X JAPAN YOSHIKIのメロディセンスについて
Xのソニー時代(以降も少し関わりますが)のディレクターで、6人目のXと言われた津田直士氏は、YOSHIKIのメロディセンスを非常に高く評価していました。
彼が書いたこの記事「津田直士「名曲の理由」 2nd Season 第3回 X JAPAN(後編)」を読むと、それがよく分かると思います。
美しく普遍的で、何にも似ていないオリジナリティのある、クラシック音楽の名旋律に匹敵する、100年後も聴かれるメロディ・・・
私がYOSHIKIのメロディをそう意識したのは、スポーツライターの小林信也氏が書いたYOSHIKIのノンフィクション作品である「青い血の微笑」、エピローグの津田直士氏の発言を読んでからでした。
これを読んで、私のYOSHIKIに対する敬愛はより深まり、そのメロディセンスは絶対的なものだと信じ続けてきました。
しかし、それは絶対的ではないことに気づいたのは割と最近でした。特に再結成後の楽曲のいくつかで「このメロディはYOSHIKIにしてはいまいちだな」と思う曲があったのです。
「I.V.」や「Hero」のサビメロは特にそうで、もしかしたらこの2曲はX JAPANではなく、VIOLET UKでやろうとしていた曲なのでは?と思ったほどです。X JAPANのバンドサウンドではなく、YOSHIKIのイメージ通りのアレンジであればこのメロディも引き立っていたのではないかと。
名曲を生み出した作曲家でも、年を重ねるごとにメロディセンスが衰えたのでは?と思うことがよくあります。ドラゴンクエストのすぎやまこういちも、ドラクエ11においては8分音符がずっと続く街の音楽などを聴くと「もしかしたら高齢でセンスが枯れた?」と思ったものです。
最も、昔の曲はよくて今の曲はいまいちと感じる現象は、昔は自分が新たな音楽に触れた感動を得た時の思い入れの補正も入っているのかもしれませんが・・・
もう1つ決定的なのが、「Silent Jealousy」のサビメロでした。「津田直士「名曲の理由」 2nd Season 第3回 X JAPAN(後編)」でも、ベートーヴェンの「悲愴」第2楽章に匹敵するものとして比較されています。
しかし最近この曲を知って・・・
イントロが「Silent Jealousy」そのままなのです。おそらくこの曲をYOSHIKIが昔聴いて、頭の中に残っている中で作曲し、サビメロができた時「昔聴いたこの曲と同じだ」と気づくことは無くそのまま世に送り出されたのかもしれません。
だとしたら、やはりYOSHIKIも同じ人間、宇宙からのチャネリングのようにこの世に存在しないメロディを「生み出した」のではなく、過去自分が聴いた音楽が焼き付いて、無意識にそれと似たような、あるいは同じようなラインを作曲してしまう。
勿論、YOSHIKIが何も無いところからこのメロディを生み出した可能性もあります。その場合、YOSHIKIと、「青春のいじわる」を作曲した林哲司氏、偶然同じ苗字の2人が偶然同じようなメロディを生み出した奇跡的な出来事であり、共に天才なのだと感じます。
人は誰しも、自分がよいと感じたメロディを数多聴き続けていくことで自分のオリジナルなメロディセンスが完成されていくものだと思います。そうであれば、この世の多くのメロディが何かのオマージュやパクリであっても不思議ではありません。
まだ音楽が少なかった数百年前ならまだしも、音楽が溢れる現代において、シンプルで美しくありながら、他の何にも似ていないメロディを生み出すことは奇跡的なことなのかもと感じます。
私が自作曲を作曲する時には、あまりにもありきたりなメロディは避けますが、作ったメロディがよければ「これはこのメロディにかなり似ているな」と感じても、そのまま使うこともありますし、収益化など考えていない完全趣味の自己満足の曲なので、時にはほぼパクリに近くてもよしとしています。
・・・そんなことを考えていると、最近発表した自作曲のサビメロは「もしかしてYOSHIKIのメロディにそんなに劣っていないのでは」と思ってしまいます・・・いやそんなわけないか🤣🤣🤣
その私の自作曲とEndless Rain、両方のサビメロに共通点があることに気づいたので解説したいと思います。
まず、下記動画の自作曲のサビメロについて「ソーラーシードー」と駆け上がる部分は、X JAPANの「Tears」のAメロ、そしてその後の「ミーレードーシード」はSONATA ARCTICA3rdの「Abandoned, Pleased, Brainwashed, Exploited」のサビメロ、この2つのメロディの合成なのではと気づきました。
のメロディは
と
の合成
私はYOSHIKIが生み出したメロディで至高は「Endless Rain」だと思っていますが、このメロディも私の自作曲と同様、前半と後半が合わさってこそのメロディだと思っています。
津田直士「名曲の理由」File01. X JAPAN「ENDLESS RAIN」前編においては、サビメロ前半部分だけに注目して解説していますが、このサビメロ前半だけ取って聴くとおそらく過去にも同じようなメロディとコード進行があったかもしれません。
あくまで後半の「レドーシドー」のメロディと合わさってこそ、神がかり的なメロディとなっているのだと私には感じます。前半のメロディだけで心に響くとすれば、TOSHIの彼独特の声質による歌唱と美しいアレンジがあってのことでしょう。
試しに後半のメロディをこんなのにしたら非常にありきたりなものになります。
ちなみに「津田直士「名曲の理由」File01. X JAPAN「ENDLESS RAIN」後編」にも、AメロのコードがG/Cのところは津田氏の提案だったなど、興味深いことが書いてあるのでYOSHIKIメロディのファンは必読です。
・・・色々普段思っていることを書きましたが、いいと思ったメロディの中にオマージュやパクリがあったとしても、作った人のメロディセンスが劣っているわけではなく、むしろ心に響くメロディを感じ取るセンスが高いと言えるのではと思います。
そんな人が作った意図しないパクリや(収益化する楽曲においてはわざと名曲をパクる確信犯はよくないですが)、多少意図したとしても、曲をよりよくする為に取り入れたオマージュなどは多少大目に見なくてはなと感じた次第です。
最後に、いくら「Silent Jealousy」のサビメロが、菊池桃子の「青春のいじわる」と酷似しているからと言って、また最近のいくつかの曲が微妙だからと言って、私のYOSHIKIに対する敬意と、YOSHIKIが類い稀なセンスを持つ天才だと思う気持ちには変わりありません。