理を作ってあげるわ」
そう言ってぐっと親指を立ててみせると、古泉くんはほっとした顔をしてみせた。そのまま彼はいつものように柔らかく微笑み、楽しみです、とつぶやいた。
彼の表情に、あたし自身も、少しほっとする。いつものように微笑んでくれてよかった。今日は古泉くんに報いてあげる日なのだから、彼の表情を曇らせたり、落ち込ませたりしてはいけないのだ。
よっし。やってやるわよ! 胸中で叫んでから、あたしはとりあえず、お肉売り場にダッシュした。
スーパーから帰ってきて。そのまま、あたしはキッチンで調理を始めた。
始めたのだが――
「……」
無言のまま、横目で見やる。キッチンの入り口に立って、こちらをじーっと見つめている彼を。すみません、という台詞が、今にも聞こえてきそうだった。あたしは、玉ねぎを刻む手を止め――目も痛かったからちょうどよかった――溜息をつきながら半眼になって睨むように彼を見つめた。
「古泉くん?」
声をかけると、彼は「はい」と返事をした。
「別に、見張ってなくてもちゃんと作るわよ」
「すみません、見張っていたわけでは……」
「じゃあ何よ。じっと見られてると気が散るんだけど」
「すみません。……ですがその、見たかったと言いますか」
「見たかった?」
「ええ。料理をしている涼宮さんを」
「……」
流石に答えに窮して、あたしは古泉くんの顔を、目を丸くして見つめるしか出来なかった。
何を言ってるのかしらこの子。
「とにかく、邪魔よ邪魔。向こうでテレビでも見て待ってなさい」
目元を手でぬぐいながら、もう片方の手で追い払う仕草をする。古泉くんは何か言いたげに口をもごもごとさせたが、結局は何も言わずに引き下がった。そのまま名残惜しそうな顔をして――犬じゃあるまいし――リビングに戻っていった。
「まったく、もう」
腰に手を当て、溜息をつく。
なんなのいったい。
うめいてから、もう一度溜息。
「……涙出てるとこ見られても困るのよね、ほんと」
このあたしが、玉ねぎなんかに泣かされてるなんて、恥ずかしいじゃないの。
うめくようにぼやいて、あたしはもう一度、玉ねぎと向かい合った。
みじん切りにした玉ねぎをフライパンで炒める。じっくりキツネ色になるまで炒めたら火からおろして、粗熱をとる。
冷えるのを待っている間に、今度は肉を準備する。
今日作ることにしたのはハンバーグだ。がっつり肉を食べたい、ということなので、ひき肉ではなくて切り落としの肉を細かく叩いて作ろうと思っている。
買ってきた牛肉の切り落としをまな板の上に広げ、包丁で細かく粗みじんにする。本当は凍らせてからやりたかったが、時間が無いので仕方がない。お腹を空かせた大きい子どもが待っているのだから、早く作ってやらないと。
細かくした牛肉をボウルに移してから、炒めた玉ねぎのみじん切り、生パン粉に卵、ナツメグ、と材料を入れていって、よく混ぜ合わせる。最初はざっと、それからかきまわすように、ビニル手袋をした手でしっかりと混ぜ合わせる。粘りが出るまでやるのがコツだ。ぐちゃぐちゃした感触はあまり好きではないのだけれど、これが後でとびっきり美味しいものになるのだから、少しくらいは我慢しようって思う。
肉をこねながら、あたしは不意に、古泉くんの言葉を思い出した。
(…………さっきのって、本気だったのかしら)
普段だったら――普段の彼だったら、お世辞にしても言わないだろうに、どうして彼はあんなことを言ったのだろう。そんな、普段と違う恰好をしているわけでもないのに。
あたしが料理をしているところを見たい、だなんて。
付き合いたてのカップルや、新婚の夫婦じゃあるまいし、何を言っているのだろう、彼は。
(……ひょっとして、舞い上がっているのかしら)
あたしが居るから?――まさか!
あまりにも、馬鹿らしいと言えば馬鹿らしい。古泉くんともあろうものが、そんな、みくるちゃんと組んだ時のアイツみたいなこと、あるわけがない。
「いやでも、あれは浮かれてる顔だったわね。なんとなくニヤニヤしてたもの」
ボウルの中で、思わず手に力が入り、ぐにゅっと肉が指の間から飛び出た。
そういう関係だから作りに来たわけじゃないし、そういう目で見られるような存在ではないのだ、あたしは。神聖にして不可侵なるSOS団団長をなんだと思ってるのかしら。向けるなら尊敬のまなざしを向けなさいよね。まったくもう!
むかむかした気持ちをぶつけるかのように、あたしは力任せに肉をこねた。無言のままこねにこねていく。出来たたねをいくつかに分ける。分けたものを、サラダ油を塗った両方の掌に交互に叩きつけて空気を抜き、小判形に整えていく。それぞれの真ん中の部分を指先でへこませたら――古泉くんの顔を思い浮かべながらぐりぐりやったのは内緒だ――あとは焼くだけ。
「……テーブルを拭くくらいはやっておいてもらおうかしらね」
うん、と頷いてから、あたしは大声で古泉くんを呼んだ。
出来たてのハンバーグを、彼の目の前に置いてやる。御飯と、小鉢に入れたサラダも。
「わあ、美味しそうですね」
「当たり前でしょ。このあたしが作ったんだから」
ダイニングテーブルで、彼と向かい合うように座り、ふふん、と鼻を鳴らすと、彼はありがとうございます、と微笑んだ。
「ところで、涼宮さんの分がないようですが」
「え? あたしはいいのよ。そんなにお腹空いてないし」
「はあ……」
申し訳なさそうな顔で、彼は指で頬をぽりぽりと掻いた。いいのよ、と念を押すように言うと、古泉くんはとりあえず、納得してくれたようだった。
「では、いただきます」
古泉くんがハンバーグを食べるのを、両手で頬杖をつきながら見つめる。家族以外に手料理をふるまうのは、随分と久しぶりな気がする。美味しいと言われる自信はある。いや、美味しいに決まっている。このあたしが美味しいと思うものは、他人が食べても美味しいはずなのだから。
だけど古泉くんは、美味しいとは言わなかった。口に含んだ瞬間、彼はわずかに目を見開いて、それだけだった。
(ひょっとして、口に合わないのかしら……)
そんなことが頭によぎった。が、すぐにそういうわけではなさそうだということにあたしは気づいた。
もぐもぐと口を動かす古泉くんの顔は、見てるこっちが照れてしまうくらいに幸せそうだった。文字通りほっぺたが落ちたというかなんというか。まるでみくるちゃんのお茶を飲んだ時のキョンみたいにしまりがない。流石はあたし特製ハンバーグ。美味しくないわけがない。
それにしても普段の雰囲気は本当にどこへ行ったのやら。今の締まりのない顔といったら。もしかして普段はかっこつけてるだけで、これが素だったりするのかしら――なんて思ってしまう。
(まさかね……)
古泉くんから視線を逸らして、思わず苦笑い。
きっとそうではない。顔がゆるむほどに、あたしの料理が美味しいのだ。そして、顔がゆるむほどに、古泉くんは美味しいと思ってくれているのだ。
「美味しい?」
訊いてみる。すると古泉くんは、慌てて口元を手で隠しながら答えた。
「あ、すみません。美味しいです。とっても」
「知ってるわ」
ニコリと笑いながら告げると――自分でも少し意地が悪いかな、と思ったが――古泉くんは困ったように頬を人差し指でぽりぽりと掻いた。
「ま、それだけ美味しそうに食べてくれると、作った甲斐があるってものね」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
古泉くんは恥ずかしそうに微笑み、そしてまたハンバーグを食べ始めた。彼の食べている様子を眺めていると、充実感があった。喜びがあった。あたしの料理で、普段見せないような顔を見せたというのは、とても気分が良かった。
だから――あたしの口からこの言葉が出たのは、とても自然なことだと思う。
「なんだったら、また作ってあげてもいいわよ」
そう言ったら、彼は最初きょとんとして――そしてすぐ、嬉しそうに微笑んだ。