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230124_記憶を拠り所にしかしない生活

朝、起きると自分の名前とか自分の過去の生い立ちが立ち上がって、昨日の自分の続きみたいなのが発生します。

ここに記憶の存在意義があると思うのですが、この記憶が全て消去された状態で朝、起きるとどうなるのか?と言うと【私は誰?】状態になる可能性があります。

記憶というのは性質上、既知のものであるので新しくはないわけですが。人間というのは記憶という古いものに乗っかかりつつ新しいものを求めているところがあります。新しいものとは記憶外にあるものです。でも記憶外にあるものを怖がるところもあります。しかし、ずっと記憶の延長線上にある行動しか行わないとずっと同じ現実パターンが再生されます。繰り返しばかりだなと段々と感じるようになります。登場人物も来てる服、顔は異なるんだけど似たような性質を持つ人間ばかりが出てくるようになります。似たような人間ドラマが繰り返し起こります。

記憶で生きるとずっと同じパターンの生活になります。

そのパターンが起こるとよろしくないからたまに今までにない考え方をする人物とか行動をする人物と遭遇することが大事になってきます。そうすると記憶を拠り所にしていた生活が段々と変化し始め、次の現実パターンにシフトしていきます。

たまに入ったことのない店、通ったことのない道を通ってみることは大事でパターンの更新になるわけです。

人によってはずっと新しいことは面倒くさいから慣れ親しんだパターンでいいと思っている人もいますが、自分の場合は常に更新されていく現実を望んでいます。毎日毎日、似たようなモノを食べて似たような時間の過ごし方をして似たような人間と出会うというのは何だか地獄だなーと思ってしまいます。

ですから記憶は時折、忘れるようにするところがあります。

人もそうなんですが、人が集まると組織になりますが慣れ親しんだパターンが良いという人が組織化するとチャレンジしない企業というのが登場します。日本の企業はこういう感じの企業が多いのではないか?と思っています。でたまに新しいことをやっているか?と言うと、過去の記憶と記憶を組み合わせただけの行動をしていることが多く。モノを作っている会社が出す製品もそんな様相になっていることが多いですね。

例えばですけど、ガソリン車から電氣自動車に・・・という流れがありますが全く、新しくはないですよね。次世代の・・・とかいうフレーズが付いていても全然次世代ではなく過去のモノやん!となり、昔からある電池とか電氣で走るミニカーを大型化しただけやん!という感じで。

組織を構成する多くの人間が記憶パターンのみで生きていると昔にあった何かと何かを組み合わせただけの製品を新製品として市場に出すだけってことに終始してしまいます。それは新たにクリエイトしたものとは言い難いものです。結局、新製品と言いつつ記憶製品でしたと言えると思います。

個人の日々の生活も特定パターンに固執・執着しないように日々、アップデートしておきたいものです。


クリスタル・フラーレン


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