愛を伝えて
言葉が好き。言葉は人の感情で、思いだから。文章は、その人となりを表すもので、それらは嘘を書くことができても、人を騙すことができても、決して嘘をつくことができない。だから私は、小説や詩やエッセイが、人の紡ぐ物語が好きだ。
私が好きな、「LEBECCA boutique」という服屋は、そういう服屋。勿論、物理的に届けているのは服だけれど、それだけじゃないということは、知ればすぐに分かる。彼女、彼等が創り、届ける服は、人の感情、思いそのものだ。映画監督が感情を映像にするように、小説家が言葉を物語に変えるように、LEBECCA boutiqueは想いを服にする。まるで魔法が使えるかのように。それを受け取る私は、いつも心が震えていた。
そんな、私の大好きなLEBECCA boutique。今年、秋服を作ることなく、どうやら夏で終わりを迎えるそう。予告の時よりももっと前から、そんな予感がしていた。とは言っても、いざ、「終了します」の文字を見ると、もう、自分の気持ちが、分からなかった。寂しいのか悲しいのか怒りなのかもしくは何とも思っていないのか。推しは私たちによく、「おいていかないから」「ついてきて」「待っていて」というけれど、私たちのことを待ってはくれない。私たちは、必死に、いつ終わるかもしれない推しを推すことしかできないのだ。ただ、好きでいることしか、できない。
落ち着こうと思って、ブランドディレクターであるえるさんのnoteを読んだ。どう思うか不安だった。けれど、それが、想像していたよりもずっと、真っ直ぐだったから。涙が溢れた。寂しくて、嬉しくて、悲しくて、寂しくて、やっぱり、凄く好きで、堪らなく好きで、だから寂しくて、溢れるものが止められなかった。ああ、好きだ。好きだなあ。好き。今もずっと溢れている。
けれど。こうやって、上手いこと文章に書いているけれど、本当は心の中、ぐちゃぐちゃ。あれから4日経っているけれど、どうもまだ、感情のコントロールが上手いこといかない。頑張って前向きになろうとしているあの感じ。私が一番嫌う方法。だから早く書かなきゃいけないと思った。書くことしかでしか本当のことを言えないから。書くことでしか叫んだり泣いたりできないから。私が綺麗な言葉だけを並べて書くのは、違う気がして。だから、ありのままを書いている。というよりも、やっぱりそれしかできなかった。諦めました。まともな文章を書くことは他に人に任せるとしよう。
レベッカが好きな人達と話をして、あの色が良いかなこの色が良いかななんてお洋服を選んで、約4カ月ぶりに購入して、この幸せな感覚が久しぶりだというのと同時に、もうすぐ終わるのだと思うと、寂しくて堪らない。寂しい、という感情は、とても厄介だ。好きに比例して寂しさは増す。好きだから、寂しい。本当に、心の底から、なくなってほしくない。ずっとずっと、そこに在ってほしい。でも、「これから」が楽しみだ、という気持ちもあって。どちらも本物で。えるさんを初めとするスタッフの皆さんの決断とその先を応援したい。
だって、大好きなんですよ。ろくに話したこともないし、何にも知らないのに、大好きなんです、皆さんのことが。伝わるんですよ、全部。レベッカが大好きだ、お客様が大切だ、大変なことももちろんあるけれど、この仕事が大好きだ。そういう姿勢が分かるから、スタッフの皆さんの「これから」を見ていたいと、そう思うんです。だから、余計に、とても、寂しいんです。
そして、レベッカを通して、出会えた人たちがいて。その人たちは私にとって、奇跡のような人たちで、普通に生きていたらきっと出会えなかった人たちなんです。そんな素敵な巡り合わせをくれたレベッカは、私の人生なんです。
あと何回、商品が公開されて、インスタで皆と色を悩めるだろう。あと何回、お洋服をこの手に迎え入れることができるだろう。あとどのくらい、好きですと伝えられるだろう、あとどのくらい、そういう幸せを味わうことができるだろう。ずっと考えている。多分、最後まで考えている。
ただ、心がどれだけ不安定でも、一つだけ変わらずにはっきりしていることは、「LEBECCA boutiqueが終わる」ということ。だったら私はそれを受け入れるしかない。好きでいることしかできないのだから。嫌いになんてなれなかったのだから。受け入れられなくても、やることはただ一つ。最後まで愛し抜くこと。そして、それからの人生も、お洋服を愛して、彼女達を応援すること(やることが3つになってしまったね)。不格好でもいいから、私なりの愛で。
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