島は試されている。わたしが宮古馬に思うこと、やっていこうと思っていること。【宮古馬001】
今日は、朝から、宮古馬に関してのやりとりがあった。
友人が担当編集者と友人で、すぐにつないでくれたのだ。
言葉に落として書くのは、すごく難しい。
それは、話すのも同じだ。
でも、多分400字詰めの原稿用紙で10枚分は、話した。
言語化している自分が浮遊し、日本語までも、まるで他の言語のように頼りなく宙に浮いていた。
私が言いたかったのは
「このトラブルは、島が変わっていっている証でしかない。特定の誰かのせいではない。やるべきことは、論争ではなく、未来への一歩なのだ」
ということ。島は試されている。
現代的に、この問題を捉えることはできる。簡単だ。
でも、そのものさしが違うと、私は言いたい。
正直、方言も宮古馬も、なくなってしまうのは私がさびしい。
ただ、それだけだ。
なくなってしまっても、しょうがない。
そうやって、島は生きてきた。
人間が幸せでないのに、馬や方言を優先できる?
もっと言えば、こうだ。
人が生きにくいのに、文化を優先できる?
私は、文化と人を天秤にかけたとき、人をとる。
大義はいらない。
目の前の人をとる。目の前の一つの命の方が重い。
悲しく、愛しい、まさに宮古の方言の「愛す(かなす)」という感情になる。
だからこそ、一方的に宮古馬を虐待したと責めるだけでは、市長の責任だと糾弾するだけでは、解決しない。
これは、島の共同体が壊れつつあるってことで、島の人間性が脅かされているということだ。
日本では、統合失調症と診断されかねない人たちが宮古島ではユタとして生きている。彼らは島以外では生きられないと言われている。弱いが、異常な能力を発揮し、その一部分に対しては、強すぎるほど、強い。理解してくれる人たちに守られなければいけないのだ。
まるで宮古馬みたいだ。
宮古馬は弱いのだ。人もそう。
宮古の自然に対してのみ強い。それが特徴なのだ。
島の風土から人は生まれ、文化がつくられたことを忘れてはならない。
その特徴を無視して、この話を続けてはいけない。
島外のものさしで、簡単に判断してはならない。
週末、ずっと考え続けていた。
宮古の祭祀行事がもてはやされるたびに、私は、アンビバレンツになる。
もてはやされるということは、ピークから落ちていくという曲線を思い描くからだ。
今、宮古馬のことも、目を引いて、円満に解決する道筋はあるように思う。
フィーバーが終われば、また忘れていくのだろうか?
大事なら守るなら、長いスパンで。
関わる人たちが、その気持ちでないと、これは、ただのお祭り騒ぎで終わる。
島は、荒らされて、荒涼とするだけだ。
こういったことを取り上げるのは、イチかバチか、だと思う。
でも、私は、もうコミットしようと決めたので、できる限りコミットします。
本土の人は、私の言っていることがわかりにくいと思います。
決して、これは運動とか、イデオロギーと絡めてはならない。
わたしたちの、島の、風土と魂と未来においてのみ、語るのだ。
この熱量が自分でもキチガイじみていますが、書きながら涙がこぼれる。
賛同してくれる人たちとうまく連携をとりながら、もっとうまく伝えられるように、これから起こったことを少しずつ書いていこうと思います。
頂いたお金は、宮古島の歴史と文化の活動をするために使いたいと思います。