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善と悪を定めるものは不理解者(物事の捉え方の本質)

善悪は、理解そのもので、

理解そのものとは、陰陽そのもの。

この意味が分かるだろうか?

陰陽とは、理解するもの、と言うよりは、

理解そのものを生み出すもので、

理解そのものを生み出すものとは、

善と悪そのもの。

善と悪は、

個人感(主観)を抜けば、

性質そのもので、

性質とは、

理解の根元と通じる唯一のもの。

その唯一のものの始まりは、

善と悪に通じる、

光と闇で、

光と闇は、

性質が違うからこそ、

そこに考え方と在り方の違いを、

どうしても生んでしまう。

それは、

良い悪いと言うものではなく、

どうしようもないもの。

そのどうしようもないものを、

分かりやすく言うと、

男に生まれれば、男の考え方が主となり、

女に生まれれば、女の考え方が主となる。

と言うことで、

そう考えると、

善と悪もそれと同じで、

善に生まれたのなら、善の考え方に自然となり、

悪に生まれたのなら、悪の考え方に自然となる。

稀に、

外見と中身が違うものもいるが、

それでも、

捉え方や考え方は同じなので、

理解と言う視点から考えるのなら、

そこには対した問題はないし違いもない。

なので、

そういう現象に対して、

逆らうことの方が、

むしろ不自然で、

何も知らないことが、

その不自然を自然に変えようとする。

これは、

無理矢理な正義の押し付けと、

無理矢理な悪の押し付けでもあり、

性質の本質を知らないものほど、

自身の性質を正しいと決め付け、

無理矢理相手に自身の性質と同じものを、勝手に押し付けようとする。

これは、

そもそも論からの間違いで、

その間違いは、

時代に多大な影響を受けるもの。

それは、

時代が善性を主とするのなら、

善性の押し付けが強くなり、

時代が悪性を主とするのなら、

悪性の押し付けが強くなる、

と言うことで、

そう考えると、

正しさなどあってない様なもので、

あってない様なものを主とするからこそ、

何も分からなくなるのである。

あってない様なものとは、

白黒で決めることで、

白黒で決めないことが、

無いものを有るもの変える。

全ては逆転させることで、

答えを導くからこそ、

本質を知らないことは、

只の勘違いと只の迷惑でしかない。

本当の理解とは、

あくまで個人のベースを知ってこそ生きるもので、

個人を無視した固定概念の押し付けは、

そもそも論からズレているのである。

結果、

今の時代とは、

その全てはメチャクチャであり、

あべこべそのもの。

そのあべこべを知らないからこそ、

争いは余計に加速し終わらなくなる。

なので、

この善悪を更に詳しく説明すると、

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