#今 わたしにできること。
#今 わたしにできること。
⏹️できることをすること。
⏹️今しか行えないことをすること。
2020年は世界中に異変の帳が降りてきた。
対岸の火事ではないと知ると、誰もが震撼してしまった。
未曾有の出来事とはそうしたものだと頭では知っていたのに、
初めて体験した人類の未体験の歴史の一頁がそうして始まった。
⏹️考える時間が与えられた。
自粛、自粛、自粛。
そう言われて二つの反応がある。
病は気から!と言ってこの感染症を軽く観て、自分の気持ちの持ち方次第だと言う知人がいた。
それは、過去のスペイン風邪をただの風邪と見ていた人と似ている。
私たちの未体験の出来事はそのスペイン風邪を越して塗り替え、更新し、今でも一部の場所では拡大することを諦めていない。
⏹️正しく怖れよ!
スペイン風邪の時よりも更に遡ること二百年も前のこと。
と言えば、つまり今から三百年前の頃、江戸時代のことになる。
そのようにして、『正しく畏れよ』と唱えた知識人が日本にもいた。
ただイタズラに何も知らずに恐れるのでは無く、
その実態を良く調べ学び良く弁えた上で怖れることは、恐怖では無く畏敬の念から生じる。
しかし、人は昔の方が述べたように『忘れられたパンデミック』なのである。
この度も同じ傾向が観られる。
⏹️自分は大丈夫!自分だけは掛からない!
それは、本人が罹患してみて、
初めて怖さと不安と死への恐れから心が縮こまるのだ。
⏹️人は振り子のように。
体験や見聞きした人は、極端に動く。
右へ揺れ、左へ戻り、また右へと揺れる。
⏹️中庸であること。
人はそれに振り回されている間は、中庸を弁えない。
ニュートラルにすることを忘れた運転手のパニックと似ている。
⏹️今出来ること。
そして、
⏹️今しかできないこと。
時間がたっぷり与えられた。
コチコチと音を立てて私達を支配する時計の針に放り回された生活を余儀なくするほどのモノを
誰がそれを止め得よう?
一地域や一個人の思想や考えではない。
オールアラウンドなのだ。
グローバルなのだ。
世界中がストップさせられた。
地球上のドクターストップのように。
一瞬でも立ち止まり考えて見なければならないときなのだ。
そのまま、歩くことを忘れる人もいた。
毎日、空を見上げては心配している人のように。
或いは、走りながら考えると言う人もいる。
何も考えられないと言う人もいた。
⏹️自分で見つけたモノ。
心まで侵食された感染症は人と人とを隔絶しただけで無く、
人と人との心まで遠ざけ始めた。
ある人は怒りっぽくなり、喧嘩を始めた。
レストラン事件を知った。
何をしにそこへ行ったのか?
それを食べている途中、彼らは忘れてしまったのだ。
大声で叫ぶ人。
ムンクのように。
ウイルスが出るからやめてくれ!
そう言われながらも。
⏹️砂浜で見つけた光る小石。
一人で浜辺を散歩してみればそこに答えがある。
この貝殻はここまでどうやって来たのか?
砂浜の小石はみながみな、丸くなっている。
一人で紅葉の綺麗な木々が自分を出迎えてくれる。
木の葉っぱって、こんなに綺麗なものだったのか。
まるで、各々に紅葉した木の葉は山のカンバスから抜け出た手紙のようだ。
⏹️人は1人1人。
生まれる時も、死する時も、裸で生まれて、裸で帰っていく。
命の意味と
尊さと
尊厳を賦与されて
あなたにも
わたしにも
1人に1つだけ与えられた。
例え、平等とは思えなくても、公平です。
それは、画一的では無いこと。
オンリーワンは、ワンマンに成ることでは無いのです。
⏹️何もしなくても歳は取っていく。
⏹️何かすべきことを自分で見つけてそれを行えば、時は過ぎていく。
そうやって、どんな時もこの地球は回っているのです。
蝉は何年も掛かって地表に出てくると、甲冑を忘れて旅立った。
ピンクのバッタはもう直にボクはさよならするよとわたしに告げた。
天からの白い粉が舞う前に。
©️words/shanxi(394),06 October 2020.