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【にゃん4話】2/18東京11R・フェブラリーS(バイトリーダーN)

いよいよ今年最初のG1であり、この「喫茶ラムネ」では記念すべき最初のG1コラム。ここんとこいろいろありましたが、なんとかG1に間に合いました。舞台は変われど、決して着飾らないいつも通りのコラム。お初の方も、その長さはご容赦いただき、どうか最後までご覧ください!

§1.いつの世も、下衆いものが…

喫茶ラムネにバイトリーダーとして勤務して1週間が経過した。

ここまでのオラの働きぶりは、
トイレ掃除…B
トースト焼き…E
競馬予想・コラム書き…C

と女店主の評価はまばら。

人には向き不向きというものがあり、YOUさんもこないだ「人は花じゃないんだから、置かれた場所で無理に咲く努力をしなくても、綺麗に咲ける場所を自分で探すことが出来る」と、仕事について論拠。

んだんだ、その通りだ。

とオラもこれにすこし慰められ、ほどよく自己浄化しながらも、現実、トーストがうまく焼けない実力不足はすこし悔しいので、これから技術を習得して、経験を上積みしていくしかないと一念発起。もはや若手ジョッキーと一緒。

週中に、「パワフルガーリックトースト」の実験をして、開店前の店内をキョーレツなニンニク臭まみれにし、思わぬバイトテロに女店主がいい感じで「般若の面」となったのだが、いいや屈することなかれ。パワフル魂とDotheド根性。これもひとつの経験として、今後もやれることをやっていこう。男は汗かいてベソかいてGo!

そんな中、いまのオラがやっていることとして、もうひとつ

・新聞・雑誌面の充実

これにも注力している。
毎日の日刊スポーツだけでなく、木曜日には週刊文春を購入し並べ、箱根駅伝が特集となっているスポーツ雑誌「Number」、毎年2月名物の「プロ野球選手名鑑」。さらに雑学として、「申請するだけでもらえるお金にまつわる本」と、すべて自前だが、豪華ラインナップで来店客のニーズを満たそうとこしらえる。これがあれば相当に時間を潰すことができ、ちょっとサボりたいサラリーマンたちのオアシスとしては十分。今どき珍しい「全席喫煙可」の喫茶店として、極上の一服・サボリライフが堪能できる。
どうぞご堪能ください!

あなたの休憩を、より充実したものに!

というか、完全に自分の趣味であり、そのターゲットは世の「おっちゃんたち」の一点買い。まあ、それでいい。来店するオバチャンたちは誰も本など読まず、みんな止めどなくくっちゃべるのだから。なので、ひとりで来店するオッサンが思う「あったらいいな」を体現しているだけ。

並べて一週間が経ち、来店客に変化も。
来店するや否や、すぐに日刊スポーツを手に取って着席するおっちゃんが目に付くようになってきた。これぞ努力のたまもの。千里の道も一歩から。嬉しいではないか。

そして、日刊スポーツを5分で読み終えて、次に手に取るのは「週刊文春」。どういうワケか、みんな「週刊文春」に手がいき、他の雑誌には手を触れた形跡はない。

まあ、いまは「週刊文春」でしょう。
これは世の誰もが抱く印象であり、古いジャーナリズムの旗の下、時代の急先鋒として、社運を賭けて令和のお笑い界の天下人・松本人志のタマを獲りに行くべく全軍総攻撃。その結果、世論も傾き、彼を支えるスポンサーは次々と降板、その牙城はいま脆くも崩れ去ろうとしているのだから。その一挙手一投足、矢継ぎ早に放たれる「文春砲」に、市井の我々もついつい興味がそそり、「うお~またやってるなぁ~」と戦況を見つめてしまうもの。

だが、そこに正義はないのよ。
「松本さん、ちょっと前にホテルであんな飲み会やってたみたいですが、それっていいんですか?」という倫理観の是非を問うものではなく、表に出すのは「実際に飲み会で犯されたって言ってる女性がいますよ~」とアナウンスしているだけであって、それ以上の事はなんにも正さず、いい悪いは一切問わない。あとは雑誌の部数が伸びればコンプリートというもので、その時限爆弾を仕掛けるだけのお仕事。このスタンスは案外とブレていないのだ。

もはや、松ちゃんが怒ろうが崩れようが閉じこもろうが、文春にとっては関係ない。「本が売れればよい」のだ。

そんな文春の真の狙いに、自分も含めて「下衆い」我々はみんな興味津々。毎週のように文春は品切れ・増版ラッシュ。5億円の損害賠償を求めて松本側が本訴を申し立てたとしても、事実関係からすれば松本側の完全勝訴はあり得ないだろう。おおむね3億円前後で和解案を締結して事件終結となっても、これだけ毎週莫大な売上を挙げる文春としては痛くとも痒くもなく、必要経費の範疇。むしろ変に利益をたぶらかすよりも経費かかって節税効果が見込めて訴訟も弁護士もドントコイタカトモ。ミッションとしては大成功の域に。

松本人志としても還暦を迎え、その昔55歳でスパッと芸能界を引退した島田紳助のような生き様をリスペクトしていることから、

「もういつ辞めても良い」と思っていたところで、「あーちょうどええな。もうええわ」と、和解金握って第一線から消え、好きな人生筋トレ三昧のストーリーも悪くないと描いているだろうことから、こんな唐突に本能寺の変を起こしてくれた明智文春には一定の怒りはあるものの、これで「楽」しかないし、落としどころとしては「利害一致」と言ったところか。

思えば、この「下衆い」記事が大好物なのは、令和のいまだけでなく、昭和の終わりの頃でも一緒。

38年前の1986年。
人気絶頂のビートたけしが、遊んでいたオネェチャンに関する記事について、記者が取材という名目で暴行まがいの事をした記者に腹を立て、たけし軍団総出で講談社に乗り込み、集団暴行を加えた「フライデー襲撃事件」が蘇るが、この時も時代の寵児は写真週刊誌のフォーカス・フライデー・フラッシュのいわゆる「3F」がしのぎを削っていて、当時小学生のオラも、親父が本屋から買ってきたこれらをガン見していて、幼心ながら人間のもつ「下衆い」ところを程よく勉強させてもらったもの。

赤塚不二夫が夜の街でオネエチャンと本番三昧のところを突撃取材して、全裸の赤塚先生のチ○コが丸映しになっていた(もちろん黒棒処理はあり)、変なエロ本よりもよっぽど衝撃的でしたわ。

いつの時代も大物のタマを獲るのは、売上増の為に守りを棄てる全力の週刊誌であり、我々大衆は、より過激なゲスいゴシップを求めて買い漁る。それは令和だろうが昭和だろうがその本質はおんなじ。にんげんだもの。

ただ、令和の今回は「同調圧力」と「コンプライアンス」によって、松本の牙城は想定よりも早く崩れたのは、これまた時代の犠牲者か。38年前ならたけしも勝新太郎も、どんなに遊ぼうがその牙城はビクともしなかったというのに。。。

と、脆さこそ違うものの、歴史は繰り返すものだ。



§2.「砂塵」であれ

この松本人志に対する「文春砲」は、つぎつぎに女遊びに明け暮れる大物を刺すことが正義という「私人逮捕」的な空気を呼び込み、あちこちに波及しているが、その刃が向けられた一人が、長渕剛。

これに対して長渕は、自己の非を認めつつも、マスメディア避難に涙したと自分の人生の「美化」に徹し、お前らが解ってくれなくたって、俺についてきてくれる奴らさえいればいいと「長渕ブランド」を守り通すことに徹したのは、もう全力で戦う事に疲れたある種の「悟り」だろう。

そして、最後に彼は下記の想いをしたためる。


オラは長渕剛に対してはいたってニュートラルな感情であり、生粋のコアファンでも何でもないのだが、この

俺は一粒の砂塵であれ、と。砂にまみれて誰がどうであったとか、生きた痕跡がどうであったとかって言ってるけど、そんなこと関係ないと。“10年も20年もすれば何もなかったことになるんだから。

という考えには、一定の納得はできる。
ここのところ、オラは壮絶な病気や離職・決別を経験しているだけに、そのへんについては平和に時間が流れている頃よりも若干センシティブになっているからなのかもしれない。

この地球の歴史からすれば、自分が生を受けた数十年なんて、何の影響も与えることもない、そんなちっぽけすぎる存在、いわば「砂塵」のよう。
もう少しフォーカスすると、自分が一生の中に於いて、どんな出会いや別れを経験したって、自分が死ぬ瞬間はたったひとりであり、しばらくすると、世の中はあたかも自分が存在していなかったかのように「風化」され、諸行無常にまた現世は回り続けることから、一粒の「砂塵」のような存在であることは、一定の肯定はできる。

会社でもそうだろう。突然入社してきたと思ったら、次の月には休みがちになって、気づけば辞めていた奴。いままでたくさんいただろうが、そんな奴らは我々はいつも「砂塵」のような扱いをして、いつしか「風化」しているではないか?

風に吹かれて、風に身を任せ、やがてその身を閉じる「砂塵」。

そういえば、明日の府中でも、幾多の砂塵が巻き起こるではないか。
我々競馬人は、なぜこれだけ砂に魅了されるのだろう? これをふと考えたとき、我々自身がそんな「砂塵」の一粒にすぎないことを、実は本能が悟っているからなのかもしれない。

中央競馬、年に2度の「砂の祭典」。フェブラリーS。
そして、スタンドにも日本中にもこの難しいレースを仕留めたい、そんな「砂塵」たちの戦い。さあ、行こうか。


§3.歴史が繰り返すなら…

人間の本質である「下衆さ」を、先の§1では触れたが、このフェブラリーSについても「歴史は繰り返す」がまかり通る部分はあり、ここ数年毎年叫んでいる「G1としての権威の喪失」もまたそれであり、昨年のサウジカップのパンサラッサの勝利によって、その喪失ぶりは顕著。

真の砂王者たちは、みんな中東行脚であり、四半世紀前の、メイセイオペラが中央の有力馬たちをなぎ倒して王者に君臨したころの「権威溢れるダート界の最上級レース」フェブラリーSは、もうそこには存在していない。

まあ、最近は毎年このコラムで書くことなのだが、東北人代表として四半世紀前の1999年、オラはメイセイオペラと一緒にみちのくから東京競馬場入りして、パドックでもメイセイオペラの雄姿を確認したまでは良かったが、いざ馬券購入の前。
「待てよ。メイセイが勝ったらそれはそれでハッピーの結末ではないか。どうせならハッピーになる結末は多ければ多いほどいいではないか?」と立ち止まってしまい、結局、ライバルだった中央1番人馬・ワシントンカラーから馬券を購入するという暴挙に。

レースではメイセイオペラが先頭で駆け抜け、オラは岩手の友人と表面上は狂喜乱舞。イサオコールにも参加はしたが、勝者の殿堂・払い戻し機の前には友人と一緒に並べず、「あれ?なにお前馬券買ってないの? 何しに来たのさ~~」と呆れられる結末。これがスケベ心満載の馬券ジャンキーの成れの果て。

そんな若気の至りもあったが、あれから25年。フェブラリーSというレース自体は残っているものの、すっかりと様変わりし、権威もその意義もすっかり豹変してしまった。

けど、それを嘆いていてもしょうがないのだ。
我々馬券ジャンキーは、中央でも地方でも、駿馬でも駄馬でも、たとえネズミやゴキブリでもファンファーレが鳴ってゲートインすれば馬券を買うようにできている生き物。なのでレベルだの権威など偉そうに語ったって何にも生まれない。今いる16頭のうち、お金になる3頭が誰で、お金を失う13頭が誰なのかを見極められればそれでいい。

・レモンポップ、ウシュバテソーロ、ドライスタウト、エンペラーワケア、ウィリアムバローズらダート重賞ウィナーたちはいなく、既存ダート馬の「一流どころ」は不在。
・これはワンチャンある!と芝馬たちや地方馬たちがこぞってエントリー
・これによって、ダート界では能力上位と見込まれているオメガギネスですらギリギリの出走。

これが、今解っていることを箇条書き。

これだけダートの層が薄い面々で中央のG1のファンファーレを聴くのは史上初であって、その中でわざわざダート能力は随一と考えられるオメガギネスを「ハハァ参りました」と言いながら買う行為は、今回ばかしは得策とは思えない。

12月のチャンピオンズC→東京大賞典で、連続で馬券圏内にはいったウィルソンテソーロ、ドゥラエレーデ。これが人気順の助さん・格さんで、次に武蔵野Sではドライスタウトにコテンパンにされた老馬2頭・タガノビューティー・レッドルゼル。
確かにレッドルゼルは昨年の2着だが、川田ユウガが120点の騎乗をした「生涯目イチ」競馬によるものであり、タガノビューティーも近走不振で根岸Sスローとは言え負けすぎ。昨年の南部杯ではレモンポップに2.2秒突き放されていることからも、ベストはマイルではなく1400の可能性も。
そう考えると、この老馬2頭も、もろ手を挙げて◎を打ちたいとも思えない。

地方馬はどうだ?
NAR年度代表馬の兵庫・イグナイターだが、昨年のかしわ記念では7着惨敗、南部杯は2着と見た目の着順は良いものの、勝ったレモンポップとは2秒差。昨年のフェブラリーでは6着と地方馬再先着を果たしたスピーディキックだが、そこから未勝利であり成長曲線に疑問。

唯一のG1馬・キングズソードは東京未経験であり、左回りの中京でも2回ドボン。勝っているのはすべて右回りのコーナー4つと、サウスポー適性に疑問。

と、△は打ってよいという範疇にとどまり、◎を打って心中したいという気には起こらない。

△⑤オメガギネス
△⑭ウィルソンテソーロ
△④ドゥラエレーデ
△⑩タガノビューティー
△⑬レッドルゼル

△を打つのはここまで6頭としたい。

「歴史は繰り返す」1999メイセイオペラの地方馬戴冠アゲイン説はないものと見ている。


§4.「括ること」の盲点

括る(くくる)というのはとても便利な作業。多種多様な面々を、たった一つのカテゴリーで一纏めにしてしまえて、とても使いやすい。
具体例では「競馬大好き芸人」という括りであっても、

キャプテン渡辺のように馬券力が一般の馬券ジャンキーよりもひと際上回っている「ホンモノ」もいれば、古くは山田雅人のように、ひとりでエアグルーヴをクソ真面目に語っているだけで、なんにも笑えずただただつまんねぇ自己満芸人もいて、その本質は千差万別。なのに、こうしてひとつの括りにできてしまう。じつに楽な作業。

ただこの便利な機能の分、弊害もあって、たとえば「今年の3歳馬は弱い」とか大雑把に括ってしまうと、それですべての3歳馬が弱いという解決・満足・結論付けしてしまって、一頭一頭の本質を見極めるという大事な作業を怠ってしまうのがネック。雑になる。

で、今回、幾多の馬券ジャンキーたちによって括られている、というか先ほどオラも見事に括った「芝馬」といわれる3頭。G1馬シャンパンカラー、G2馬ガイアフォース、そしてG3馬カラテ。3頭とも芝の重賞を勝利するもダートのオープン以上は未経験のいわゆる「芝馬」だが、いっぺんに3頭もエントリーしてくる年は珍しく、ダート馬の面々がいつになく希薄ゆえ当然に色気を持って臨んでくるゆえの選択か。

で、この3頭を「芝馬」と、全国の馬券ジャンキーが「括ってしまう」ところに今回の最大の盲点があり、命取りとなってしまうような気がしてならない。

括られれば括られるほど「ホンマモン」の存在がより霞んでしまうもの。島田紳助は若手の頃、よく吉本NSCの講師として出向いたが、ダウンタウンだけは「ホンマモン」と判定。のちに、自分たちが「漫才では勝てないから」と漫才を辞めることとなった引導を渡したのがダウンタウンだったことは有名な逸話であり、要するに簡単に「研修生」「若手」と全員をくくってしまうと、見えるものも見えなくなるという事。

◎⑦ガイアフォース

この馬だけは、芝馬と括られているけれども、実の無類のダート巧者「ホンマモン」でしたという結末に終わる可能性を一番秘めていて、それでいて今だからまだダートで潤沢なお金になる、唯一◎を打ってよい存在だと思料している。


§5.血統面

ガイアフォースの父・キタサンブラックは、芝もダートも分け隔てなく走る偏りのない種牡馬であり、キタサンブラックだからダート適性はないというのは乱暴な議論。そしてこの◎ガイアフォースは、サンデーサイレンスの4×5のクロスが発生。母方にもきちんとSSはあり、ダートは走れないというのは乱暴。

母・ナターレは地方でダート重賞5勝のクロフネ産駒であり、産駒はガイアフォースを除くと中央デビューは2頭いるが、馬券圏内に入ったのはダートのみと、ゴリゴリのダート馬揃い。

◎ガイアフォースは芝を使って順調に勝ち上がって3歳時にダービー3着馬のアスクビクターモアを破ってセントライト記念制覇と、順風満帆でオープン入りしてしまったために、ダートを使う機会が一度もなくここまで来てしまったものであり、それでいて「芝馬」の3頭として括られている現状は看過できない。


§6.強心臓

杉山ハルキセンセイもさすがのもので、4年前の最低人気2着馬・ケイティブレイヴに続いて、厩舎の「調教助手」の長岡ヨシヒトをG1の舞台に抜粋。デアリングタクトの松山弘平なり、ミスニューヨークの加藤ショウタなり、可能な限り若手ジョッキーを使い続ける「根本」は健在。変な外人に乗せるよりも、デビュー時からずっと調教に乗っていた長岡ヨシヒトだから、馬と解りあえる。

これはもう漫画の世界であり、風のシルフィードで「バロン」に乗る若手0勝ジョッキー・浜野君の札幌記念挑戦のリアルバージョン。また4年ぶりにこうしてみられるのは嬉しくてしょうがないし、この「歴史は繰り返す」は十分あっても良い。そして、今度この「バロン号大激走」に出くわす時は、今度はオラは馬券を握っていたいと、ケイティブレイヴを獲り逃した4年前に強く思ったのだ。

「一度経験している」というのはとても強み。長岡ヨシヒトは4年前に府中の2月の大舞台を経験し、乗り越えたことは今回の大きな糧となるだろう。芝スタートで天性のスピードで先手を奪い、誰も壊さず48秒台で先手を奪い、あとはその隠し持つダート適性でスイスイと母父クロフネのリプレイ。「なんぢゃダート馬ぢゃねぇかよっ!?」と日本中が悲鳴に包まれるゴールの瞬間、ひとりで笑っていたいのだ。



§7.府中の芝を走れる者は…

2つ目の「歴史は繰り返す」は、2年前のソダシちゃん。

父クロフネ、母方にSSが入る血統面からも、ダートに適正はないワケないと思われていたが、前走のチャンピオンズCでは鬼門の1枠1番でスタートも悪く、かよわい乙女が厳しいマークでいじめにいじめられて12着ドボン。それでも舞台が東京マイルとなるとハナシは別だった。

ソダシは東京の芝マイル・アルテミスSでも快勝していたことからも、東京の芝で高いレーティングで走れていることは、このダートでも快走するためには恰好のエビデンスであり、現に東京マイルでほとんど砂を被らない外目の4番手競馬でスイスイと走り、結果を出した。

◎ガイアフォースも、昨年の安田記念で勝ち馬ソングラインに0.2差4着があり、秋天でもイクイノックスに1秒離されはしたが、57.7の2番手追走で5着に粘り通した走りは圧巻であり、これでポテンシャルが無いと謂う輩は、7年間くらい馬券は買わない方が良いだろう。

また、今回◎ガイアフォースが人気を落としている原因の一つとして、前走の阪神・チャレンジCでの1番人気ドボンが挙げられるが、このときのジョッキーが「右回りではまた手前を替えられなかった」と西村アツヤが泣きのコメント。9月のオールカマーでも同様の事象が発生していたことから、右回りではスムーズに手前を替えられず、パフォーマンスが落ちるという事が顕著であり、今回は左回り。直線で替える右手前から左手前と逆。今回は手前を替えられないでドボンというリスクは軽減する。

芝スタートから好スタートを切り、ドンフランキーに行かせて、ドゥラエレーデと並んでの好位2~3番手追走。ドンフランキー池添とてオバカではないので、イッタイッタであとは馬に聞いてくれという暴挙逃げはするとは思えず、ある程度抑えた逃げ。気づけば2年前のテイエムサウスダンのように、「1400m専用機でも1600mを粘り込める」で息の入ったペースで流れるだろう。

そんな流れを、4番手から3着に粘り込んだソダシちゃんのように前での粘り込みが◎ガイアフォースにも普通に考えられる。ソダシちゃんとは直接の血統的つながりはないものの、クロフネの「劣性の法則」をその毛色で継承している身であり、その遺伝子はダート適性についてもきちんと継承されていると見ている。「なぜガイアフォースが芦毛なのか?」意外と真剣に考えたことのない盲点のような質問だが、その答えは「クロフネだから」。


§8.まとめ

◎⑦ガイアフォース
△⑤オメガギネス
△⑭ウィルソンテソーロ
△④ドゥラエレーデ
△⑩タガノビューティー
△⑬レッドルゼル

2月・3月の中東のビッグレースの影響で、いま日本のダート界は「混沌」というとキレイすぎる表現なので体系が崩れ、「無茶苦茶」になっている。
ここ数年叫ばれる、このレースの出走馬たちの個々の質の低さは今年も顕著であり、質の低さがゆえに、例えば「チャンピオンズCでは大外枠は不利」等の「定説」も簡単にぶっ壊れるカオスにと、下級条件レースのように何でもよくなってしまった。思えば2か月前、レモンポップの大外枠に日本中が迷いに迷ったが、そんな定説などカンタンにぶっ壊れる。それが今のダート界。

しかし小生はスケベ心満載の馬券ジャンキー。そんな無茶苦茶な状況で普通にダートの人気馬に印を打っていくことは、セオリー的には正しいのかもしれないが、お得になる行為かどうかは疑問。超一流とは言えない人気馬にわざわざ重い印を打つよりも、綻びを見つけてそのほつれた糸を引っ張るほうが面白く、「芝馬」として括られて人気を落としている◎ガイアフォースに、
「杉山-長岡ラインによる4年前」
「クロフネの潤沢なダート適性を持つ芝馬が、ダートで開花した2年前」

この2つの「歴史は繰り返す」ことを夢見て、陣営の心意気と血統面をエビデンスとして馬券を買う。

そして問題は「買い方」。2年前のソダシにおいて、

ごらんの通り、単勝8.2倍に対して複勝が4.1倍と、カフェファラオとのワイドが19.8倍と、単勝こそ売れるものの、複勝以下連系の馬券では単勝ほど売れないという「芝馬アイドルホースの怪」を十分に経験しているだけあって、この◎ガイアフォースにおいてもソダシほどではないものの、この「単複の乖離」は長岡を割り引いても一定量発生していることから、今回は、複勝の割合をかなり大きく配分し、マーケットに潜む「穴」をとことん追求したい。

「芝馬」◎ガイアフォースがスイスイと勝ち、既存ダート馬たちはその層の薄さで適わないという、いかにも今らしい結果を受け、ますますレースレーティングが下降し、やがてフェブラリーSがグレード裁定委員会の議題に本当に登る日も遠くないかもしれないが、そんなのJRA職員が気にしていればいい事であって、我々馬券ジャンキーはそれほど正義ぶってため息ついたり、目くじらを立てることに、それほどの意義も意味も感じないのだ。

単勝 ⑦
複勝 ⑦ ズドン!
馬単・馬連・3連複・3連単 ⑦-④⑤⑩⑬⑭


とどのつまり、心底買いたい!と思ったのは◎⑦ガイアフォースの複勝のみ。そのくらい2年前芝馬アイドルホース・ソダシちゃんのオッズのアンバランスは心に残っているのでした。

お粗末ながら、10000文字弱。今年初のG1コラムでした。
それでは、良いフェブラリーSをっ!


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喫茶ラムネとバイトリーダーN
新体制、早く軌道に乗せたいと思っているので、よろしければサポートお願いします!(*^_^*) がんばって書いていきたいと思います。