アラフィフ産婆がなぜ修行の道へ?
【現役産婆うっしーの神官見習い日記.1】
こちらのブログをのぞいてくださってありがとうございます。
こちらでは、現役26年目の産婆(助産師)わたくしうっしーがなぜアラフィフになってから、「神職」の道に進むために修行をすることになったのか、
そもそも、果たして、今から「神官」になれるのか??
幼少期にお坊さんになりたかった私はなぜ「僧侶」ではなく「神官」になろうとしているのか?
そのあたりの事を徒然なるままに書いていこうと思います。
神職の道に進むきっかけ
私が神職の道に進もうと覚悟したきっかけ。
それは、息子の闘病です。
息子が急性リンパ性白血病と診断され、リアルに大切な人の「いのちの終わり」を間近で意識した時、母親としてだけでなく自分の人生についても振り返りました。
詳細は以下をお読みいただければと思います。
私は産婆です。
2人の子育てをしながらこれまで1000人以上の女性のお産に立ち会い、いのちが生まれてくる瞬間のお手伝いをしてきました。
また、家族の期待と裏腹にお腹に宿った小さな命がお空に還っていく時のお手伝いもさせて頂いてきました。
なので、毎日人の生死に直面するお仕事に携わってきたのですが、そこは仕事ですから、自分とは切り離して考えていた部分もあります。
その私が、自分の大事な家族のいのちの危機を目の前にして、振り返ったこと。
それが、今のわたしに繋がっています。
眼にみえない存在とのご縁
幼少期の私は真言宗の敬虔な檀家であった父に連れられてお寺によくお参りに行っていました。
父親にならって3歳から般若心経は暗誦していたし、大日如来と不動明王様にあこがれ、夏の施餓鬼供養が大好きなシブイ小学生でした。
将来はお坊さんになるか、お坊さんと結婚する!と決めていて・・・(笑)
そんな私は、きっと目にみえない世界とのご縁が強かったんだと思います。
ですが、
中学・高校に入り受験戦争にもまれていく中でいつの間にかお坊さんになりたかった夢は忘れてしまいました。
センター試験で失敗し、希望の大学は無理だと直感した私は、大きく路線変更。手に職をつけることを選択し、看護学校へ入学します。
そして、4年間看護と助産を学び助産師になりました。
スピリチュアルへの目覚め
助産師になってフルタイムで働きながら2人の子どもをもった私は、ある時スピリチュアルブームの火付け役となった「オーラの泉」(2005年~2009年テレビ朝日)という番組を見ていて思い出しました。
「輪廻転生があるとしたら、現世も過去世も含めて大きく広い視野でその方の人生の転機を乗り切るためのアドバイスが出来る人になりたい。私にもしそんな役目があるとしたら・・いつかきっと導かれるはず。」
毎回番組を見るたびに、ゲストへの美輪明宏さんと江原啓之さんのアドバイスが私にもストンと腑に落ちて、
人の生き方や考え方、生かされている事、神や仏に護られてきたことを想い出したのです。
元々お坊さんになりたかった私はその頃から、宗教・密教、陰陽師、護摩というワードが載っている本を読み漁り、輪廻転生や死後の世界について自分なりに調べたりしていました。
次第に、ヒーリングやリーディング、チャネリングなどのスピリチュアルなことを教えてくれる先生にも出逢い、自然な流れでハイヤーセルフ(高次元の自分)や守護神、神や仏、マスターとつながるヒーラーになるための学びの機会を手に入れ没頭していきます。
ヒーラーとして駆け出しではあったものの、たくさんのクライアントさんのスピリチュアルヒーリングを経験させていただくうちに、眼にみえない存在達とつながってクライアントさんとの橋渡しをすることができるようになりました。
人の潜在意識に封印されたネガティブな思考をポジティブなものに置き換え、願いの現実化を加速するヒーリングのインストラクターとして活動する中で、
たくさんのクライアントさんの悩みに寄り添い、願いの現実化をサポートしたことで実際に願いが叶ったと喜んでいただくことが増えていきました。
めんどくさいのキライな私の「今、ココ」
スピリチュアルヒーラーとして眼にみえない存在達からメッセージを受け取れるようになった私は、
神や仏などとつながるために、わざわざお坊さんや神官さんのように昔ながらの装束を着なくてもいいし、
祭壇や供物をたくさんお供えしてお経や祝詞をあげなくても、ちゃんと神様の声が聞ける。
何回も神前に向かって仰々しく頭を下げてお辞儀をし続けなくても、願いは聞き届けられる。
と思っていました。
ぶっちゃけ、正直なことを言うとね、
「そんなめんどくさい、昔ながらの作業?(作法)をやらなくてもいいんじゃない?なんで今さらそんなことやる必要があるん?」
っていうね。
「めんどくさいのイヤ」な人間ですよ。
そんな私が、今、なぜ、一から白衣・白袴の装束を身に着け、白足袋を履いて禊をし、
祝詞を覚えて奏上し、供物を供え、しかるべき昔ながらの作法に則って人間と神様のつなぎ役になろうとしているのか???
そこのところが自分の中で腑に落ちるまでに約20年かかりました。
それには、
これまでのスピリチュアルヒーラーとしての経験と、私のプライベートでの環境と過去生の因縁、すべて繋がっていて、どれもが必要だった。
すべてが必要・必然。
そして、いま、私はココにいる。
では、なぜ、昔ながらの方法が必要なのか?については、次回に続きます。