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私(satomi)ができあがるまで…⑤

この年になり、今振り返り、思うことは『私には勇気がなかったんだなぁ…』ということです。

完全に彼から逃げてた…と。

結婚当初は、私も仕事をしていたけれど、子どもが生まれてからは彼の収入だけになり、私はこれからどうなるんだろう…乳飲み子をかかえて不安な日々でした。

私の持っていた少しばかりの貯金は、出産の費用と、日々の生活費に消えていきました…

おまけに彼は転職を繰り返していたので、なかなか給料は安定していませんでした。

私は毎日を生きていくのに精一杯でした。今日、何とかなった…明日は大丈夫かな…?と、考える日々。

それは、金銭的なことと、彼と衝突しないこと(怒られないこと)、両方でした。

不安な心のまま、不安定な生活の中で、私は育児をし、でも、義理の母の援助もあり、日々はどうにかこうにか過ぎていきました。

その中で、私は子どもが、時と共に成長していくことの喜びと、幸せを感じてはいましたが、子供が大きくなったらまた働こう、今のままでは何か違う、これは私の人生ではない、という思いが常にあって、いつか必ずこの家を出ると心に決意していました。

変わらない夫婦の関係と、うまくいかない金銭的なこと。

私と彼、どちらかが声をあげ歩み寄らないと、改善しないとわかっていても、私たちはどこか、ひとごとでした。

いつも誰か(義理の母)が何とかしてくれる、なんとかなると思ってしまっていました。

私と彼は、体は大人だけど、中身は子ども…そんな子ども同士が結婚して一緒になっただけでした。ほんとうに未熟でした。

2人の子どもが大きくなってくると、夫婦が仲良くないことを理解し始めます。

そして、子どもたちは、彼のこと(お父さん)を怖い人、怖いなぁと感じるようになっていました。

彼は子どもの前であろうが、そうでなかろうが関係なく、結婚してからも、ずっと変わることなく短気なままで、気に食わなければ、怒っていました。

今現在、大人になった子どもたちは、何かのきっかけで、家族の話になると、あの頃の彼(お父さん)のことを怖かったねと言います。

私と彼は、生活をしていく上で、必要なこと以外は話さない関係性になっていました。

家庭は冷えきった状態で、心も冷え切っていて、気持ちも離れていました。

そんな日々の中、私は自分の人生ってなんだろう…とだんだん考え始めていました。

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