見出し画像

令和7年0128_体全体で情報を掴む

見たり知ったりする情報ってあるじゃないですか?

それも情報なんですが、情報としての厚みはそれだけだと薄いんですね。

例えば、教科書で北海道はジャガイモやトウモロコシがよく獲れると学習したとしてもその情報を聞いた上で現地に実際、ジャガイモ畑やトウモロコシ畑を視察して、さらに収穫もちょっと手伝う体験をした人ではどっちが体に厚い情報がしみこんでいるか?と言うと当然、後者です。

んでその体に厚い情報が保存されている人と見たり知ったりするだけの情報を蓄積している人とでは空間に与える影響もずいぶん異なってきます。
これは随分、自分でも目撃しましたが、たまに特定の人間が店に入ると、その御店に次々人間が入ってくるという現象があります。最初は偶然か?と思っていたのですが何回も見るのでこれは一体何か?と思っていたら、その人が持っている情報量が影響していることが判りました。

情報というのは1つの性質として濃度の濃いところから薄いところへ流れるというのがあります。
体験型で濃い情報を持っている人間がいると、そこに薄く情報を持っている人が集まって情報が流れていくということがたまに起こったりします。勿論、集まった人と全て会話しているわけではないので見かけ上、情報の伝達は起こっていないように見えますが、裏でたぶん何か流れて伝達されている感じです。

ということなんで見たり知ったりした情報はどこかで実践するというのは大事ですね。それを多くの人が行うことで定説が定説でなくなったりということが起こります。
この実践をメンドクサイと言って怠る人は専門家依存してしまう感じ。
専門家の言葉の呪縛から逃れるのが難しくなります。

ヒビキアマカム


いいなと思ったら応援しよう!