noteことはじめ01 好きっていうより、嫌いじゃないってことのほうが大事かも。
今日のnoteは、noteのヒント「・もっとも大事なこと」を読んで、私が考えたことです。
noteのインフラが整ってきたなぁと感じる。
最近、新規作成の文章を書こうとすると、ノートのヒントっていうのが出てくる。
こういうのは、とても喜ばしい。ユーザーのためにできたものだからだ。
うがった見方として「その会社の利益じゃん」というのも意見としてあるかもしれないけど。
私は、ネット社会を過大に評価しているのかもしれない。記録メディアって平等だと思うから、ずっと注目している。
場所も、時間も、今までの人間の暮らしからすれば、飛躍的に枠をこえる。匿名性が高いことも、今までの人間社会にはなかったことだものね。
誰もが発信できて、かろうじての生存確認も、つながりを確認して多少の孤独を解消することもできる。
まぁ、どっちにしても、道具のひとつでしかない。だから、その道具を使う人間の考えや心持ちが実は一番反映されるんじゃないかな、と思う。
インターネットやプラットホームは、便利な道具でもあるけれど、自分が実際にいろいろ使ってみて、好きでなければ使いこなそうという情熱というか、やる気は生まれない。好きっていうより、嫌いじゃないってことのほうが大事かも。
嫌いじゃないからこそ、長い付き合いができる。
好きが大きいと、余計なエネルギーも使われる。平静でいられないしな。
なので、「嫌いじゃない」というスタンスで、プラットホームが育つのを見て、素直につきあっていきたい。
急いで取捨選択するより、自分が理解できるまで、じっくりゆっくりつきあっていきたい。
人との付き合い方ともいっしょなんだと思う。長い交流期間のなかで、離れる時期もあれば、親しくする時期もある。
いろんな人と会う機会が多いけれど、無理に仲良くすることはないと思っている。自然がいいよ、自然が。
人間関係に見返りばかり考えていると、好きな気持ちがすり減る。
私がいま感じたその人とつきあっていきたい。
なので、評判がどうかとか、他の人とどうつきあっているかとか、肩書がどうのとか、私はあんまり興味がない。人の関係性は、基本は一対一で、まるで色のようでカラフルなんだと思う。
ゆえに「あの人と付き合うと悪い評判をたてられるよ」とか言われると、その言った人を見つめてしまう。実は、その人は私のことを思って言ってくれているのだけど。時と場合によりますが。
いっしょになって悪い評判をたてられたから、なんだと言うんだろう。噂が好きな人は、どこにでもいるよー。その噂を信じる人は、自然に離れていくんだろうし。それはそれでいい。
これって、大人のいじめがなくならない理由なのかもしれないな。そんな環境のなかで子どもが育つんなら、そりゃいじめはなくなるわけがない。
大人の陰口やいじめは、職場や地域社会とか、わりと聞く。最近、二件聞いた。率直にやり取りしにくい公的な場所では、公然とおこなわれるのかもしれない。意外とマイルドヤンキーって多いのだろうか。
いわゆる評判の悪い人がいたとしても、そうやって排除して何かいいことがあるんだろうか。非常時とかのことを考えたら、排除しないほうがいいんではないかな。
私は、それなら「私、あの人嫌いなんだよね」と言ってもらったほうが楽。「私は嫌いじゃない」とか「まぁ、そういうところはあるね」などと答えられるから。
それは、「あの人と付き合うと悪い評判をたてられるよ」というより、わかりやすいし、気持ちが良い。
たくさんのプラットホームがあるけれど、カスタマイズできないのは、もしくはしにくいのには、あまり興味がない。その点、noteは面白い。どこに広がっていくかわからない、この感じも。
「大事なのはリピーターです」というのに声を出して笑ってしまった。そうだよな。だからnoteのマガジン運営には非常に興味があります。
まぁ、どっちにしても、人間関係を目的から始めたくない。一期一会を楽しまなくては。無理しない素敵な時間を誰とも過ごせればいい。
いろんなサービスと、ゆっくり時間をかけてつきあっていきたい。世の中はスピードっていいますが、大きなスカスカなものと小さくてもギュウッとつまっているスピードがあると思う。
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