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フクシマ・セルフスタディーツアー~事故後初めてフクシマを訪れた。~③浪江駅周辺を歩いた。(後編:浪江駅周辺)

0. 前編まで

 前編ではNさんの身に余るほどの御厚意で、私は請戸小学校と大平山霊園に行くことが出来た。この時の経験は、私にとって感謝しても感謝しきれないものであった。後編では、私が浪江駅周辺を歩いて回ったことについて書いていく。

1. 浪江町役場

 浪江町役場の前でNさんの自動車から降りた後、私は改めて浪江町役場を見た。

浪江町役場

「随分立派な建物だ。」と思いながら、私は役場の傍にあった施設で昼食をとろうとした。「浪江焼きそばでも食べようかなあ。」と思っていたが、生憎どの施設も閉まっていた。理由は単純で、この日は日曜日だったからだ。仕方がないと思いつつ、私はいわき方面へ向かう常磐線の時刻表を確認した。この時、時計は12時10分を表していた。私は、今いる場所から浪江駅に向かっても、12時18分着のいわき方面への常磐線には間に合いそうにないと思った。請戸小学校以外の浪江町も見てみたいという思いもあったので、私は14時27分のいわき方面への常磐線が到着するまで浪江町を歩いて回ろうと思った。
そのためには、まず浪江駅の場所を確認して、余裕を持って14時27分のいわき方面への常磐線に乗ることができるようにしようと思った。私は浪江駅方面へ向かった。

2. 浪江駅方面へ

 浪江駅方面へ歩いている間、私は「ここらへんは原発事故の痕跡らしい風景はあまり見当たらないな。一見見当たらなように感じるだけかもしれないけれど。もっと他のところもみたいな。」と思った。そう思っているうちに、浪江駅が目の前に見えてきた。私は、「これで14時27分の常磐線に乗れる。」と思って安心した。その後、私は昼食を食べることができる場所を探しつつ浪江町を歩き回ろうと思った。

3. 道の駅なみえは遠い。

 浪江町を歩き回ろうと思いつつも、昼食を食べていなかった私は「まずは腹ごしらえができる場所に行こう。」とも思った。この時、私は、「浪江町で昼食を食べることができるめぼしい場所は『道の駅なみえ』だ。とりあえず一度行ってみよう。」と考え、道の駅なみえ方面へ向かった。
 しかし、道の駅なみえは思ったよりも距離があった。大きな道路(福島県道254号長塚請戸浪江線)に面している通りに出て、道路の案内標識を見ても、歩いて道の駅なみえに向かうのは難しそうだと思った。道路にセブンイレブン(セブンイレブン浪江権現堂店)を見つけたので、私は昼食を買おうと思い、セブンイレブンに向かった。セブンイレブンに着いた時、イート・インスペースがあればそこで食べようと思った。しかし、イート・インスペースは見当たらなかったので、私は「この後も大野か富岡に行きたいし、浪江駅構内で昼食を食べよう。」、「散歩がてら浪江駅に向かおう。」と思い、セブンイレブンを出た。

4. 浪江駅までの道のり

 セブンイレブンを出てからは、私は道の駅なみえとは反対方向に歩いた。道路(福島県道254号長塚請戸浪江線)沿いに歩いていると、自動車向けの電子標識があった。電子標識には「この先帰宅困難区域あり」という文言が表示されていた。この表示を見て、「駅周辺は除染されているように見えるけれど、奥地はまだまだ除染が進んでいないのだろうな。」と思いつつ、私は浪江町の広さを実感した。(「この先帰宅困難区域あり」という文言が表示された電子標識は、スマートフォンのカメラで撮影してみたが、写真に「こに先帰宅困難区域あり」の文言がうまく写らなかったので削除した。)
 電子標識のある場所から引き返し、私は改めて浪江駅に向かおうと思った。浪江駅に向かう途中、事故当時の痕跡があまり認められないと思っていた駅周辺に原発事故の痕跡と思われるものを見つけた。

この郵便ポストは原発事故の影響で使われなくなったのだろうか?
「奥の方で除染作業が行われているのかなあ?」と思って撮影した。
上の写真を撮影した時の被曝量
これも除染作業をしているのかと思われた。

上の写真の向かい側には、ふれあいセンターなみえがあった。「浪江町役場と同様に立派な造りだな。」と私は思った。

ふれあいセンターなみえ①
ふれあいセンターなみえ②

ふれあいセンターなみえの真向かいには浪江町地域スポーツセンターがあった。そこには中高生ぐらいの学生達とその保護者と思われる保護者達がいた。
(浪江町地域スポーツセンターの写真は撮らなかった。後に「撮れば良かった。」と反省した。)

浪江駅に向かうために私は更に歩を進めた。
下の写真も、脚立が不自然な感じで倒れているから原発事故当時のままなのかなあ?と思った。

不自然な感じで倒れている脚立の写真

「有明荘」という宿泊施設があった。玄関を覗くと、双葉町で見た双葉町老人福祉会館の玄関のように色々なものが散らかっていた。

「有明荘」の玄関

外から食堂の中の様子を見ることができたので、外から食堂内を見た。食堂の中も爪楊枝や醤油差し等が散乱していた。

「有明荘」の食堂の中

外から「有明荘」の玄関と食堂を見て、「やはり浪江駅周辺にも原発事故の爪痕は残っていたのだな。」と思った。
 このようなことを思いつつ、私は時計を見た。時計は13時50分を過ぎた時刻を表していた。私は、「このままのペースで歩いていたら、14時27分のいわき方面行きので常磐線が着いちゃう。」、「お昼を食べる時間が無くなっちゃう。」と思い、少し慌てながら浪江駅に向かった。

5. 大野駅へ

 少し慌てて向かったおかげか、私は14時27分より数十分前に浪江駅に着いた。セブンイレブンで購入したものも食べる時間があったので、私は浪江駅構内で昼食を済ませた。昼食を済ませた後、私は富岡駅と大野駅のどちらの駅に降りようかと思っていたが、大野駅で降りることにした。大野駅には、親戚の家があり、昨日広野駅から乗ったタクシーの運転手の方が「大野駅はゴーストタウンとなっています。あそこはずっと原発事故当時のままになっています。」と言っていたことが気になったのである。
 私は14時27分にいわき方面行きの常磐線に乗り、大野駅へ向かった。

 


 

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