230904_何でもCOPY
私と思い込んでいる私というのは様々なCOPYを組み合わせた人格となります。
生まれたばかりの赤ん坊ですら、何かしらの独特の習性を持っていたりします。例えば、1つのモノに対して興味を示す赤ん坊もいれば興味を示さない赤ん坊もいて。この興味を示す由来がDNA情報なのかは不明ですが何かのCOPYされてきたものを携えて生まれてきた結果となるものだと思われます。
人間はそれぞれが固有の顔を持っていますが、基本的に街中で人間が歩いていたら【あ!人間だ】と識別できるのですから人間の総体情報みたいなものがどこかにあってそこからCOPYしたパーツを組み合わせた形態が今の自分と思い込んでいる自分のベースとなっているハズです。
COPYの結果によって作られた人格は社会や文化を作っていきますが、どうやらどこでもあらゆるものをCOPYするようです。日常の仕事場を見れば一目瞭然だと思います。新規の仕事のプロジェクトを任された人は十中八九、前例がないかインターネット情報検索するハズです。もし、その情報検索に引っかかるものがあれば、ある程度、概念や方法などをCOPYするハズです。
社会の中に溢れている製品も似通ったものばかり溢れているところを見ると、人間はCOPYする習性を基本に行動していることになります。
それでCOPYの組み合わせを新しくしたものを新製品ととして市場に送りだしているケースがほとんどで。
実体として見るとそれは新製品ではなくあくまで新しいCOPYの産物ということになります。
COPYするのは製品だけではなく、考え方、思考、感じ方、癖までCOPYしていきます。そして、自分の目の前に映っている世界すらも実際のところはCOPYされた風景となっていて、COPY元となる世界認識方法で自分の目の前の風景を構築しているところがあります。
もし、このCOPY元となる情報が失われてしまった場合、人間はCOPYできるものを失うため、いわゆる自我が無の世界に転じる可能性があるのはなんとなくわかるような氣がしますね。
ではとてもCOPYとは言えないオリジナルなものはこの世界に存在しているのか?
それはきっとあるのでしょうとは思うものの、COPYに溢れたものばかりであるからそれが見えなくなっている状態が今あるのだと思います。
クリスタル・フラーレン