見出し画像

親と距離を取る

30代にもになると親が頑張って私を育てたことを嫌でも実感する。しかし、だからと言って親を全肯定・全擁護しなくてもよい。許せない気持ちを押し殺すこともない。許せなくて、いい。

最近、自他境界という言葉を知った。自他境界とは「自分と他人は別の存在であり、別の考え方を持っている」と認識すること、だと私は考えている。

私の実家は自他境界が曖昧だ。
うちの母親は今でも私のクレジットカードの請求書の入った封筒を勝手に開封する。実家を出て何年も経っているのにいつまでもクレカ登録住所を実家のままにしている私のことは一旦棚に上げさせてほしいのだが、30代別居娘に届いた書類を勝手に開封するというのは結構ヤバいと今の私は感じる。
自他境界が曖昧だと「自分のこと」と「他人のこと」の区別がつかない。特に「家族のこと」と「自分のこと」は混同しやすい。

親が子供の幼いうちは子供のやることなすことを自分のように考え、こうした方がいい、ああした方がいいと声をかけるのは当然のことだろう。しかし、それを子供が成人した後にまで続けるのは過保護というものだ。子供は親がコントロールしてやらなければならないという考えとはお別れするタイミングがあるべきなのだ。それが「反抗期」である。

子供は物心がつく前は自他の区別がなく親が世界そのものだ。成長するにつれてじきに自分だけの世界や考えを持ち、自立してゆく。親の世界から離れる過程で「反抗期」が現れる。

私は思春期の頃、反抗期は少なかった方だと感じる。親にいい子だと思われるように振る舞うことが正解だと信じていた。今考えるとこれは自他境界が曖昧だからこのような考えになってしまっていたのだと思う。

自分の中の正解を子供に求めてしまう親は、子供の考え方を侵食してしまう。このとき、子供は親の考え方を自分の考え方だと誤認してしまう。子供は親の求める振る舞いをすることを正解だと認識して自分の考え方を持たない。これでは子供は自我を持った人間として自立することができない。未熟な精神のまま大人になるしかない。

自分の考え方を持たず、親という他人の考え方に頼って生きてきた私は映画を観た時に他人に感想を語ることができない人間だった。他の人と異なる考えを持つことは間違いで、恥ずかしいことだと信じていた。そんな私は人付き合いがとても苦手で、学校では友達が少なかったし、就職した後はとても人間関係に苦労した。自分の考え方を持たない私は他人と意思疎通ができず、不気味な存在として扱われた。

私は転職を繰り返す中で、自力で軌道修正を進めた。それでも「他人が自分にどんな振る舞いを求めているかを考え、実際に振る舞う」という方法しか取れなかった。自分の考え方を持つことなく、親ですらない他人の考え方を頼りに自分を演じことしかできなかった。「自分のこと」と「他人のこと」を混同することがますます増えていった。人間ひとりひとりに異なる考え方があり、それは尊重されるべきことだと知らなかったのだ。

30歳になって同居人に勧められたことがきっかけでカウンセリングに通った。20回程通ったタイミングで自他境界というものについて心理療法師の先生に教わった。そこで私は初めて「自分は他人と同じ考え方でいなければいけないというのは間違いだ」という真理を発見した。

親と私は違う人間で、親の人生と私の人生は全く別のものだ。親の意見や親の考え方を全肯定・全擁護する必要はない。
自分は親の言うあれこれを真剣に考えなくていい。血が繋がっていても、所詮は他人のことなのだ。
60代の親に「動画クリエイターになりたい」なんて突拍子もない相談をされたところで、まともに取り合わなければいけないわけではなかったのだ。本当にやりたいのであれば自分で調べて自分で起業するのだから、まるで自分のことのように真剣に考えずに放っておけばよかったのだ。

自分と親は他人で、されて嫌だったことまで全てを許す必要もない。線を引いて良い。
私が幼かった当時にゲームボーイを買い与えてくれたことに感謝する気持ちと、母親が家の中でぶちまけるヒステリックな八つ当たりを拒絶する気持ち同居して良いのだ。

この事実に気づいたとは言え、すぐに相手に感情移入しないよう実行するのは難しい。だから、まずは距離を取る。自分にも、親にも、「私たちは違う人生を歩んでいる」ということを無言で語りかける。LINEは極力減らしてスタンプのみ返すようにする。帰省もしない。物理的に別の人生を演出する。それで親の自他境界が改善するとは期待していないし、これから親との関係を良くしていこうという考えもないのだが、少なくとも私にとってはストレスが少なくなった。
親は私に会いたそうだが、親の自他境界が曖昧な影響で私も苦労したのだから、別にこれくらい良いだろうと考えている。親として子供である私の自立を大人しく見守るべき時が今だ。私が思春期の時に見守らなかった分を今見守っていてくれ。金輪際会わないというわけではないし、葬式は必要に応じて喪主もやろうと思っている。

今の私は映画を観た時に他人に感想を語ることができる人間だ。他人と異なる視点で映画を見ることは悪いことではないと思っているし、他人と違う受け取り方をすることは恥ずかしいことではないと思う。むしろ、他人の感想を聞くことは面白いとすら感じている。人間はひとりひとり違う考え方で生きている方が健全なのだ。私はもうそれを知っている。



ちなみに私は現在、4つ下の妹とも距離をとっている。妹も自他境界が曖昧で、妹自身と私の考え方が異なるとものすごく機嫌が悪くなる。不機嫌で他人をコントロールしようとする人間はそこらじゅうに溢れているが、彼らもまた自他境界が曖昧な人間なのだろう。

いいなと思ったら応援しよう!