夏が来たことに気がつかないまま終わる
楽しくない。忙しい。たいして忙しくもないのに忙しい。転職して三ヶ月経った。一から覚えることだらけで、大変だ。もう三ヶ月経ったのか。あっという間だ。まだまだ全然、何もできない。何もできていない。三ヶ月経って何もできないなんて、向いていないのではないか。でも、向いていなくてもやりたい。二ヶ月目の途中からつい最近まで、一ヶ月くらい地獄みたいな日々を過ごした。やる気ゼロ、元気ゼロ、根気ゼロ、責任感ゼロ。とにかくやる気がなかった。最低だった。最低だと気づかないまま人生が終わってくれたらよかったのに、気づいてしまった。私はその気持ちが最低だと思ってしまった。思ってしまいたくなかった。思ってしまったから、やるしかなかった。今までの分は取り返せない。だから、また一からやる気持ちで、何にもできていないけれど、やらないといけないと思った。
確かに、そう思ったのだ、私は。
けれどもうどうでもよくなっている。だって夏をろくに感じることさえできないまま終わってしまった。最近は、どうやって逃げようかと、逃げることばかりを考えている。どこに逃げるのが正解だろうか。辞めたいと告げるのは恐ろしい。そんな勇気もない。そもそも本当に辞めたいのかどうかさえわからない。そういった一式考えるのが面倒だから、逃げたい。けれど逃げ方がわからない。逃げるのにも勇気がいる。逃げたら帰ってこれない。帰る場所はまだあってほしい。どうせならぶっ壊れたい。真面目さも責任も理性も何もかも失って。
私は、「助けてくれ」と言えない。他人に助けを求めることができない。プライドが邪魔をして、とかそういうわけではない。昔からそうだ。なんだか助けや救いを求める自分が生理的に受け付けないのだ。気持ち悪い。それに、言ったところで助かるわけじゃない。人の手を借りようが借りまいが、結局は自分が頑張らないと助からない。私は頑張りたくない。頑張ってまで助かりたくない。それならずっと苦しいままでいい。
九月一日、月曜日、自殺する人が一番多いといつかどこかで聞いた。
死にたい人は勝手に死ねばいい。そうやって残される人の気持ちがわからない人間は、人に迷惑をかける人間は、こぞって全員死ねばいい。自殺なんて最低だ。それこそ責任の放棄で最大の逃げだ。どれだけ学校が辛いか知らないけれど、私の方が辛い。死んだように生きて日々吐き気に耐えて気が狂いそうになりながら気が狂いたくても狂えなくて、どこにも逃げる勇気がもてなくて毎日仕事に行く私の方が辛い。そんな私を差し置いて死ぬのはずるい。逃げることができるのはずるい。すごく羨ましい。私は死にたいと思ったことなんて一度もないけれど。どうして私みたいなのが生きていて頑張れば何にでもなれる君たちが死んでいくのかがわからない。生きたいと思っているのに、死んでいく君たちがわからない。他人なんてどうでもいいじゃない。自分がゴミムシみたいでもいいじゃない。クソみたいな大人だけれど、私は生きてるよ。死のうなんて本気で思ったこともないよ。大人になったら、楽しいことばっかりだよ、なんてことは言えない。楽しかったことはどうせ全て忘れてしまうから。けれど、辛いこともあんまりない。感覚が麻痺してくるから。だから麻痺しないうちに、できるだけ、声を上げられるような人であってほしいと願っている。