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アート作品だと思えば・・・
「人生に正解はないんだよ。」
そう言われても、どうしても「べきねば」が頭をもたげてしまう。
他人の目が気になってしまう。 そんなところがまだまだある私。
でも、そんな私でも気楽に思えることがある。
それは、アート作品について。
アーティストが表現した作品をオーディエンスが観て、感じて、その方なりの解釈をして、感想を伝える。
アーティストにとっては「表現」をすることが大切なのであって、 自分以外の誰かが作品についてどう思うのか(感想)はあまり重要でない・・・はず。 少なくとも私が制作していた時はそうだった。私は、「こう思ったよ。こう感じたよ。」って伝えてもらうことは、楽しかった。
で、ふと思った。
「あ、人生も同じなのか」って。
私の人生が私のアート作品だとしたら・・・ 誰かが何かを言ってきても「あ、そうなんですね〜。面白いですね。」で終わる。
私という存在が私のアート作品なのだとしたら・・・ 誰かが何かを言ってきても「あなたの解釈でどうぞお楽しみください♪」で終えられる。
まあ、人間の私は感情があるので怒ったり泣いたり喜んだり楽しんだりするけどさ。 でも、ただ人の目を気にして、人からの評価を気にしているよりは随分マシなのではないか?
そうしたら、どんな作品に仕上げたい? どんな色?どんなテクスチャ?素材は?大きさは? 体験型?平面?それとも映像?音? 光の具合はどうする?純粋に楽しくなってくる。
アート作品に正解がないのと同じように、 人にも人生にも正解がないってこういうことなのかな。