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takamasa_jindoh
230404_明日が良くなる?
社会は専ら明日が良くなるために活動しているところがあります。
しかし、振り返ってみると明日が良くなったことはあるのでしょうか?次々とより人々の動きを制限していく法律が生み出され、次々と人々から吸い上げる税金の種類なども増えて、良くなったと言えるのでしょうか?
明日がよくなるために今日という日を頑張るという姿勢がそもそもどうなのか?と立ち止まって考えなくてはならないと思います。
地球の裏側にいる人との情報交換もより効率的に行うことできるようになりましたが、それで明日が良くなった言えるのでしょうか?効率的に便利になったにも関わらず、人々は何かとやることが増えて疲弊しているのは一体どういうことでしょうか?
身動きしずらくなっているということは重たくなっているということです。重たくなるということはどこかへ得体の知れない領域に沈んでいってるということになるかと思います。
これは全体が進んでいる方向が相当おかしいのではないか?とどこかで個人個人が思う必要があると思います。
そして明日が全然、良くなっていないと判明すると今度は【過去のあの時代が良かった】と言い出すことになります。こういう状態が多くの人に起こるときってのは時間というものが限界を迎えているときなのかもしれません。
だからと言ってその限界を救済してくれる何かが現れるのか?と言うとそんなことはないと思います。何かに氣が付いた人から意識的に移動していく姿勢を持つことでその個人は何かを変えていくことができるのだと思います。
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クリスタル・フラーレン