230910_顔と体と
自分の顔を直接見た人はいないと思います。
勿論、鏡で見たことはあると思いますが、鏡というものを経由して間接的な方法で自分の顔を見たことはありますね。
特に女性は化粧をしますのでこの間接的な方法で絶えず自分の顔を見ていますよね。
そして【自分の顔はその鏡で映っている顔である】と思えば思うほど、それが強固な信念となりまさに鏡に映る顔が自分の顔ともはや改めて思うこともなく【当然そうなのだ】という状態になります。これがたぶん潜在意識に刻み込まれた状態と言えるかなーと思います。
友人知人と向かい合ってしゃべっているときというのはよく考えてみると不思議な状態で自分の顔を把握しているのですが、愛も変わらず友人知人と向かい合ってしゃべっていても自分の目で自分の顔は把握できず相手の顔はハッキリ見えています。顔だけでなく相手の来ている服や体型なども見えています。互いにそんな状態で自分は見えてないけど相手だけが見えている状態で。これが自我同志だと単なる言語のやり取りしか行っていないように見えますが、恐らく言語外のテレパシーみたいなもので互いの見え姿情報をやり取りして相手に送信しているのだろうと思われます。
このテレパシー情報を持って自我という存在をより強固にしているのだと思います。【私って〇〇だから】【私なんて〇〇だから】というフレーズを聞いたことがあると思いますが、その私情報というのはこの向かいあってきた友人知人見知らぬ人から見た私の情報を元に構成されていて。ある意味、自我というのは他人から与えられた情報を身にまとっている仮想的な情報的な人格とも見れます。
この自我が【私である】と強固に思い込んでいるときってのは【何でも欲しがる】傾向を持ちます。それは何故か?と言うと自我が与えられた情報で構成された人格であるとするなら、自我はその与えられた情報を全て剥ぎ取られることを無意識に恐れていて、私を構成する全情報を失うことがないよう次から次へ【私に対する追加的な印象を求める】ように出来ているという生存防衛本能みたいなものが備わっていると思えるからです。
そんな自我も極限まで行くと反転して、生まれることも死ぬこともない私という存在に氣がつく可能性がありますが、それまでは広大な宇宙の中にポツンとある形を保ったタンパク質の小さな小さな塊が私であると認識し私は体であると思い込んだままとなります。
もし、その私が反転を起こしたならば、【あれ?そもそも私のボディというのはコレであり、アレであり、全てではないのか?】という氣付きが起きて、これがいわゆる口伝でしか伝わらないエソテリックの世界で言われているところ身体の変容という内容となっていくのではないか?と思っています。
クリスタル・フラーレン