名も知らぬ巨人の選手へ
さっきまで、この世で一番好きな野球選手を見るために、プロ野球・巨人のファーム本拠地であるジャイアンツ球場に行っていた。
といっても好きな選手は巨人の選手ではなく、ビジターチームとして来ていた社会人野球チームの選手だ。
その選手は投手なのだが、プロ野球の公式戦のような予告先発などという制度はなく、投げるのが見られるかどうかは完全に運。
しかし今は、都市対抗野球の補強選手に選ばれた投手がチームを離れている。登板する可能性は普段より高い。久しぶりに投球が見られるかもとワクワクしていた。
結果、投げず。
彼が新人らしく元気にバット引きをしているのをボーッと眺めていたら試合は終わった。
暑かったしお腹も空いたし、アルコール持ち込み禁止でお酒も飲めなかったし、かなり悲しくなった。
推しを撮るために持ってきたバズーカレンズの重さが肩にずっしりのしかかる。
とぼとぼと帰路についていると、巨人の練習場の方から自転車に乗った若者がやってきた。
彼は私と目が合った瞬間、「しゃす!」と挨拶した。
マスクで鼻から上しか見えなくても分かるくらいのニッコリ笑顔で。
きっと巨人の選手だろう。私のことを練習か試合を見に来た巨人ファンだと思って挨拶してくれたに違いない。
突然の爽やか挨拶に面食らった私は「ッス……」という音になっていない声と、首がわずかに揺れただけの会釈だけしか返せなかった。
でも、ものすごく心が晴れやかになった。
さっきまでの悲しみが嘘のように、「よみうりV通り」という駅まで続く長い坂道を下る足どりが軽やかになった。
きっと彼はなんてことない習慣として挨拶しただけなんだろう。
けれど、その習慣で私の土曜日は救われたのだ。
挨拶は大事と理解しつつ、私は普段テキトーにしているなあ……と帰りの電車で反省した。
低血圧を言い訳にして、特に朝は蚊の鳴くような声でしか挨拶しないことが多いけれど、明日からは爽やかに挨拶して生活したいものだ。
プロ野球選手の挨拶のようなプレミア感はあるはずもないが、もしかしたら、私の挨拶で誰かの気持ちがホッコリするかもしれないから。
最後に、名も知らぬ巨人の若手選手へ。
私は人の顔を覚えるのが苦手だしマスクもしていたから、きっときみのことをテレビで見ても東京ドームで見ても思い出せないでしょう。
でも、きみが寮を出て、チャリではなくでっかい車を買って、綺麗な女子アナかモデルと結婚しちゃうような大物選手になることを、私は今日から勝手に願っています。
そしていつか大物になっても、ファンに笑顔で挨拶してくれる素敵な選手でいてください。
2022.7.9