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初めての韓国・ソウル旅行で、DMZツアーに行ってみた。④
0. ③の振り返り
2024年5月11日、私は、韓国・ソウル発のDMZツアーに参加した。
前回の③で、私はイムジン河や臨津閣平和公園にある様々なモニュメントについて記した。
④では、臨津閣平和公園で乗ったゴンドラやゴンドラを降りた場所でのことについて記していきたい。
1. ゴンドラ乗り場への道のりにて
ゴンドラに乗ることになった私は、Kさんの案内で、ゴンドラ乗車を希望する他の参加者たちとゴンドラ乗り場に向かった。その際、私は、自分の後ろにいた参加者が他の参加者に「DMZに入る前に既にいっぱい観ている気がする。」と言うのを耳にした。ツアーバスに乗車してから臨津閣平和公園で様々なモニュメントを観るに至るまで、既に知的なものに満たされていた私は、その参加者の人が言ったことに心の底から同意した。同意しながら、「ゴンドラに乗ったら、さらに色々なことが知れそうだな。ゴンドラに乗ったら、次に私は何を知ることができるのだろう?」というワクワクした、雲に乗ったような心地よさを感じた。
2. ゴンドラ乗り場にて
ゴンドラ乗り場に着くと、Kさんは私たち参加者をチケット売り場に案内した。Kさんは、「ゴンドラはクリスタル(床が透明なゴンドラ)もありますよ。クリスタルを御希望な方はいらっしゃいますか?」と私たち参加者に訊いた。私は、「床から何も見えない普通のゴンドラよりも高そうだけれど、床が透けて見える方がスリリングで面白そうだから、クリスタルに乗ってみよう。それだけのお金の余裕はあるし。」と思い、手を挙げた。Kさんは、私をチケット売り場のスタッフがいる方へ案内し、私はクリスタルのゴンドラのチケットを購入した。
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DMZツアー後に、韓半島生態平和総合観光センターで手に取ったゴンドラのパンフレットを見ると、
床が透明なクリスタルのゴンドラは、
床が不透明な普通のゴンドラよりも料金が高かった。
大人料金でも子ども料金でも、クリスタルのゴンドラは、普通のゴンドラよりも3,000ウォン高かった。
チケットを持って、私はクリスタルのゴンドラ乗り場に向かった。
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クリスタルのゴンドラ乗り場に着くと、スタッフが何人かいた。彼らは乗客が安全にゴンドラに乗り降りできるように配置されているのだろう。これは日本でも同じだ。
自分がゴンドラに乗る順番になるまで、私はゴンドラ乗り場の周りを観察してみた。すると、スタッフの事務室らしき場所に興味深いものを発見した。日本のアニメキャラクターだ。
それをよりハッキリと見たいがために、私は事務室らしき場所に近づいた。
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アニメキャラクターは、クレヨンしんちゃんだった。
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パソコンにはYouTubeが開いていて、
クレヨンしんちゃんのアニメ画像になっていた。
韓国で購入したクレヨンしんちゃんのお菓子でASMRをする日本人のインフルエンサーなどをYouTubeで観ていたので、私は「クレヨンしんちゃんが韓国で人気なのは本当だったのだなぁ。」と実感した。
(ついでに、日本へ帰国するために金浦空港で帰国手続きをしている時に、私はひまわりのマスコットを胸元に身につけている若い女性を見かけた。)
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置かれていたおもちゃ類。
消防車のおもちゃに貼られているシールには、
「四郎(よんろう)くん」という
クレヨンしんちゃんのキャラクターの絵がある。
消防車のおもちゃの上には
セーラームーンらしきキャラクターと
ハローキティのおもちゃがあった。
スタッフの事務室らしき場所にあるアニメキャラクターを眺めているうちに、ゴンドラに乗る順番が迫ってきた。私は、乗り場にいるスタッフの指示に従い、ゴンドラに乗った。
3. ゴンドラ乗車中にて
「臨津閣平和公園のゴンドラは往復で14分。」
Kさんが臨津閣平和公園のゴンドラについて説明している時にそう言っていたことを私は思い出した。「ということは往路と復路で各7分か。韓国でゴンドラに乗るのも貴重な機会だから、スマホは見ずにゴンドラからの眺めを楽しもう。」と思ったが、乗っている間に「やはりゴンドラからの眺めを記録しておきたい。」と思い、私はスマホのカメラ機能を起動した。
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左側に自由の橋がある。
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向かいにはイムジン河がある。
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イムジン河を渡っている時の
床から見たイムジン河
イムジン河を越えて、そろそろゴンドラを降りる頃かなぁと思った時、私は、''MINE''という文字を見てギョッとした。
カラフルでかわいらしいものがある場所に、地雷を意味する文字を見たことで、私は、自分が今いる場所は観光地化しているけれど戦場の形跡が確かに残っていて、地雷は朝鮮戦争(「韓国戦争」もしくは「6・25戦争」)時には既にかなり利用されていたと強く認識した。
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そうしているうちに、ゴンドラを降りる頃になり、私はスタッフの指示に従いながらゴンドラを降りた。
4. ゴンドラを降りて
無事にゴンドラから降りて、私はゴンドラ乗り場から出た。ゴンドラ乗り場から出るとすぐに、ある案内板が目に入った。
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私は案内板の中にある写真を見た。しかし、写真の説明文がほとんどハングルで書かれていたため、ハングルの母音と子音しか学んだことがない私は、「ハングルで書かれているからわからないけれど、ここには臨津閣平和公園みたいに何かモニュメントがあるんだな。」と思った。自分がわからない文字で書かれている案内板を見ても仕方がないので、私はとりあえずゴンドラ乗り場の周辺を歩いてみることにした。
(後日、臨津閣平和ゴンドラのパンフレットを見ると、案内板の下部の4枚の写真は、臨津江展望台の説明のために掲載されていることがわかった。パンフレットによると、臨津江展望台には、文在寅元韓国大統領と金正恩北朝鮮国務委員長が一緒に歩いた徒歩の徒歩の橋が再現されていて、平和を祈願する平和灯台と小さな憩いの場を提供する平和亭、1950年代に米軍が設置した飛行禁止区域であることを知らせる「越境防止標識」という航空機向け警告板があるとのこと。)
ゴンドラ乗り場から離れて適当に歩いていると、私は、ある道を目にした。
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道の右側を見ると、''Military Street''と書かれた看板があった。
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看板の下は34個の韓国陸軍の師団のマークの絵があった。
看板の下にある34個のマークを見て、私は「韓国軍は随分ポップでカジュアルな面があるんだな。まるで野球チームやサッカーチームのロゴみたいだ。とりあえずこの道を歩いてみるか。」と思って歩を進めた。
看板の隣には34の師団のマークが1から順番に飾られていた。(数が多かったので、私は師団のマークを写真には撮らなかった。今思えば撮れば良かったと反省している。)
各師団のマークの間には''MINE''と書かれた地雷の標識もあった。
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各師団のマークとその間にある地雷の標識を見ながら歩いていると、フォトスポットらしいモニュメントが見えた。ゴンドラ乗り場から出た時に見た案内板の写真に映っていたモニュメントがいくつかあり、観光客たちがそれを背景にして写真を撮っていた。私は、傍にあったベンチに腰掛け、写真を撮っていたり、自分の向かいのベンチに腰かけている観光客たちをボーッと眺めた。
観光客たちを眺めたのち、私は立ち上がって、水色の橋のようなモニュメント(『徒歩の橋』が再現されたモニュメント)の方に歩き、そこからの景色を見た。
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この時、空は曇り始めていた。
右側には自由の橋が見える。
景色を見た後、私は自分が座っていたベンチがある方へ戻り、その周辺を見て回った。
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看板には「希望のリボン」や「休戦協定70周年記念」
を意味するハングルが書かれている。
(後日、翻訳アプリを使用して調べた。)
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これらを見た時、
私は「平和を祈るために千羽鶴を飾るのは韓国でも同じなのかなぁ?
そういえば原爆の犠牲者には在日コリアンもいたのだよね。」と思いながら写真を撮った。
(後日、撮った写真を見返した際に、
左側の千羽鶴にある「ピースロード」と書かれたリボンを見つけた。
「ピースロード」の意味をネットで調べたら、私は冷や汗をかいた。)
一通り見て回った後、私は「他の場所も見てみたい。」と思い、Military Streetを後にした。
Military Streetから去った後、私は往路のゴンドラに乗っていた時に見て印象的だった場所に向かった。実際にどのような場所なのかを近くで見たかったのだ。
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印象的だった場所
近くで見ると、往路のゴンドラの中で見た時のように、大きめの地雷の標識やリンゴの形をしたフォトスポットらしきもの、色とりどりの風車があった。(後日、パンフレットで確認したら、この場所は「DMZステーションフォトゾーン」、「ピクニックゾーン」、「風車ゾーン」となっているとのこと。)
風車は、青色、黄色、赤色のものがたくさんあり、風に吹かれて回っていた。
風に吹かれて回っている風車を「綺麗だなぁ。」と思いながら、左側を向いた。私は「かわいらしいものがあるけれど、ここはやはり戦場だったのだ。」と思った。ミサイルらしきものが埋まっていることを表す標識を見たからだ。
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ミサイルらしきものが埋まっていることを
表す標識
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地雷の標識だけでなく、この標識も見たことで、私は「観光地のために整備されているけれど、戦場の名残を表すものがチラホラあるから、ここはやはり何か歪な感じがする。何か福島第一原発事故の被害地みたいだ。」と思った。
自分がいる場所をこのように表現することは、朝鮮戦争の犠牲者たちにも福島第一原発事故の被害者たちにも失礼な気がするとも思った。
しかし、南北に分断されたことで、元々の故郷に戻れなくなったり家族とも離れ離れになったりしたこと、北の共和国が核兵器を保有していること、朝鮮戦争はあくまでも休戦中で実際には南北の両国の間に戦時体制は続いていることから、やはり朝鮮戦争は福島第一原発事故と通ずるものはあると思った。
(福島第一原発事故の発生以来、その取材を続けている報道記者の烏賀陽弘道氏が、福島第一原発事故を「戦火のない戦争」と表現していることも改めて実感できた。)
5. この続きは⑤をお楽しみに
そのようなことを思いながら、私は自分がいる場所を離れて歩いた。そうしたら、また別の通りを見つけた。私は、そちらに行こうと思ったが、腕時計を見たら、11時30分を過ぎていた。私は「そういえば自由時間って何時までだったっけ?この通りを歩いてみたいけれど、ツアーに遅れて他の参加者たちやKさんに迷惑をかけるのも嫌だなぁ。」と思った。通りを歩くか皆のいるところに戻るか、迷った私は、今の私はあくまでも他の参加者たちやKさんといった複数の人たちと行動しているので、皆のいる場所に戻ろうと思った。そうして、私はゴンドラ乗り場に向かい、復路のゴンドラに乗った。
今回はここまで。続きは⑤をお楽しみに。