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221206_型を知らない人間
仕事で新人さんと接する機会がよくあるのですが。
新人さんというのはよくある賢い人物であることが多く、どういう風に賢いのか?というと現代の学歴社会の基準となっている偏差値が高い、試験すると高い点数をとるというやつですね。
んでその新人さんが作成するものを見ていると、まあ汚い、見にくい、わかりづらいの三拍子が揃っています。【どうやったらこんな成果物になんねん?】とよく思うのですが、その人が持っている型がないのですよね。頭をよく使っている、賢い割には型がないので何言っているかわからないし、何が言いたいのかわからないし、説明が長すぎる、そして私には責任がないという凡ミスの言い訳をするという感じで。
自由に好き勝手やって氣ままに生きていると、何か集団で作業を行うときに自分のやってきたことがほぼ通用しないのですね。そして自由に好き勝手やって氣ままに生きていると相手とのコミュニケーションで何が言いたいのか相手にさっぱり伝わらないしコミュニケーションをとることが困難になります。現実世界で相手と接して生きていく際には、自分独自過ぎる癖、洗練されていない部分を取り去る必要がありますが、その癖を取り去るために型というものがありまして。一端、どこかに所属して【型にはまる】ということを体験しておく必要があります。これをやらずに自由に好き勝手やって氣ままにやっていると誰とも取引できなくなることが起きてきます。相手も取引するのを段々嫌がるようになります。
【型にはまる】ということを一定期間行うと今度はその型を卒業します。【型にはまる】ということは思考の癖、動作の癖を取り去るのに重要なことなのです。
はまった型から卒業した後は独自の型を形成していくのです。だから最初からどこにも属す経験をせずにフリーランスをやるとか言うのはちょっと危険なような氣がします。一端、誰かが作った型をしっかり体験することで自分の強癖みたいなものを自分で認識できるようになります。型にはまるというのは自分を知るためでもあるのですね。知ったあとに新たな自分を構築し、自分だけのオリジナルな型を作っていくプロセスが重要です。そしてそのプロセスは終生続いていくものです。型というのは仕事なり、人間関係なりと様々な局面の型があります。
ということで・・・自由に好き勝手やって氣ままに生きている人間は日々やりたくないことに従事している人間が羨ましく見がちな種類ではありますが、自分というものが無い人間の可能性が高いということでもあります。
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クリスタル・フラーレン