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ふかっちおじさんがやってきた!3(PM編)

 午後からの長男は気合のR.TAKAHASHITシャツを身につけ近所の体育館へ移動。玄関前にはもう既に6年生3人と長男の同級生が待っていた。体育館の鍵を開けると子供達は早々に身支度をしてすぐにボールで遊び始めた。古っぽい体育館に低めのボロいネット、リラックスした様子でボール遊びに興じる子供達。煎餅を片手に走り回るうちの次男。エモいってこういうことかもなんて思いながら、それぞれのママたちと一緒に床に座りふかっちさんが持ってきてくださったお菓子を広げて「今日は本部の人たちいないからずっと座ってられるねー」なんて話しながら穏やかな午後が始まった。

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 6年生3人のうちひとりはレギュラーで試合に出てるものの、他ふたりは6年生になってからの入部、さらにひとりはつい最近入部したばかり。ボール遊びも覚束ない。それにプラス1年生がふたり。学年も運動能力も経験値もバラバラな5人。正直、一緒に練習なんて無理だろうなと思っていた。しかし、北信越が産んだ機動戦士は私の予想を遥かに超えてきてくれた。ふかっちさんが、パラパラと遊んでいる子供達に声をかけながら体育館を回遊するとみんな少しずつ笑顔になっていく。できるかできないかではなく、この場を楽しむという感覚が子供たちに芽生え始めたように見えた。

 頃合いを見てええ声で子供達を集め、取り出したのはフライングディスク。「えー、これで何するの?」と一気に興味を惹かれた子供達。食い付きはバッチリだ。ふかっちおじさんの投げるフライングディスクは不規則な変化をしながら体育館を舞う。ひとりひとりの運動能力を見て、わからない程度に強度を変える匠の技。素晴らしい。普段は工場の生産ラインのごとく練習の列に並ぶ6年生たちが嬉々として我先にと順番を取り合う。生き生きとした姿。バレーの練習時しか顔を合わせたことがないので、笑ってる顔を初めて見た子もいた。

 1年生2人組も楽しそうだ。フライングディスクはギリギリ取れそうなものを投げてもらい満足げだったし、何より練習に参加しているということが嬉しそうだった。普段の練習では人数が多いためコートに入れるのはサーブ練習の時のみ(しかも高学年がメインなので好きな場所で打つことはできない)、それ以外の練習はずっと体育館の隅っこで投げられたボールをレシーブするだけという状態なので、自分たちがバレーボールの練習やゲームに参加できてるというのが彼らにとってそれはもうめちゃくちゃにハッピーな出来事だ。人数の関係上いつもはそんなに教えてもらったり声をかけてもらえない(しかしミスした時は保護者からのありがたいお言葉を頂戴する)6年生3人組も今日はこまめに声をかけてくれるふかっちおじさんからポジティブな言葉やアドバイスをもらって嬉しそうだ。おじさんも子供達も汗だく。

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 最後はゲーム形式の練習をしてくれた。ゲームに混じれるなんて滅多にない張り切り1年生プラスふかっちおじさんチームVS経験のないふたりをレギュラーの子が引っ張る6年生チーム。コートサイドで九州の赤い龍の高校にいた名物監督の如く走り回る次男を携え試合開始。ワンバウンドありだし、続いてると言い張ればどこまでもボールが落ちない、普段だったら「ダメ!」と言われそうな緩いルールのゲーム。もちろん時間も点数も計測しないピリオドの向こう側。でも、だからこそ子供達はエンドレスにやりだがる。ひとりのママに言われた「こういう顔でバレーしてるのが見たかった」という言葉が全て物語っているのかもしれない。

 かくして、ふかっちおじさんとの一日は「もうそろそろ…」と声をかけるまで続いた。"楽しい時間に水を挿した女"という目線を子供達からひしひしと感じるけど仕方ない。おじさんは遠方から来てくれている。5時までのシンデレラだ。片付けを終えて体育館に鍵をかけると、子供達の心に「またふかっちおじさんに会いたい」と思わせるガラスの靴をひとつずつ置いておじさんは車で帰って行った。夜寝る直前に「ふかっちおじさん、いっちゃったね。今日すごく楽しかった。もっとおじさんとバレーしたかった。バレーがまだ足りない」と長男は泣いた。あれ?文字だけにするとおじさんが天に昇っちゃったみたいな言葉。「大丈夫、きっとまたみんなに会いに来てくれるよ」と言うと「それもそうだね」と呟き5分で寝た。気持ちの切り替え早すぎんか?

 ふかっちおじさんの来訪で長男はもちろん他のみんな、特に6年生たちはバレーボールが楽しいものだと思い出したんじゃないだろうか。練習は楽しんでもいいんだと。私は、耐えることを美徳とする練習よりも楽しむことに重点を置いた練習があると彼らが知れたことを嬉しく思う。いつかギリギリの1点、他の競技なら1秒を争うような場面に遭遇した時に勝ち切る力はメンタルから来るものかもしれない。だけどそのメンタルは厳しい練習や叱責に耐えた経験だけが作るものでは無いと思う。難しい課題や出来ないことへのチャレンジする時、その根っこにはいつも楽しいや好きだというハッピーな原動力を持っていてほしいとこれからを担う子供達を見て勝手ながらそんなことを思った一日でした。

 

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