怒涛の学びに翻弄された夏
【現役産婆うっしーの神官見習い日記.6】
8月が怒涛のように過ぎていきました。
6月の終わりからお盆にかけて、プライベートでは衝撃的な出来事が「これでもか!これでもか!!」と言うくらい押し寄せてきました。
息子の引っ越し(これは嬉しかったこと)に続き、
義母の入院、手術、流行り病感染、義父の入院、そして他界。
これらのほとんど全てがそれぞれの事象において、大どんでん返しがあり、私たち家族が望むようなカタチになり得なかった。
・お祓いした方がいいんじゃね?なレベル
おそらく詳細を聞くと、たぶん誰もが「お祓いした方がいいんじゃね?」と思うレベルだったと思います。
現に、自ら神官である義母も本山に諸魔退散のお祓いをお願いしたくらい。
もしかしたら、ほんとに何かの障りがあったのかもしれません。
神事でのお祓いに加えて、私も病の渦中にある義母をリーディング&ヒーリングしたところ、義母はその内容に腑に落ちる事があり「起こっている事の意味が分かってかなり楽になった」と言ってくれました。
だけど、
いくら祓ってもらっても、引き起こされていることの諸悪の根源を正さなければ実は大して変わらないんですよね。
・原因と結果の法則
まさにコレです。
特に、此度の流行り病は人と人の間を裂く特性があって、
うちも一番肝心な「家族の最期」に流行り病に翻弄されました。
この状況下では、
たとえそれがどんなに当たり前の行為(たとえば家族の世話をするとか、大事な人のそばにいることなど)
だとしても、気持ちの赴くままに行動していると、
その人のココロやカラダに残念な結果をもたらす恐れがある。しかも体調が万全でなければなおさら・・・
というなんとも理不尽な性質がありますね。
この病ではいろんなコミュニケーションのカタチが見直され、そんな状況下でも「自分たちは何を大事にしたいのか」が問われていると感じています。
家族の問題に直面しいろんなことが表面化したことで
これまではなぁなぁにしていた、「後でやろう。今じゃなくてもまた次でいいさ」と先延ばしにする習慣だったり、
自分の気持ちを表現すること、自分の気持ちを伝える時の伝え方や素振り、他者に対しての態度、
周りの助けがあってこそ今の生活が成り立っている事、感謝の気持ちを伝えることの大事さ等々
だいぶ考えさせられました。
・病気になること
・いのちを守ってくれているへの心遣い
・家族を守る事
・自分の立場
・今、何をするべきか優先順位を見極める
・いのちのおわりにふれること
・新しい生活になれていくこと
・ココロとカラダの健康を保つこと
・ストレスの発散のしかた
・癒されるということ
・癒すということ
・誰かに支えてもらうこと
・逃げてもいい
・毒を吐いてもいい
・すっきりしたらまた頑張れること etc・・・
挙げだしたらキリがないね。
詳細はココには書けないので、だいぶ表現が難しいですが、
問題が起こった時、
原因があってのその結果があるということに尽きると思います。
・生きている以上問題は勃発する
ここで、一つ言いたいのは、
私たちは、生きている以上「全く困難がナイ生活」なんてありませんよっていうこと。
クライアントさんにもセッションの中で度々言っていますが、
生きている以上、どんなにセッションして人生が好転するようになっても、これから先、何にも問題が起きなくなるワケじゃないよ
ってこと。
ここは間違えないでほしい。
生きている以上、なんやかんやと問題は勃発します(笑)
問題は起こるけど、「その問題が何を意味しているのか?」を自分に問えるようになり、
結果、その問題の解決策が早くキャッチできるようになるので、
何か大ごとが起こっても大してブレない自分になるだけのことです。
「〜だけのこと」って言ってはいるけど、
「ブレない自分になる」ってスゴいことですよ!
そうでないと、3次元の世界に肉体をもって生まれてきた意味がないんですね。
・私達は皆、成長のために生まれてくる
2022年、今夏の出来事は私の人生においてもだいぶ翻弄され、結果自分軸にさらに肝が据わった感覚がしています。
おじいちゃんにもいろんな学びをもらったしね。。。
ありがとうございます。
私たちは皆、何かしら成長のために生まれてきている。
プライベートは怒涛だったけど、お仕事は新たなご契約もいただき、方向性の転換と今後の事業の青写真をお伝えする機会も増えてきました。
義父の四十九日が終わるまではご神事ができないので、家業はしばらくお休み中。
また忌明け次第ご奉仕させて頂こうと思います。
リアル台風も来てるし、まだまだ流行り病には翻弄されそうだけど、がんばらんばねー。
それでは、また。
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