ジブリ最高(o^―^o)
こんばんは🌙
ジブリ最高です笑今回はもののけ姫です。
私が初めて映画館で見た映画です。大好きな兄に連れて行ってもらった思い出の作品です。
めちゃくちゃ混んでてたって見た記憶が🤔
兄とは年が離れているので2人でお出かけはとても嬉しかっです。
スタジオジブリ映画の中でも特にシリアスな物語が展開される作品が『もののけ姫』。多くの人があの不思議な世界に釘付けになったはずです。本作の舞台は、登場する武器や、登場人物のセリフから室町時代の日本を描いていると言われていますが、幻想的なキャラクターたちの数々に思わずこれは「日本なのか!?」と疑ってしまう人も多いでしょう。
そこで今回は『もののけ姫』に登場した不思議なキャラクターをおさらいしながら、あのキャラクターは何者だったのかを紐解いていきます。
『もののけ姫』(1997)あらすじ
中世日本。青年・アシタカは村に襲い来るタタリ神をくい止めることに成功したものの、その代償として右腕に死の呪いを受けることになってしまう。呪いを解くための方法を見つけるため、アシタカはタタリ神のやってきた方角へ旅立っていく。
その旅の先。アシタカは山犬に育てられた人間の娘・サンや、タタラ場を治める女性・エボシたちと遭遇する。鉄を作るために自然を破壊する人間と、それに争う自然の生き物たちとの戦いに、アシタカも巻き込まれていくのだった……。
※以下、ネタバレを含みます。
森の精霊コダマはトトロだった!?
ひとりひとりは小柄で可愛さもある一方で、首をカタカタさせる姿がどこか不気味さも感じさせるキャラクターがコダマ。漢字では「木霊」と書かれる森にすむ精霊です。架空の生き物ではありますが、古くは『古事記』にて書かれるククノチという木の神や、平安時代の辞書である『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にも「古多万(こだま)』という項目が存在していたりと、古くから日本に伝わる存在と言えます。
ルーツと言える存在はいますが、そのビジュアルについては『もののけ姫』オリジナル。目と口は真っ黒で、一見埴輪のような顔をしているその姿は、宮崎駿著『折り返し点』内にて、森に何かがいるのが見えるスタッフが作り出したものであることが書かれています。
そしてコダマに関する逸話として衝撃的なのが、実はコダマは成長すると『となりのトトロ』に登場するトトロになるという噂。どちらもスタジオジブリの宮崎駿監督作品とはいえ、作品の時代設定も、キャラクターの姿や大きさも全然違うので嘘のような話なのですが、実はこちら宮崎駿自身が語った発言が元となっています。
それは徳間書店『「もののけ姫」はこうして生まれた』内の宮崎駿監督のインタビューにて、最後のカットにコダマがいる理由について、原画担当の二木真希子の希望であったことを語りながら、以下のように語っています。
と、『もののけ姫』のラストシーンのコダマが、『となりのトトロ』に繋がることを宮崎駿が語っています。もちろん、本文ではその発言に関しては“(笑)”と表現されている通り、コダマとトトロが同一であることは冗談半分に語られたことなのかも知れません。
ですが、少なくとも、コダマとトトロは近しい存在であり、豊かな自然があるところに両者は存在するのでしょう。そして少なくとも、あのコダマがトトロと同一であってくれても良いと、宮崎駿は思っているのではないでしょうか。
猩々(ショウジョウ)は人間と仲が良かった!?
出番はわずかながらも観た人に強烈なインパクトを残したキャラクターといえば猩々(ショウジョウ)です。黒い猿のような姿ですが、目は真っ赤に光っており、大勢でカタコトの日本語を喋る姿はなかなか怖かったです。猩々も古書に記載のある生き物で、そのルーツは中国にまで行き着きます。
日本ではその姿は猿のような姿で酒好きな生き物であることで知られ、能の演目にも登場し、人間とお酒を酌み交わしたりする存在として描かれていました。
猿のような姿をしている『もののけ姫』の猩々も、古くから伝えられているこの猩々と近い存在とは思われますが、サンを食べようとしたり、人間を敵視していることが描かれており、どうも物騒な存在として描かれています。能の演目で演じられているような、お酒を酌み交わせるような生き物ではなさそうです。
猩々のセリフの中に「人間食う。人間の力もらう。人間やっつける力ほしい。」というものがありますが、もしかすると能で描かれている猩々はすでに人間の力を手に入れた状態なのかもしれません。はたまた、かつては親しい存在であったものが、人間が森を破壊したことによって、人間を敵視しだした存在なのかもしれません。
シシ神は、神の中でも下級の存在だった?
『もののけ姫』最大の謎とも言える存在がなんといってもシシ神ではないでしょうか。樹木のように無数に生えたツノ。大きな耳に鹿と人間が混ざったような顔には眉毛らしきものも存在します。足に蹄はなく大型の鳥のようで、尾は狐のようです。水面を歩いたり、植物を一斉に急成長させたかと思えば、いきなり枯らせたりと、もののけ姫の中でも飛び抜けて規格外といえる力を持った存在でした。
しかも『もののけ姫』に登場する他の獣らしきキャラクターの多くが言葉を操るのですが、シシ神に至っては言葉を発しず、表情も変わらないので、得体の知れなさに拍車がかかり、余計に恐怖を感じさせます。多くの動物のパーツを併せ持った存在としては“鵺(ぬえ)”などがあげられます。鵺は神というよりは妖怪のような類として語られることが多いです。シシ神を語るには、むしろもう一方の姿に着目した方が良いかもしれません。
そのもう一方の姿というのが、シシ神が夜を迎えて巨大化した姿。その大きさは山をも見下ろすほどの大きさで、作中ではその状態をデイダラボッチと呼んでいました。獣のような姿から一転、巨大な人型となり、身体は青い半透明です。このデイダラボッチという呼称は、実際に日本各地に巨人の逸話として実際に残っています。例えば、デイダラボッチが近江国(現在の滋賀県)の土を使い山を作ったのが富士山で、掘った跡が琵琶湖になったという伝説が残っています。
この伝説からもデイダラボッチの巨大さが伝わるでしょう。デイダラボッチ自体は、妖怪のような文脈で語られることもあり、神として祀られるような存在とも少し違いました。そういった背景を投影したのか、宮崎駿著「折り返し点」では、デイダラボッチのことを山の下級の神であると書いています。デイダラボッチを凌駕する上級の神は、もしかすると現在まで言い伝えられる神話に登場する神々のことを指しているのかも知れません。
タタリ神とはなんだったのか?
アシタカが呪いを受けてしまうきっかけとなった怪物がタタリ神です。その正体は、映画でも詳しく描かれている通りシシ神でした。
物語の冒頭でアシタカを襲うのがナゴの守と呼ばれる猪神で、後半にタタリ神となるのが乙事主です。二人とも人間への負の感情を抑えることができず、このタタリ神となってしまいました。本来神として崇められる存在が、人間たちの発展の為に犠牲となったが為に一変して牙を剥くタタリ神は、自然信仰を謳う存在なのか、はたまた公害のメタファーとなっているのか、色々想像ができるでしょう。
ただ忘れてはいけないのは、タタリ神から呪いを受けたアシタカの呪いを、シシガミは物語の最後に解いてくれています。次世代を担う存在のアシタカを生かした『もののけ姫』のラストシーンは、人間たちの発展をただ怒るのではなく、それを経てもなお現代の私たちに生きてくれ、という前向きなメッセージを伝えてくれているように思います。
そして、自然との共生への希望として、最後にコダマが佇むシーンを残してくれていたことも見逃してはいけないところなのでしょう。
このように、『もののけ姫』に登場するキャラクターたちを追っていくと、いろんな日本の文化や、作品のメッセージが見えてきます。日本という文化の面白さを知るきっかけとしても、『もののけ姫』は良いきっかけになるのではないでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました。