かわいい人がかわいいと言われている隣で、私はそれを笑顔で聞いていた。


安原健太さんの記事を読んで、自分が今まで何に苦しんできたか、少し整理できた気がする。
解決策を見つけられたわけでもないし、前向きな締めくくりでもないことを先に述べておく。
ただ、自分の中で説明できなかった感情が整理できたという話である。


私は「かわいい」と言われている、または女の子扱いを受けている友達の隣でそれを眺めて寂しさを感じていた側の人間だったと思う。
だから私からすれば、「かわいい」と言われることは羨ましかったのだ。それが性的な意味を含んでいることにも気付かず。

私を通り越して交わされる「かわいい」は何度も、長い期間をかけてじわじわと私の自尊心を削っていった。

私は学生の頃から体育会系として過ごしていたため、わかりやすく女性として扱われる経験はなかった。お付き合いをした男性もいたが、彼が私を一個人として大切にしてくれたおかげで、「女性」を意識せずにいれたと思う。

そんな10代を過ごしてきたが、成人して大学生、社会人と過ごすうちに女性として扱われる方が存在を認められる機会が多いように感じた。友達がちやほやされているのを笑顔で聞いていた私は、女の子扱いを受ける友達を羨ましく思っていた。男性たちのアプローチに友達がどんな気持ちでやり過ごしていたかは想像もしなかったのだ。


そんな私が、初めて自分が女性として、性的な対象としてのみ見られた時は本当にショックだった。


その出来事は、お店のお客さんからご飯に誘われた時だった。いわゆるナンパである。
その時の私の感情は、驚きと女性として扱われたことへの喜びだった。
社会人になり初めて友達以外の男性と食事に行った自分は、食事の後にカラオケに誘われた本当の意味がわからなかった。
純粋に、カラオケで遊びたいのだな、と思ったのだ。
そこでは歌を歌うわけでもなく、私の体を触り、性的関係になろうという内容を聞かされるだけの時間だった。
私は今まで経験したことのない出来事に、現状を正しく理解できなかった。
この人は私に好意を抱いてくれている、この手を振りほどいたら失礼なのではないか。
その時は私があまりに無知すぎてセックスに誘われていることにすら気付かず、部屋の終了時間を迎えて終わった。
なんとも言えない不快感を抱き、数日を過ごしたのち、私は自分が性的対象として見られていたことに気づくのであった。
あまりに自分が無知であることと、相手の男性が強引にことを進める人ではなかったことが幸いしたと思う。


この出来事はその後も私の自尊心に大きく影響した。
話のネタとして「最低な男だった」と笑っていた気がするが、男性への恐怖心と自分の価値の低さを強く印象付けた。
世の中にはこんな男性もいる、気をつけよう。と済ませればよかったのだが、当時仕事もうまくいかず、自尊心が低かった私の解釈は「可愛くなく女性として大切に扱われる資格のない私は、性的なはけ口としてしか扱われない人間なのだ」である。

それ以降、可愛い子を羨ましく思う気持ち、男性を気持ち悪いと思う気持ちは増していった。
可愛い子も男性から性的な目で見られることはあるし、むしろ私より多いだろう。それでも女性としての自尊心が底辺だった私は、謎理論を展開し「可愛い=男性から大切にしてもらえる」と解釈していたのだ。

その後も、女性として大切に扱われる存在ではない、人として地位を築き、尊敬され、必要とされる以外、存在価値は見出されない。そう思う反面、女性として大切にされたいという気持ちも捨てきれず、私は苦しんでいた。


私は今もこの狭間で、男性との上手な付き合い方を見つけられずにいる。


今後の解決策も思い浮かばないし麻痺し始めてもいるが、もし、私と同じ経験や感情を抱いている人がいて、この記事を読んで少しでも気持ちの整理に役立てば嬉しい。


さんちゃん


#エッセイ #かわいい #女性 #感情の整理



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