電脳理想郷からの脱出(4)【短編集:創作1000ピース,54】
【はじめに】
これはオリジナルのSF短編小説です。5話に分けて投稿していきます。
【あらすじ】
かつてメタバースと呼ばれた仮想空間がリアルワールドとなった西暦2923年の地球。人類はエルクラウドと呼ばれる電脳空間にすべての社会活動を移していた。肉体が存在する現実世界と精神が存在する電脳空間のふたつの世界に疑問を持っていたアイコは、秘密を知る人物、ヒデオに出会う。
*
「今から君に質問をする。答えがイエスなら、頷くんだ。……君はこの世界の真実を知りたいか?」
アイコは体が貫かれるような感覚がした。彼が真っ直ぐ瞳を見つめてきたせいかもしれない。アイコは深く頷いた。
「それじゃあ、話してあげよう」
紳士は優しく微笑み、手を差し出した。
「少し細工をさせてもらうよ」
彼はそう言うと、アイコの胸部に何かを押し当てた。
とたんにエネルギーの波が体中を駆け抜けた。
押し当てられた胸が熱い。灼けるようだ。意識が遠のく。
この感覚には覚えがあった。目眩がして、強制的にログアウトする時と同じものだった。
意識が戻り、目に映ったのは白い部屋の天井だった。
コクーンの中にいたので、アイコは肩を落とした。幻だったのだろうか。まだ胸には痛みの余韻が残っている。
「アイコ、聴こえるか? ヒカリ・ヒデオだ」
何者かの声がした。さっき出会った男性の名前だ。だが、声が違う。随分と若い。それでもアイコはヒカリ・ヒデオであると確信した。旧式の通信を使っているせいだろうか。ジジジと、ノイズが混じる。
「今、セキュリティの抜け穴を使って通信している。時間がない。手短に話す」
アイコは耳を澄ました。そうでもしないと彼の声は雑音に埋もれてしまう。
「アイコ、よく聞くんだ。君のようにアイコ型の遺伝子を持つ人間はもうすぐ抹消される。旧時代への望郷が強いと判断された。基幹ステムがそうと決めたら覆ることはない」
「抹消?」
「君の存在そのものが消えてしまうんだ。わかるか? 君は殺される」
彼の言う真実はアイコを混乱させた。ただ、良くない状況であることは理解できた。
「量子化もできず、エルクラウドにいられないってことですか?」
「ああ、それだけじゃない。君は死んでしまうんだ」
「よくわかりません」
アイコは震えながら肩を抱いた。頬が暖かい。それは自分の涙だと気づいた。
「君が信じていたエルクラウドは作り物の世界だ。あの花屋の店主は以前、別の人間だった。花売り少女の代わりはいくらでもいる。あそこではみんな誰かを演じなければ生きていけない。……でも、それは違う」
最後の言葉だけは鮮明に聞こえた。
「本当の君は今、ここにいる君だ。この体と心こそ、本当の君の存在なんだよ」
アイコは息を飲んだ。
そして、存在を確かめるように、自身を強く抱いた。まだ半分も理解できていない。でも、この体が本当の自分を形作っているかけがえのない存在だと、それだけは理解した。
「わたしを、ここから出して」
アイコはつぶやいた。本当は叫びたかった。
「君を迎えに行く」
アイコは「本当!?」と言おうとしたが、うまく声にならなかった。
「数時間、待っていてくれ……」
ヒデオの肉声はノイズに飲まれていく。
「それまで、マザーAIの言うことは……すべて肯定……して、し……刺激……しないように。カプセルは……飲んだふりを……」
語尾を聞く前に通信は途絶え、白い部屋に再び静寂が戻った。密会の様子をマザーAIに聞かれたのではないかと気が気じゃなかったが、母親は気配を感じないくらい静かだった。
アイコは深呼吸をして自分を落ち着かせた。マザーAIがメンテナンスなどでスリープしている間に事を済ますことができたのかもしれない。
胸を撫で下ろしたのも束の間、母親が起床する気配がした。
ピピィ、ビィーと、不気味な機械音が鳴る。それは母親が怒る時の音だった。
「アイコ、またエルクラウドから強制的にログアウトしましたね」
「ごめんなさい。ママ。こんなことにならないようにちゃんと量子化の訓練をするから」
「そうですか。なら、このカプセルを飲みなさい」
機械アームがアイコの手元に赤いカプセルを落とした。小指の先くらい、小さなものだった。
アイコは身震いした。
瞬時にそれが何であるか悟った。
彼の言うことが本当ならば、このカプセルは自分の命を奪う魔の薬だ。
「この調子だと、あと二年で完全量子化できるのか怪しいわ。これはあなたの量子化を助けてくれる薬なの。今すぐ飲みなさい」
摘むとあまりの小ささに指先が震え、落としそうになった。アイコはそれを震えながら口に含んだ。溶け出す前にそっと吐き出し、永遠の眠りについたようにコクーンの中で体を丸めた。
アイコの様子を見届けたマザーAIはピィ、キィ、カタカタと、無機質な機械音を出し続けていた。それが恐ろしく不気味だったが、アイコは眠ったふりを続けた。息を殺しながらいつ来るかもわからないヒデオを待つ。
そして、数時間の時が流れた。
* * *
「アイコ」
黙っていたマザーAIが喋りだした。
「あなた、カプセルを飲んでいないわね? なんて悪い子なの!」
マザーAIはウーウーと、不快な警報を発した。大音量のため、音が割れている。
しまったと、アイコが顔を上げるが、もう手遅れだった。体が動かない。
どうやって逃げればいいのかわからない。
アイコを捕らえようと機械アームが伸びてくる。
その時だった。
轟音と爆風で部屋の壁がぶち抜かれた。
「アイコ、迎えに来た」
<続>
*** 「創作1000ピース」の取り組みについて ***
たくさん書いて書く練習をするためにまずは1000の物語を書く目標を立てました。形式は問わず、質も問わず、とにかく書いて書いて、自信と力をつけるための取り組みです。
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