230407_内側の源泉に意識を向けるかスマホ画面に意識を向けるか
日本に遊びに来ている外国人が多くなりました。
ふっと見ていると、彼らは日本の何かを満喫する姿勢が見られるのであまりスマホ画面に夢中になっていないような氣がします。
それとは反対に仕事帰りの日本のサラリーマンとか特に一人で歩いているような日本の学生はひたすらスマホ画面を覗きながら歩いています。
スマホ画面に夢中になるのは、それが面白いと思っているからだと思いますが、意外にもスマホからアクセスできる情報ってのはかなり限られています。そういう意味ではインターネット内には沢山の情報があると言いつつ、大して役に立つ情報は抽出できないということになろうかと思います。もしアクセス出来たとしても、必ず文字か画像を通じてなのでそれが自分をさらに拡大させる情報になることは難しいでしょう。
文字になっているもの、画像になっているものというのは自然豊かな風景を画素数が極めて限られた携帯でパチリと撮ったようなもので。自然の風景をホンモノだとすれば、それが貧素なものに歪曲変換されたホンモノとは程遠いものだというのは誰でもわかると思いますがそれと同じように歪曲したものであるということです。
一方、スマホをいじった先に見られる情報源よりも遥に多様性に富み面白く興味を掻き立てられる方向性があるとすれば、それは自分の内側から来るものでしょう。
どちらに意識を向けるか?です。
これは各人の選択となるものです。
内側に意識を向ける場合は専ら、現実世界を認識することにしか使っていなかった五感などの感覚機能をいったん休止させて内側を発掘するための知覚機能を使うようにしていく必要があります。やはり使っていないものは無かったことになるので、使っていくことをコツコツ行っていく必要があります。使っていくうちに熟達していくようになりますから、そのうち内側にあるものを物質に変換したものを表現できるようになろうかと思います。
クリスタル・フラーレン