私の小さな歴史
いまだに、いつまでも、左と右、フィクションとノンフィクションの理解でいつもとまどいます 昔の私も今の私も。
左と右に関しては、一度、頭の中で、左右(さゆう)を描いていつも判断します。
フィクションとノンフィクションは、もうわからないです。映画等でも、全部流します。その中でどっち?って気になったものはネット等でどっちがどっちかを確認します
この日常をよく思い出す理由は、大学時代にあります。
私は、10数年前、某大学の国際関係学部に入学しました。
高校時代は、最初の2年間は音楽活動だけで、勉強は一切しなかった。最後の1年間は音楽活動休止して、朝から晩まで受験勉強一筋。この受験勉強が全て苦じゃなかった理由は、国際関係学部に行って、沖縄で、なぜ、あんな戦争が起きたのか?そして、なぜ、今も世界中で戦争が起きてるのか?を知りたくて、だった。それだけだった。
大学試験は、無事、合格した。
しかし、わたしにとってのおよそはじめての国際政治に関する講義にて、左派、右派という言葉をとある教授は多用していた。私は、?だった。私はとても常識知らずだった(今もそう)ので、そのとき、はじめて、右派、左派、という表現を知った。その時、私は、大きな怒りに似た気持ちを抱きました。この教授がいうてることは、正しいかもしれない。だけど、私にとって、この知識は要らないと感じました。それから、大学最初の1、2年は、よくわからないへんな演技をしてるような学生生活を送りました。大学辞めることを考えてました。
だけど、2年目の後期だったかな とある教授のものすごい講義を受けたんです。受講者人数は数人。講義内容は、南北アメリカのあらゆるマイノリティーについて。零れないように丁寧にリズミカルに、そして、小さな小さな小さなグルーブを感じさせるような講義だった。講義中は、私の心はずっとドキドキしてた。そして、半年の講義終了後、大学入学後はじめて頑張ってレポート作成した。
シャーリー・チザムについて。
確か、あまり日本語での文献が少なかった。
なので、英語の文献も参考文献として扱った。
その教授から評価を受けた時は嬉しかった。
その後、その教授のゼミに入るのであるが、卒論提出&大学卒業までは、ストーリーがあり過ぎて言葉にするのは困難だ
あと、ごめんなさい、冒頭で述べた右、左の判断に少し時間がかかる話とはちょっと違うかもしれません
おはようございます
今日もいい一日でありますように
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