期待しない。
冒頭
こんにちは。こんばんは。
日々すぎるのがあっという間で最終更新日から2ヶ月も経過してしまいました。
せめて月に1度はと思っているのに、、
忘れないように心に響いたことがあった時に自分の一部としてここに残せればいいなと思っています。
オーストラリアに来て8ヶ月が過ぎました。
これまた早いもので、、、
色んな人に出会い、色んな気持ちを抱き、経験をし、
自分の人生にこの時間がなかったらと思うと怖いくらいです。
そして、最近とても素敵な出会いがありました。
とは言っても数ヶ月前に出会っていたので、
素敵な出会いをしていたことに心から向き合って気づけたという言い方が正しいかもしれません。
そこで出会った素敵な考え方を残します。
他者に期待しない生き方
今回の題名をみて、どんなことを思いましたか?
少し寂しい気持ちになったり、冷たく感じたり、
モヤっとする感情を抱いた人も少なくないと思います。
私もその1人でした。
でも、それは全くの勘違いだったなと気づいたんです。
世の中の他人に期待しない前提で生きていると、他人の気遣いや思いやりに感謝できるようになる。なぜなら、当たり前がありがとうに変わるから。
期待しないことで日常がもっと生きやすくなり、愛情を持った生き方ができるようになると思うのです。
芦田愛菜さんの名言
ひとつ見つけたエピソードで芦田愛菜さんの名言を紹介します。
『その人のことを信じようと思います』っていう言葉って
結構使うと思うんですけど、
『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、
その人自身を信じているのではなくて、
『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに
期待してしまっていることなのかな』と感じて」
「だからこそ人は『裏切られた』とか、
『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、
『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、
『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、
その見えなかった部分が見えたときに
『それもその人なんだ』と受け止められる、
『揺るがない自分がいる』というのが
『信じられることなのかな』って思ったんですけど」
「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。
だからこそ人は『信じる』って口に出して、
不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、
理想の人物像だったり縋りたいんじゃないかと思いました」
なるほど。。深すぎる。。
幼い頃の自分が走馬灯のように巡ってきて恥ずかしくなりました。結局自分の中での正義で相手を見るから、期待してしまい、「〜なんだから〜するべきだろう」という決めつけが生じて、そうじゃなかった時に相手のせいにしたり、裏切られたと口にしてしまう。
でも、本来はそうではない。自分にも正義があるように相手にも正義がある。自分が作り上げた人物像に期待して、相手を見ることは相手を本質的に理解しようとできていない。
期待せず、相手の本質、相手のありのままをみようとし、尊重すること。それが本来あるべき人間関係の構築のスタートであるべきなのだろうと理解しました。
「他人に期待しない生き方」の実践方法
じゃあ具体的にどう実践していくのか。
調べていたら見つけたので、参考にしながら自分なりの解釈を記載してみます。
相手の価値観や立場・考え方を尊重する
言葉で聞くととっても簡単そうに聞こえてしまうし、聞いても正直当たり前じゃんって思う。シンプルなのに多くの人ができてないこと。これは本当に想像力なのかなと思う。
それもそれでその人だと否定せず、批評せず、理解しようと努めること。本質に迫ろうと努力することが尊重することなのかな。
相手の課題と自分の課題を分離する
これは前に【嫌われない勇気】で有名なアドラー心理学に触れた時に学習した。自分がどうにかできる課題と、どうにもできない相手の課題がある。
課題の分離とはすなわち、「その選択の最終的な責任を引き受ける人間以外は、その選択に口出しをしない」こと。
課題の分離の本質は、相手に要求するのを我慢することではなく、「相手が積極的にそうしたくなるように働きかけること」で、そうした努力の末に相手がどうするかの結果には期待しない。
ここの線引きができることって本当に期待しないで生きるということに直結してるなと思った。
別にスーパーヒーローにならなくても、
頭のいい学校に行かなくても、
何もかもうまくできなくても、好きなことに気づき、楽しんで健康でいてほしい。
でも、必ず味方でいる。
最大限に愛情を注ぎ、人間的道徳と倫理、物事の道理を外さないように教え、導き、世界を見せてあげるのは親の役目だとしても、その先は相手の課題。自由である。
結果に対して期待することはしない。
でも、必ず愛している。これこそが本物の愛だなぁって。
これを書いてるだけで泣いちゃうな。。(深すぎる、、)
my episode
期待しないことって、もちろん自分自身が傷つかないためにコントロールしていると言う意味を含んでいることはあるかもしれない。
その方がストレスなく生きれると思うし、傷つかずに生きられる。
でも、相手に期待しないということが、
『相手の意思決定を尊重して、それがどんな結果になろうとも、否定も肯定もしないこと。』
だとするならば、相手がどんな行動をとっても、どんな結果になっても、その存在自体を丸ごと受け入れられると言うことになる。
それって、相当の覚悟がないとできないし、これこそが愛だと感じた。そして、彼の覚悟も感じたわけです。
「期待しない」ことにどれほどの愛情が必要になるのかを理解する必要があるなと思った。
「期待しない=関心を持つな」ではない。
最近は特に人を表層的に見ることはしたくないと思ってる。
どんな人も決めつけない。どんな人でもその人の本当の姿は何だろうと関心を持つことがその人に対する最大のリスペクトだし、自分へのリスペクトだと思うから。
彼のパーソナリティを理解しようと努めていた時間があったからこそ、
彼が他人に頼らないのはいい意味で他人に期待していないから。悪口を言わないのは他人は変えることができないと理解しているから。期待せず、相手を尊重しそのままを受け入れているのだなぁと。素敵だ🥲
信じるというのは、簡単なものではない。
期待は自分だけでできるけど、
信じることは相手がいるからこそできること。
彼が私に対して期待をせずに信用と信頼を寄せてくれるようになるには、私も私なりに信用に値する行動がなければならないと感じたわけです。
人を欺かず、誠実にまっすぐ向き合って
幸せに生きようね😌
感謝
未奈実
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