![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/81493727/rectangle_large_type_2_f5192fce3a17ec1d5b32656e44ab3445.jpeg?width=1200)
人を癒すのに昔ながらの方法が必要か?
【現役産婆うっしーの神官見習い日記.3】
前回の記事はコチラから。
・神官さんとは何をする人なのか?
神官とはどんなことをする人?と聞かれると、
「神社でお祓いしてくれる人」。
これ、神職の修行に入る前の私のイメージ。
もう少し丁寧に言うと、
神や仏などの眼に見えない存在と人間との橋渡しをして、人を元気にしたり、癒したり、願いが叶うように間を取り持つ役目の人という認識。
ほんとはもっと適切な表現があるんでしょうが、今の私にはまだ、正しい用語も何もわからないので、こんな表現が精一杯です。
では、果たして、
神や仏と繋がって人を癒したり元気にしたりするのに、昔ながらの方法が必要なのか?
私はこれまでず~っと長いことその疑問にこだわっていて、
実はまだはっきりとした答えが出せずにいます。
というのも
まだ、実際に神官として眼にみえない存在達と対峙していないから。
これまでのヒーラーとしてのメッセージのキャッチのしかた(感覚)ではなく、
神官として完成した(?)規定通りの、昔ながらのアクセス方法で繋がった場合のメッセージを受け取った感覚が、まだどんな感じで返ってくるかがわからないから、なんとも比べようがナイのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1656346838542-1mMAs2uZct.png?width=1200)
これは、やっていく中で答えを見つけていくしかない。
では、他に昔ながらの方法が必要な理由があるとしたら…?
・霊には霊をもって返す
ヒーリングの仕事をしていて、時にはクライアントさんの中に本来のその人ではない、何かしらの存在が憑いていて、その人を背後で操作しているなと感じることがあります。
何かしらの良からぬチカラと「持ちつ、持たれつ」の共依存関係にある時、本来はその人の中に居なくていいはずの存在が棲み付いているのを、許してしまっているんですね。
自分の中に自分じゃない誰かが居るとわかっていながらどうすることもできなかったり、実はそのチカラを借りることで助かっている部分もあったりして、
潜在意識まで掘り下げていくとそのあたりの思考もみえてくるのですが、
自分の奥底、本質というか、芯の部分が乗っ取られているので、バックに憑いている存在がうまいことを言ってそそのかし、都合のいい様に操られていることがあります。
そんな時は、そのクライアントさんの実質がぼんやりとしていて主軸が通っていない感じがするのです。(これを霊的なチカラに頼らず自らのチカラで祓うこともできますが、その方法についてはまた別のブログで)
それは、本当の意味でその人らしくない生き方をしてしまっている。なので、そこは何とかしなきゃいけませんね。
だけど、永く巣くっているものはそこから離れたくない、一筋縄ではいかない、ゴネるタイプのものもいるので、
その霊に対しては同じく強い霊力をもって制する必要があります。
また、この世に漂っている目にみえない存在たちが光の根源に還っていく(成仏する)時、儀式的なサポートを必要としているものもいると感じます。
あがっていく時にちょっと不安そうにキョロキョロしながら後ろ髪ひかれたりしながら、とぼとぼと、ふらふら~っとあがっていく存在。
そんな存在には、読経したり祝詞を奏上することで「ちゃんと光の方へ送り届けるから大丈夫よ」という寄り添い型で安心感を与えてあげると素直に光に還っていける霊も居ます。
そんな時にやっぱり昔からあるものには相当なチカラが宿ってるなと感じます。
だとしたら、、、
そういうやり方で還してあげるのも一つの手だな~と感じたワケです。
この霊にはこの修法を使って、あの霊にはヒーリングで…な具合で選択肢があるといいかな、みたいなね。
・儀式がひとつの区切りとなる
人は時に視覚的にも作法的にも儀式的なものに触れることで気持の切り替えをしたり、何かに区切りをつけたりしますよね。
厄年にはお祓いをしてもらったから今年1年は大丈夫!とか、結婚式でも神様に誓うことで夫婦の契りを交わしますよね?
安産祈願だって、そう。
安産のお守りを肌身離さず身に着けてたら「護られてる」って気持ちになりますよね。
産婦さんたちも陣痛が始まったらお札やお守りをベッドの周りに置いてる人たくさんいますよ。
みんな、人は太古の昔から神に祈り、その恩恵を受けてきた流れがあります。
「神に祈る」、参拝してお祓いをしてもらう行動をとることで、気持ちの面でも安心して集中して物事に取り組めるようになるとしたらそれは、本当にチカラ強いことです。
![](https://assets.st-note.com/img/1656218463515-e2ZxjtPLe0.jpg?width=1200)
こういったこれまでの経験から、
眼にみえない存在達と今までやってきた方法に加えて昔ながらの方法でもアクセスすることができるようになったとしたら
「最強」だろうなと感じたワケです。
・選択肢が増えることは、本当に最強か?
しかし、これに関しては今すぐ答えは出ません(笑)
どれだけやれるかわからんから(^_^;)
今、私の目の前にまだ靄がかかっている状態。
なのですが、恐らく、この霧は確実に薄くなり、晴れていくと感じています。
![](https://assets.st-note.com/img/1656218463466-0O3dJEZe2z.jpg?width=1200)
いつか、この靄がキレイに晴れていく過程を見れるとしたら、その時には私なりの社会貢献が出来て、
私自身の今世のミッションはコンプリートするのではないか?
・輪廻転生を今世で終えるために
今世、残りの30年間を(80歳まで現役か^^;)自分の奥底(魂)が求めているものをはっきりさせ、それらを全うすることに時間を費やせたら、
もう苦しい経験や辛い経験、学びは終わりにして、
幸せと喜び、充実感や愛の中で満たされて、このカラダに宿った魂の生まれ変わりを
今世で終わりにすることが出来るのではないか?
と、そんなことを思ったりして。
残りの時間を「神職としても貢献する」ことに費やそうと決めたのです。
まぁ、産婆も出来て神官も出来たら、男女の出逢いから妊娠、出産、子育て、成功・願成就、病気平癒に至るまで、
一通り、女性の一生をフィジカル的にも、マインド的にも、スピリチュアル的にもサポート出来るだろうと。
![](https://assets.st-note.com/img/1656348068515-5JvzC8es57.png?width=1200)
これが私が目指すところのココロとカラダ、スピリチュアルの三位一体で女性をサポートする今世のミッションの完成形かなと思うのです。
これだけ、たくさんのコンテンツは自分ひとりでは限界があるので、たくさんの人達に癒しが届けられるように、いずれ、同じ志を持つ仲間達と組織化はしていこうかなと思っています。
まだ、もう少し先の未来の話しですけどね。
こんな振り返りをしつつ、毎日の生活では修行時の禊に使う白袴・白衣、白足袋の準備を着々と進めております。
「マジで、コレ着て水行すんの??」ってドン引きしながら・・・ww
不謹慎かもしれませんが、
次のブログでは白衣や袴のたたみ方さえわからず、ネットで検索するっていう、
うっしーのポンコツぶりを書いていこうかと思います。
どうぞよろしくお付き合いくださいませ。
感謝をこめて∞
うっしーのココロとカラダ、スピリチュアルの三位一体をサポートするコンテンツ『いのちのみなもとアカデミー』についてはこちらから。