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221103_いつでも連絡をとれる状態が何かを失わせている

昔は手紙などを通じて遠く離れた人同志がコミュニケーションをとっていました。手紙など郵便が無かった時代はそもそもどうなっていたでしょうか?

現代では携帯電話やフェイスブック、ラインなどのアプリでいとも簡単に誰とでも連絡をとれるようになりました。非常に便利になりました。非常に便利になったおかげで大きく失っているものも出てきました。ですが、多くの人々はそれに意識を向けていません。

誰とでもいつでも連絡をとれるようになったということは非常に面倒である相手からも常時連絡が来るということが起こります。ストーカーという問題もそうですが、合わない人からも連絡が来て面倒にリアクションするということに時間を費やすということが発生しました。

また、それとは別に。仲良しや恋人などとも毎日、連絡がとれるようになったことは一体何を失わせているのでしょうか?

それは【また明日も連絡がとれる】という当たり前ではない前提を当たり前の前提とするようになったことです。このような前提を置いてしまうと、人は心の奥底からのコミュニケーションがとりにくくなるものです。仲良し、恋人という身近と思っていた存在とは日ごとに心を通い合わせることができなくなり、いつの間にか大きなすれ違いを認識せざるを得なくなります。大きなすれ違いを認識する前に小さなすれ違いが起こっているのですが、それが【また明日も連絡がとれる】【いつでも連絡がとれる】と思い込んでいるせいで見て見ぬふりか氣が付くことができなくなってしまいました。

一日一日、全身全霊を持って人と交流できなくなっているんですね。

こういう通信網が地球全体レベルで発達すると次に何が待っているのか?絶頂期を迎えたものは次に衰退期が訪れます。このようなサイクルを考慮すると、今、当たり前のように連絡がとれる状態は遮断されるか、破壊される可能性があると思っています。

今、普通に連絡をとれる人は次にもう連絡をとれないかもしれないと思って接するのは大事なことだと思います。そういう心構えがあれば無駄な言葉を発したり、無駄な言葉を送信することをやめ、心のこもった言葉を相手に送る可能性が出てきます。

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クリスタル・フラーレン

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