双子が生まれた日
2023年3月18日 am1:35
緊急帝王切開で双子の女の子を出産した。
5月31日の予定日より2ヶ月早く生まれた二人
1388gと1073gの極低出生体重児
お腹から出てすぐに二人はそれぞれの保育器に入れられ、私は(お腹を縫われながら)保育器に入った小さな赤ちゃんを触らせてもらった。
感動の対面は一瞬で終わり子どもたちはすぐにNICUへ。
私は病室に帰ってベッド上安静で過ごした。
朝6:00頃に新生児科の主治医からICがあり
今の段階では子どもたちの状態は落ち着いていること
今後の予想される状況や様々なリスクを説明される。
ICが終わり夫は一時帰宅
私はその後、助産師さんに搾乳してもらったり
痛み止めの点滴をしてもらって過ごす。
寝ているだけでも帝王切開の創部痛と後陣痛は辛かった。
とくに悪露のチェックのときにお腹を押されるのが痛い。
pm13:00頃
痛みに耐えて寝ていたら、突然首の後ろが痛み出した。
以前から首のぎっくりは何度か経験していて、それと似た痛みだった。
「首痛い!お腹の傷も痛い!どうしよう」
そう思っているうちに右手でスマホを持てなくなり、ベッド柵を掴もうとしても腕が上がらない。
とっくに麻酔が切れて膝立が出来るようになった右脚は、全く動かなくなった。
「あ、これまずいかも…」と思いナースコールした。
すぐに看護師さんが来てくれて、先生も集まってきた。
なぜかこのとき徐脈でHR40台
喋れるけど、意識がぼーっとしていた
動かない右腕を高く持ち上げられたと思ったら突然離され、だらんと落ちる腕(MMT見てる?)
ものすごい勢いで手が口に当たり、唇から出血したのは忘れない…痛かった…
脳梗塞疑いで大学病院に緊急搬送された。
搬送中も意識はあったし会話もできた。
「妊娠出産で救急車乗るの2回目じゃん」
「救急車って信号待ち無いから早いな」
「夫、驚くだろうな…」とか考えてた
今思えば半身麻痺してるわりに冷静だったと思う。
病院に着くと流れるように色々な検査をしてSCUに入院になった。
一方その頃
ICを終え帰宅した夫は、一息ついたところで再び病院から連絡があり
「奥さんが脳梗塞かもしれないので、搬送先の病院で合流してください!!!」と言われ今度は別の病院に向かうことになった。大混乱だったと思う。
SCUに駆けつけてくれた夫の顔を見たら安心して
「すぐ良くなるから大丈夫」と笑って話した。
先生から説明を受けてすぐに点滴治療が始まった。
指先までピクリとも動かない手足は鉛のように重くて、自分のものと思えない感覚だった。
左半身はビリビリ痺れて、左の額には沢山汗をかいた。
夫が帰って一人になった途端、不安に襲われた。
「このまま右半身が動かなくなったらどうなるの?」
考えれば考えるほど怖くなって、涙が出て全く眠れなかった。
今思えば産後ハイだし、原因不明の麻痺は起こるし
思考がまとまらず訳がわからなくなっていた。
SCUでは携帯が使えないからNICUにいる双子の様子もわからず不安だった。
新生児科の先生には「最初の3日間が山です」と言われていた。
SCUで過ごした3日間はとにかく双子の無事を祈った。
この3日間の記憶は曖昧だけど、いくつかはっきりと覚えてることもある。
・全く動かなかった右脚は親指の先から動き始めた。
徐々に動かせる範囲が広がっていって、膝立てが出来るくらいになった。
・右手の一番最初に動いた指は中指
・尿カテ入ってたから人生初の陰洗をしてもらった
(28歳で陰洗してもらうとは思わなかった)
・助産師さんが来て搾乳をしてもらった
(助産師さんが優しくて、弱音を吐いて泣いた)
・面会制限があったのでSCUでは固定電話を貸してもらい、夫と電話で双子の名前を決めた
後日撮影したMRIの結果から
脊髄炎を起こしていることがわかった。
「脊髄の右側に強い炎症を起こしている。右側の炎症だから右側が麻痺して、左半身は痺れなど感覚障害が起きている」と説明された。
左半身は胸から下の温痛覚が麻痺していた
・両胸張ってガチガチなのに左だけ痛みがわからない
・カイザーの傷がちょうど左半分だけ無痛
治療としてステロイドパルスを3クールやることになった。
3月21日(産後&発症3日目)
HCUから一般病棟に移った。