220403_内面の知覚
以下、リンク先より。
P327
憎しみはあなたがたを制限し、知覚をどんどん狭めます。すると憎悪の対象がいよいよ増えていくばかりで、あなた自身の体験にも憎むべき要素を次々呼び入れてしまうことになります。問題はその感情なのであって、その感情を喚起させた原因であるかのように見える誰かではないのです。あなたがたが憎む代わりに愛、健康、そして「ただ在ること」の感覚を拡張すれば、そうした資質をみずからに引き寄せることになります。それは「あなたが意識の焦点を合わせるものが、あなたの体験するもの」だからです。
憎しみを抱く人は必ず自分の正当性を信じています。自分が善であると信じるものに対しては、決して嫌ったり憎んだりすることはありません。たとえ当人は問題の憎しみに関して自分が正しいと信じていても、やがて憎悪自体がはなはだ強力な主張と化すようになり、憎しみそのものが唯一の破壊要因であることを本人が学ぶまで、それはいくつもの転生のあいだ憑いてまわることになるのです。
個人的に思うのは、特に日本人に多いのかもしれませんが感情との適切な距離を置く人が非常に少ないなーということです。
どういうことかと言うと、感情を適切なタイミングで表現できる術を持っている人が少ないということで、すぐ隠す、抑圧する、我慢するということに走るというのが多い氣がしています。
【そんなこと繰り返していると神経系統にいつか異常をきたすがな】と思うことを平然とやっているわけで。まあ、それも本人の学習過程なんですかね。
最近は、内面の知覚というものを行っています。以前は興味があったものの、さほど長続きしなかったので特に内面を知覚する練習なんてしなかったのですが、最近はこの知覚の練習によく取り込めるようになりました。これが一体何になるのか?
現実と言うのは日々の行動パターンの結晶化なので、行動こそ意味するところが大きいのですが、その行動パターンが内面から作られているということで。だから、内面が変化すると行動パターンが変わり、現実が変わる・・・というプロセスが起こるのですが、それをより精緻に、と言いますか、一歩、奥に入った領域からコントロールする手法を身に付けるという意味合いを持っている感じですかね。
現実を変えるのは勿論、現実世界となりますが、現実を変えるにしても現実を俯瞰した膨大な情報が必要かなと思います。そのような情報を得るには、現実を作っている領域に意識を合わせる必要があるのですよ。
クリスタル・フラーレン