真崎甚三郎日記・真崎教育総監罷免問題該当部意訳【四】昭和十年七月十三日
七月十三日土曜日。小雨。
小林順一郎が七時半に来訪。私を激励し、かつ私より教育総監の後任に建川美次を提案することを勧めてきた。なお、今回の問題に対し、仲裁を行う場合の適任者を質問してきたので、私は菱刈隆陸軍大将を紹介した。
井上七時四十分に来訪。連絡のために訪れただけで、特別な用事は無かった。
八時加藤寛治海軍大将を訪問し、十日以後の状況を報告し、私が罷免を断る決意を伝えた。
九時半に教育総監部へ出勤。
十時半秋光晃栄の道場にて治療を受ける。彼の懇願により、写真撮影。なお彼は私の運勢が隆々として良いと言った。心強い。
十二時に帰宅。牧胤吉の書置きがあった。九条道秀より貞明皇太后陛下に今回の件が通じており、天皇陛下にも通じているという。
森赳一時半に来訪。清浦奎吾に会い、現状を伝え、今回はやれるだけ林大臣に対抗すると伝えたらしい。清浦奎吾は考えがあると述べたという。
菱刈隆陸軍大将、二時に来訪。様々な方面から教育総監罷免の問題に関し刺激され、様子を伺いに来たらしい。私は十日より今日までの状況を説明した。大体において大将は同感であった。
江藤源九郎二時半に来訪。林との会見内容について語った。彼は不正を行う者は弱って当然であると語った。彼は永田鉄山の悪思想の証拠物件として、池田純久が執筆した陸軍当局の非常時政策(統制経済など真崎らが忌避していた国家社会主義的な内容か)なるものを持参していた。
安井藤治三時半に来訪。杉山元から今回の問題について聞き、いろいろと問題の外部より心配し意見を持ってきた。しかし、私は既に対策を実行しているため彼の意見は必要で無かった。そのため単にその厚意に対し、礼を言った。
五時、陸軍大臣官邸における陸海軍大将会に参列。渡辺錠太郎陸軍大将、中村良三海軍大将以外の大将は全員出席していた。講談及び浪速節の余興があった。十時に散会。別格、意義のあることではなかった。十時に帰宅。副島八十六、松浦淳六郎、牟田口廉也、平野助九郎らが来訪してきたが雑談の実であった。