小さい頃の自分が一番可愛くて一番好きだという話
小さい頃の自分が一番可愛くて大好きで大切な存在だ。もう顔なんて七福神の恵比寿様みたいで守ってあげたくなる。もしかしたらこの世でもあの世でも一番大事かもしれない。
そんな、保育所や小学校に行っていた当時の私の気持ちや考えなんてわかるわけないのだが、わかるようなそんな物が出てきた。文集とか、まあそういう類のものだ。それを読んだり見たりする限り、どうやら私はこの世のみんなと仲良くしたかったらしい。
みんなで仲良くしましょうねって言葉があるけど、まさにそれ。
私は人見知りというか人付き合いが苦手な子だったと記憶している。母の認識もそうだからまずそれに関しては間違いない。自分から輪の中に入っていくようなタイプでもなければ仲間に入れてもらってわいわい騒げるタイプでもなかった。人の後ろを、まるで後をつけるみたいについていくタイプだった。これは全く覚えていないのだが、保育所の時に小学校で言う参観日のようなものがあって、母とまだ2、3歳だった妹がやってきた。お昼ご飯を食べる時、みんなは輪になってご飯を食べていて、私はその輪の隣でご飯を食べていたようだ。母には明らかにそう見えたらしい。なぜか悲しくなった母は先生に一言「一緒にご飯食べていいですか」。先生もなぜかほっとしたように笑ったらしい。母は普通に、妹はお姉ちゃん!と(お姉ちゃん好き!みたいな感じで)、近寄りご飯をそこに広げて食べ始めた頃に私は言ったそうだ。
「もう、せっかくみんなでご飯食べとったのに」
母でなくても、第三者の目から見たら確実にみんなと一緒に食べているようには見えないその光景だったのだが、私ははっきりと、みんなと食べる楽しい時間を邪魔しないでよとでも言うように、心底残念そうにそう言ったらしい。つまり私はその時、友達は沢山いるんだと見栄を張ったわけでもなく、ただ純粋にみんなとご飯を食べているつもりだったのだ。会話に入れていなくても、おかずの交換ができなくても、楽しかったのだ。滅多に人前で泣かない母も、その時ばかりは涙が出そうだったらしい。
今では本当に信じられない話だ。これまでの日記を読んでくれている人にも信じられない話だろう。今の私はどちらかといえば好んで一人で弁当を食べるタイプである。だからか私はきっと、昔の自分は今の私とは全く別の人間として大好きで可愛くて仕方ないのだ。ただ自分に不都合な感情は全部捨ててきたつもりでいたのに、私はその話を聞いて号泣し、昔の私からの手紙を読んでは号泣し、もうわけがわからなくなっている。小さい頃の私はみんなと仲良くなれる、みんなが仲良くなれると信じて疑っていなかったのかもしれないし、ただみんなと仲良くなりたかったのかもしれない。だってその方が笑顔が増えるでしょう?聞いてもいないのにそう言われそうだな。まるで笑っている方が幸せだと言わんばかりに。
当たり前だが、今の私にそんな考えはミジンコレベルにしかない。昨日の自分のことさえもよく覚えていないのに小さい頃の自分の考えなんてわかるはずもないが、みんなで仲良くが私の憧れだったんじゃないかと思う。昔の私はもう私じゃないからなんともいえないけど。
私はずっと、ただ純粋に憧れてきたんだと思う。誰かと楽しくお弁当を食べることを。だから私は小さい頃の真っ直ぐで強い信念を持った可愛らしい七福神の恵比寿様のような顔をした私が大好きだ。
2019/5/12/母の日らしいが母の誕生日が4日後なので特に何もしない
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