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231206_人と人が接すると摩擦が必ず発生する

人間というのは生き物です。

社会の中に生きていると生き物ということを遂、忘れがちですが。自分が生き物である忘れるとどうなるか?
見てるとパターンは概ね決まっているように思います。獣になっているか機械になっているか・・・ですね。見た目はキッチリしていても社会で生きていると本心を隠して生きるのでやがて奥底に沈んだ本心が表に出ようと獣化して暴れ出そうとすることがよくありますが、逆に獣とは反対に機械マシーンのようになってしまうこともあるようです。獣のように暴発しないように自分を機械化してしまう感じで。抑圧に抑圧を重ねる感じで。感情の動きを無理矢理封じている状態ですね。

こうなってしまうのは狭い空間、狭いシキタリ慣習、狭い人間関係の中で生きていると普段、合うことのない人間も接することになりますから、そこで互いを削り合うということが起きます。
鰹節みたいな感じで。
そうすると互いに削ったカスみたいなものが自分の中に蓄積してしまい、これが不幸不運を呼び込みます。
そうなると削り合いを回避するために人間は本心を奥底にしまい込んだり、自分自身を機械化してセーフティゾーンに逃れるように行動してしまいます。

拘りを沢山持っている人は非常に厄介なところがあって。拘りは自分自身の角ばったところを作っているわけですから、マッチアップする相手も当然、角ばったところを使って互いに角ばったところで削り合うというところがあります。なのであまりに沢山の拘りを持たないほうがいいのはこのためで。拘り無さ過ぎてもたぶんダメなので、この辺りは自分の周囲、人間関係を見ながらの塩梅となってきます。

人が人と会うのは面白いところがありますが、会わなさ過ぎても問題が出て来るし会い過ぎても問題が出てくるのでこの辺りも日常で自分で調整していかないといけないところです。
話がとても会うようなソウルメイトとかマブダチとか親友とかの表現ができる人に会ったとしても何かしらの摩擦が起きているので、氣が合うからといって会い過ぎていると問題が出てきます。
日々、調整しないといけないということです。

ヒビキアマカム


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