何者なのかという話
こんにちは、あむごなです。
このnoteを書いているのは新年度一日目が終わろうとしている頃です。
今日私は大学の新年度開始に向けてのガイダンスを受けてきました。
あむごなは大学の最終学年になります。
皆さんは卒業というイベントはどのような印象を持っていますでしょうか。
………私は卒業というイベントがすごく苦手です。
小学生の時も、高校生の時も、卒業が苦手でした。
どのくらい苦手かというと、卒業の約1年前 そうです新年度開始してすぐからぐずぐずと泣いてしまうくらいに苦手です。
お分かりでしょうか。はい。今日も私はガイダンスを終えて帰宅してから泣きました。ええ。それはもうたくさん。
辛くて、苦しくて、どうしようもないくらいの苦痛を感じるのです。
ようやく少し落ち着いて来たので色々考えました。
なぜこんなにも辛いのか。
なぜ周りは平気なんだろうか。
もうひとつ皆さんに質問です。
皆さんは何者ですか?
何者かと聞かれてなんて答えますでしょうか。
○○大学の学生です。
○○会社に務めてる人間です。
あるいは
カメラが趣味な人間です。
優しい人間です。
几帳面な性格の人間です
など様々な答え方があると思います。
ちなみにあむごなはこう答えると思います。
"○○大学で薬剤師になるため薬学を学んでいる人です。"
自分の存在の定義を外側に託しすぎない方が良い。
さて、なぜ私が卒業が苦手かという話に戻しますね。
最後の年、最終学年、残り1年という言葉が何度も私の心を攻め立てに来てとても辛いのです。
なぜなら私は、私という存在の定義 私が何者であるかということを外側に託しすぎてると気づきました。さっき。笑
ふざけてないです、大真面目です。
どういうことか。
私は先程、あなたは何者かと問われたら
○○大学で薬剤師を薬学を学んでいる人です。と答えると言いました。
でもこの答えはあと1年しか使えないのです。
外側に託すと言いましたが、言い方を変えると所属するコミュニティが自分の存在を明確にしている でしょうか。
…分かりにく。。
私達は一人で存在はしていますが、周りからの認知によって存在が確立すると思うんです。
だから何らかのコミュニティに所属するわけです。
○○さんの子供とか、○○大学の学生さん、○○さんの友人、○○会社の社員さんとか、、沢山の呼び方がありますね。これが自分の存在をより明確にしてくれるのです。
私は○○大学の学生であることで、そのコミュニティで存在を認知され 存在している事をより明確なものにしているのです。
しかし私はあと1年で卒業予定です。
○○大学の学生といえなくなり、私の存在を保つのに必要なコミュニティが不確かなものになるのです。
小学生の私も高校生の私も、そして大学生の私も、
卒業が近くなると 自分の存在が揺らぐ事に脅威を感じ苦手でした。
コミュニティはいくつでも所属出来ます。
家族、学校、会社、習い事、趣味など沢山の人と関わる場所があります。
私は家族以外には学校しかありませんでした。
だから卒業の度にこんなにも苦痛を感じるのです。
苦痛を和らげるためにはコミュニティは複数所属する方がいいのだと思いますね。
そしてもうひとつ。託しすぎないことですね。
もう一度聞きます。
あなたは何者ですか?
学生?会社員?主婦?なんて答えますか?複数出てきますか?
託しすぎないこと。
あなたは会社員である前に、あなたであることを絶対忘れないでください。あなたには名前がありますよね?
本当はコミュニティなんかなくたっていいんですよ。
複数所属してなくたって、ひとつだって、ゼロだっていい。あなたはあなたとして今ここに存在しているし私もそうなんです。
ただ寂しかったり誰かと共にありたいと思えばコミュニティに所属すればいいんです。そしてどのコミュニティにいようが誰と居ようか、あなたはあなたでいい。
託しすぎないこととはそういうことだと思います。
あむごなはあむこなです。
自分は自分を卒業はしません。
存在が揺らぐ事などないんです。
もう卒業を怖がらなくていいんだ。
そんなこと思った新年度一日目でした。
とはいえすぐにはいそうですかなんて言えませんけどね。笑
やっぱり卒業は別れって感じ切ないです。嬉しいものでもありますが、関わりが途切れてしまう人がいるのが現実ですし。やっぱり寂しいものです。
だから最終学年ってやっぱり気が重いですね。
あむごなは結構寂しがり屋なんですよ。笑
皆さんは何者ですか?
よい1年になりますように。
それではまた。