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救えない人々は制限の中にいる(モテると持てるは、特権の価値)

この世界には救えない人が多すぎる。

何故なら、

色々なことに囚われ過ぎているから。

例えば、

好きな人、気になる人ができても、

声すらかけられない。

勇気がないから?

自信がないから?

恥ずかしいから?

人の目が気になるから?

相手に相手がいるから?

相手に迷惑だから?

プライドがあるから?

負けたくないから?

そうやって常に、

自身に囚われ、

先にことを気にして、

動けない自分を作ってしまう。

でもさ、

気になるって何だろうね。

気になるって、 

そんなに安っぽいものかな?

そんなに自身を守りたいのかな?

気になるって、

安っぽいものではなく、

自身の心の本当の叫びだよ。

だから、

そこに抑制をかけること。

本当は何の意味もないんだよ。

だけど、

世の中はそこに平気で蓋をする。

人は、

一人の人しか愛したらいけない、

浮気はしてはいけない、

相手を裏切ったらいけない、

自身の考えは簡単には譲れない、

それは、

何かを得るほどに、

その反対側に、

いけないことやできないことを簡単に増やすこと。

これって本当に良いことなの?

何かを得ることって、

できないことを増やすことなのかな?

ほとんどの人が未熟過ぎるから、

何もかもを、

いけないものとしている?

いけないものを増やすことってさ、

未熟者のすることで、

未熟者がすることと、

成熟したものがすることは、

同じじゃないよ。

と言うか、

同じとしてはいけないよ。

そもそも同じでもないし、

安易に同じにすることは、

制限ばかりを生み出し、

そこに夢と希望を無くすもの。

だからこそ、

そこを同じと考える程に、

大切なこと程、

何も分からなくなる。

それが、

未熟者のすることで、

未熟者がすることは、

常に本末転倒なんだよ。

裏を返せば、

成熟した者がすることが、

清濁併せ呑めることだよ。

清濁併せ呑めるからこそ、

そこには普通では得られない何かがあるんだよ。

それは、

深ければ深い程に、

価値となるんだよ。

価値は、痛みから生まれていて、

痛みは、苦労から生まれているんだよ。

そういうこと分かってるかな?

分かっていないからこそ、

失礼なことばかりを平気でしてるんだよ。

正解と不正解は常に裏返しだからこそ、

礼儀を怠ることが、

無礼となるんだよ。

本物程、その世界にしかいないんだよ。

だからこそ、

清濁併せ呑むことは簡単ではなくて、

簡単ではないからこそ、

清濁併せ呑める人がいないと、

何にも良くならないって本当に分かってるかな?

白黒から物事を捉えているからこそ、

全ては足元からおかしくなっているんだよ。

だからね、

本当にできることって、

枠に囚われないことで、

枠に囚われないことは、

できることを増やせることで、

できることが増えているのに、

できることが減ることって、

おかしいことなんだよ。

これがおかしいって分からないことは、

異常なんだよ。

異常とは、一般認識に偏る程、生まれるものなんだよ。

だからね、

できるとは、

苦労した人の特権で、

特権を安くみるからこそ、

全てがおかしくなるんだよ。

これは、

そもそも論の話でさ、

できるとは、

全てを裏返せてこそのものなんだよ。

だからね、

全てのおかしさは、

個人思想から生まれる社会思想に囚われることから生まれていて、

社会思想は人を縛るんだよ。

社会思想に囚われることは、

本当の意味で、できていないからなんだよ。

できていないからこそ、

社会思想は煩悩を増やすだけで、

煩悩しか増えていないからこそ、

全ての理想を逆としているんだよ。

それが、

支配と強欲から生まれる、

俺もやってるんだから、
(俺こそ正しさ論)

お前も我慢してやれ、だよ。

これがそもそものおかしさでさ、

許される範囲を増やせることが、

本当のできる人がすることなんだよ。

それができるからこそ、

人生は面白いんだよ。

面白さとは、

絶対的なものを裏返せるからこそのもので、

それは、

白黒の中にはなくて、

特に白の中にはないんだよ。

黒の中にこそ、

人が簡単に真似できないことがあって、

人ができないことが平然とできることが、

面白いんだよ。

それこそが人の目指すべき道であって、

それが、

人徳であり、人格者のすることではないのか?

誰もが憧れるものが、

人格者ではないのか?

表と裏を簡単に裏返してしまうからこその、

改革者ではないのか?

未熟者しかいないから、

良いを悪とし、

悪を良いとしていないか?

全ては簡単に裏返るって知っているのか?

知らないからこそ、

下らないことを平気で良いことだとしていないか?

それは、

どれもこれもが、

結局はどんぐりの背比べだからではないのか?

本物は簡単には生まれないからこそ、

替えなんてないんだよ。

裏を返せば、

替えがきくものばかりだからこそ、

それに囚われることで、

根底からおかしくなるんだよ。

そう考えると、

全ては足元からおかしくなっていて、

これって、

本当なのかな?

って考えを改める必要がないか?

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