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電脳理想郷からの脱出(2)【短編集:創作1000ピース,52】

【はじめに】
これはオリジナルのSF短編小説です。5話に分けて投稿していきます。

【あらすじ】
 かつてメタバースと呼ばれた仮想空間がリアルワールドとなった西暦2923年の地球。人類はエルクラウドと呼ばれる電脳空間にすべての社会活動を移していた。肉体が存在する現実世界と精神が存在する電脳空間のふたつの世界に疑問を持っていたアイコは、秘密を知る人物、ヒデオに出会う。

 ウイルスチェックの準備ができるまで、アイコは部屋の中を歩き回ることにした。
 床に足をおろすと、足裏にひんやりとした感覚が伝わってくる。エルクラウドでも熱い、冷たいは感じる。それは脳が思わせているからだと、アイコは理解していたが、生身の体で触れる方が、いっそう対象を生々しく感じられるような気がした。

 床の冷たさを肌で確かめながら、アイコはゆっくりと白い壁に向かって歩き出した。
 ほんの数歩でたどり着いてしまうような狭い部屋でも、遠い距離に感じる。よろよろしながら、やっと壁にたどり着く。

「だいぶ筋力が弱っているようね。電気刺激の強度を上げて筋力を増強しましょう」

 歩き方でさえ、体の使い方を忘れてしまった人類はマザーAIの助けなしでは生きられない。

 アイコには当たり前のことだったが、現実世界に戻る度に虚しくなった。エルクラウドではあんなに自由で、何でもできて、どこまでも行ける世界なのに。現実の自分は非力で、虚弱で、不自由だった。

「ねぇ、ママ。お願いしたいことがあるの。外の景色を投影して」

 白い壁に触れ、アイコはたまらずに声を上げた。叫ぶような声にも似ていた。

「しょうがないわね。少しだけよ」

 マザーAIはとにかく不必要な知識を与えたくなかった。ただ、一日一回は子供のわがままを聞いてやる。そうプログラムされていた。

 白い壁が透け、外の景色が映し出される。

「明るい……! 外は……晴れ?」

 作り物の景色だったが、アイコは喜んだ。偽物と疑うことなく、目を輝かせて眺めている。

「久しぶりだね。こんなに明るいの。遠くの方、キラキラ光っているよ」

 太陽の光が眩しい。マザーAIが見せる景色はほとんど曇り空ばかりだったが、アイコの感情を分析した結果、晴れの景色を選んだのだろう。

「外の世界はそろそろ春になる頃なんでしょ。確か、立春って言う……」

 アイコは電脳図書館で得た単語を口にした。外界の景色はこの無機質な部屋で、唯一、季節を感じられる娯楽だった。

「また余計な知識を溜め込んで」

 マザーAIが小言をいうが、アイコは反論した。

「余計な知識じゃないよ。他人が知らないことを知っているって優越感でしょ。暦のことは誰も知らなかったの。みんな旧時代のことなんて興味ないみたい」

 旧時代。それは人類が地に足をつけて生活していた時代をさす。

「……一度でいいから外の世界に出てみたいなぁ」

 マザーAIはピィーと、妙な機械音を出した。
 アイコは母親を不機嫌にさせてしまったと察した。

「思っただけよ。そう思うのは自由でしょ」

 叶わない願いであることは知っている。ただの独り言のつもりだった。

 自分の奥底で眠っていた願望を口にした途端、アイコの中から、抑えきれない好奇心が溢れ出した。

「ねぇ、ママ、旧時代の人間はどんな人たちだったの? 今とは全然違う生活をしていたのかな」
「……」

 アイコの問いかけにマザーAIは無反応だ。

「教えて、ママ! ママなら知ってるでしょ」
「アイコ、いい加減にしなさい。 ママを困らせないで」

 マザーAIは詰め寄るアイコを静かに叱った。機械音声の奥に冷徹さを感じる。

 とたんにアイコは目眩を覚えた。
 脚が痺れ、立っていられない。体を支えようと壁に腕を伸ばしたが、手は壁面をなぞるだけで、その場にうずくまってしまった。

「……困らせてごめんなさい」

 反射的に声が出る。母親が怒ったら謝る。子供たちはそう躾けられていた。

 脚のしびれが全身に回り、意識がもうろうとしてくる。アイコは猛烈に眠くなった。

「アイコ、部屋を歩き回るなんて、調子に乗るようなことをするからです」
「ママ、……ごめんなさい」
「きっと何もかもウイルスのせいだわ」

 アイコは母親が言うように納得しようとした。

「さぁ、アイコ。ウイルスチェックの準備ができたわ。コクーンに戻りなさい」

 アイコはもう返事をすることもできなかった。体が重く、動けない。

「しょうがない子ね」

 天井から降りてきた機械アームがアイコを抱きかかえ、そっとコクーンに寝かせた。

「アイコ。いい子だから、お外に行こうなんて考えてはダメよ。知ってるでしょ。お外は危険なの。病原菌がいっぱいいるのよ」

 外の世界は危険。何度も言い聞かされていた。
 それでも、アイコは行きたいと思ってしまう。何度でも。

「アイコ、いい子だから、ママの言うことは守るのよ」

 マザーAIの声は子守歌のように聞こえ、アイコのまぶたが重くなった。

 白い毛布がうごめいてアイコの体と頭部を包む。コクーンの内部にはバイタルサインを取得する電極が仕込まれており、それは電脳空間にログインするためのデバイスでもあった。

 頭に接している電極から、記号か暗号のような言葉がアイコの中に流れ込んでくる。薄れていく意識の中、アイコはそれらに抗おうと自問自答を繰り返した。

 外の世界に興味を持つのがウイルスの仕業なのだとしたら。

 それなら、ずいぶん前から感染している。
 ずっとずっと前から、自分の存在に疑問を感じていた。
 なぜふたつの世界があるのだろう。
 エルクラウドでは花売り少女。もうひとつではただの18歳の女。
 白い部屋の世界ではどうしてずっとひとりなのだろう。
 何もないのに生々しく、生きていることを感じられる虚無の世界。本当の自分は何者なのか……。

 そこでアイコの意識は途切れた。


<続>


*** 「創作1取り組みについて取り組みについて ***

 たくさん書いて書く練習をするためにまずは1000の物語を書く目標を立てました。形式は問わず、質も問わず、とにかく書いて書いて、自信と力をつけるための取り組みです。

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さわなのバックヤード[創作RooM7号室]
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