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「生」と「死」について考えた2日間で、わかったこと。


こんにちわ!
アカシックリーダーの星野美和です。

癌の宣告を受ける前にやっておきたいこと。



このnoteでも書いていましたが
私、6/19に癌の「疑い」と診断されて

そして7/15に開腹手術をし、
今、自宅療養中です。

すぐに手術をしましょうと言われてから
それでも手術をするまでに3週間ちょっと
間が空いたわけですが

その間、私は
全く「生」と「死」について考える時間もなく

それよりも

・写真の整理をしたい
・子ども達に生きるために必要なことを教えておきたい

ということだけに
集中した3週間だったのです。

「ほぼ悪性だ」と言われ、半ば癌の宣告を受けた私が
それまでにやっておけば良かった!と思ったのは
上記の2点です。

すなわち

「写真の整理」も
「子どもに自立させる」のも

常にできているのであれば、あとは
自分の時間に費やせたことでしょう。

医療を信頼しない人のなぜ



そんなわけで
実際に私が「生」と「死」に向きあう時間というのは
入院してから手術までの2日間のみ。

たった一人になった病室で
要は暇になるわけですから
考えざるを得ません。

しかも私の場合、
入院した病棟が
「腫瘍内科」という病棟だったため

一歩足を踏み入れた時から
その、なんて言うんだろう

時が止まった感覚を
感じていたわけです。

一般の病棟とは
空気感が全く違います。

常に緊迫しているんですよね。

そんなところに入院したわけです。

緊迫した中で
本を読んでいても
バタバタと看護師さん達が走る
ナースコールの嵐を聞いては

「私もそうなるのだろうか。」

と、過ぎってしまったりもしました。


入院している人、
みんな辛そうだった。

一人では動けない人ばかり。

かといって、コロナの影響もあって
家族の面会は禁止。

みんな一人で闘っていた。

「私はどうなるのだろうか。」

「生」と「死」について
自分なりに思いを巡らしても

正解や答えは見つからない。

ひとつ言えることは

「私は死にたくない」

タイプの人間であるということ。

さらには
私は通常は
アカシックリーダーを養成する講座を開催していて

私の元に来てくれる受講生の方の
半数はなぜか医療従事者の方であることから

私は日頃から
医療に対しての信頼が厚いわけなんです。

よくわからないけど
私と医療は密接な感じなの。

これは今までもそうだったけど

私の行く病院って
いつもハズレがない。

なぜなら、いつも信頼して通っているから。

同じ病院に通っている人でも
「あの病院は最悪!」なんて言ってる人や
そういうコメントを書き込んでいる人もいたりします。

それって

ハナから
信頼していないから
そういうことになるんだと思うのですが
いかがでしょう。

医療を信じないでいるのに
コロナ禍において
「医療従事者にエールを!」なんて言っているのは
どうなんだろうとも思うのです。

ちなみに

私がこの大きな病院に入院することになったきっかけは

最初、家の近くの
小さな個人病院で診察を受けたんです。

こちらの医師は
私の次女を出産まで導いてくれた先生で
(次女を妊娠することは、不可能と言われていたのですが
こちらにかかって妊娠することができました。)

ただ、その時、もうすでに
おじいちゃん先生になりかけていたんです。

これだけの名医が
どんどんおじいちゃんになっていったら
困る〜

なんて内心思っていました。

次女出産より7年が経ち、
私はまたこちらの先生に診察をしてもらっていました。

あれから7年、
やはり、おじいちゃんになっておられて
それでも混雑している院内。
若干、疲れ切ったご様子でした。

それでもやはり私にとっては名医だと思っていました。

診察の結果、
卵巣がだいぶ腫れているということがわかり、
そして
「良性だと思うけど、これだけ大きいと手術したほうがいい。」

と、いう展開に。
先生の以前勤務されていた大きな病院に
紹介状を書いてもらい

私はそこにたどり着いたというわけです。


おじいちゃん先生は
「良性だと思う。」と言っていたわけです。


それがここ(大きな病院)に来て
再検査を受けたら

「ほぼ悪性で今すぐの手術が必要」

と急展開したわけです。

確かに画像を見せてもらうと
素人目にも
どう見ても黒い影があるわけです。

それでも

「おじいちゃん先生、誤診だったか。」

とは私は思えなかった。

あの先生は名医だから

「きっと私は良性だと思う。」という希望は持ち続けていました。

どんなに歳をとっても名医だと信じることにしました。


私には「生」と「死」について考えたところで
やはり、信頼できる根拠のようなものが残っていたということです。


だから、私はきっと死なない。


いつだって、名医によって救われてきた。
だから死なない。


しかも、おじいちゃん先生が紹介してくれた先の
医師は、腫瘍のエキスパートらしく
看護師さんの間でも話題のゴッドハンドだったのです。

あの先生にオペしてもらえるならラッキーだ、と。

「生」と「死」についてまたまた深く考えた結果。


そんな数々のラッキーを抱き、
私は手術当日を迎えました。

手術後、何時間経った頃だろうか。

マスク姿の子ども達が
ベッドの脇に立っているがなんとなく
見えたけど、顔までは見えず、、、

何時間眠ったのだろうか

このままでは床ずれができちゃうよ〜と
背中、腰が痛くなる感覚で目が覚めて

そしてまた眠りにつき、

はっきりとした意識があるのは
手術の翌日だった。

「朝ごはんですよ〜」と

流動食を食べなさいと
ベッドを起こされ、

きっと無理でしょうと思いながらも
出されたコーンスープを口にしたら
とても美味しく感じて

どうやら手術は終わったんだ、

ということにやっと気づいた。


それでも私はまだ、手術の結果が
「良性」なのか「悪性」なのかは

教えてもらってなくて

電動ベッドを何度も何度も動かしながら

「生」と「死」について考えていた。

考えたまま眠るから

夢の中でも

「生」と「死」についてのテーマで夢が展開される。

とにかく目覚めが悪い夢ばかり。


そしてまた電動ベッドで起きる。

電動ベッドはパラマウントベッドだったのだけど
きっとフランスベッドでも同様な商品があるとは思うんだけど

このパラマウントベッドが
どうにもこうにも便利だったのだww


「生」と「死」について深く深く考えた2日間。

そして
考えても死生観については

何も見えてこなかったけれど

パラマウントベッドがめちゃくちゃ便利だった

ということだけは
よーーーーーくわかりました。

現代に生きているってだけで
非常にラッキーだよね。

だって、こんなに便利はパラマウントベッドがあるんだもの。
(パラマウントベッドの回し者ではありません)


退院する日、

「パラマウントベッドがない毎日って、どうやって生きていけばいいの??」

なんて思ったくらいです。

私の死生観って
そんな感じ(笑)

「誰かのために生きることができるか?」


さて、今回、入院&手術をするにあたっても
こうしてたくさんの人に恵まれてきた感があります。

結果、おじいちゃん先生の言ったとおり
「良性」でありました。

手術してくれた先生が誤診だったのか?というと
そういうわけではありません。

「悪性」に転化しそうなものを早期も早期で見つけてくれた
やはり名医だったわけですから。


私、こういう先生のためにも
「生きないとな」

って思った次第です。


誰かのために
「生きたい」って

思えると
やはり、その生命はとても強靭なものになると思いました。

私には
子ども達もいるし

主婦化してしまった夫もいるし

アカシックリーダーになりたいと
待ちわびていてくださる方もいます。

私の場合は、ですが
誰かのために生きようとすると
大いなる力が湧いてくるようです。

今は、まだ自宅療養中ですが
ありがたいことに
講座のオファーをいただいております!

ぜひ、あなたの街にも行ってみたいと思っています。
(コロナの状況と相談の上ですが、、)

オファーをくれる人のためにも
私は、どんどん元気になっていくのだと思いました。


この度は本当に皆さん、ありがとうございます!
関わってくださった皆さん、ありがとう♡

長々と思ったままに書いてしまいまいた。
これもひとつのリハビリだと思って、
どうぞお付き合いください。

最後までお読みいただきありがとうございます!


星野 美和


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