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230403_カタチナイモノ

カタチが無いモノを知るには一体どうすればいいのだろうか?

物質世界の住人からするとカタチが無いモノを知るには何かを飛び越えていく必要があるように思える。その飛び越えには物質というものが必要になってくる。
日々の物質的現象を作っているそこから思いや思考などを馳せて。

形を持つ物質は永続しない。瞬間瞬間滅びている。
同じように社会も永続はしないし、
文明も永続しないし、
会社組織も永続しないし、
法律やルールなんて作ったところで続くもなどないし、
ある人との関係性も永続はしない。

現れては滅びている、そのものの現象を成り立たせている力がある。そこに意識の焦点を合わせていく感じで探究していく。

家に椅子や机があった場合。

何故、椅子や机が個別に存在することができるのか?何故、くっ付いて存在しないのか?疑問に思う。
個別に存在させているその力は一体何なのか?

また我々の思い込みでいったん椅子と認識したら、次の瞬間もそれを椅子と認識するように何故か一貫性を持つことが強制されている。椅子は瞬間瞬間滅びているにもかかわらず。
この滅びている瞬間を現代人は無かったことにしている。あるにも関わらず。

これは個体をまとっている一人一人の肉体も同じことが言える。明滅して次に立ち現れている物質というのは全く別物である。それなのに同じように椅子と認識していることに問題があるのであって、それで本質を掴めなくなっている。

形ないものを知るにはこうやって形あるものにじっくり意識を合わせて掴んでいしかないのだろうと思っている。

クリスタル・フラーレン


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